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8音(東+御)
つかれた、という言葉が聞こえた。ドアの音がしてすぐで、そこから一言も一音も聞こえなくなってたっぷり10分経った。いくらなんでもおかしいと雑誌を机に置いて東堂は自室を出た。
玄関からすぐにある共同スペースの先にある二部屋が個人スペースで、そこからドアを一枚開けばすぐに玄関が見える。互いのスペースには立ち入らない約束で始まった同居は今月で半年だ。引っ越しのタイミングが合った事、練習場までの距離、生活サイクルの合致全てが同居の理由になったものの東堂は半年たった今でも御堂筋翔という人間についてよくわからなかった。
練習の時間はほぼ一緒だが不定期に働く東堂と学業に勤しむ御堂筋は同じ時刻に家にいないことが多い。高額である自転車を家に置いておく手前、それなりに確りしたセキュリティとはいえあまり部屋を空けたくないふたりはあえて時間の合わない互いを選んだ。
家族との食事が多かった東堂は一人でのそれに寂しさを覚えたが御堂筋はどうやら慣れているらしく寂しそうな仕草を見せることはなかった。
玄関を入ってすぐの床に細長い身体が横たわっている。愛車はきっちり所定の位置に収まっている当たりが彼らしかった。僅かに背中が動いているのを見て呼吸が正常であることを確かめる。
真っ白な顔がますます青白い。先日のレースで最年少にして優勝した御堂筋は雑誌やネットニュースの取材に頻繁に取り上げられるようになっていた。人を食った喋り方も気の利いた受け答えも得意だと知っているが、それがペダルを回す為だけの演技なのではないだろうか。ぐったりと横たわる身体を見下ろしてそう思った。
弱弱しいつかれたという四文字は彼の本音に違いない。
同居しながらも少ない共同の時間を思い出す。御堂筋翔は目を合わせない。最後にめを合わせたのはいつだっただろうか。サイクルジャージを着ていない、ペダルを回していない彼と目が合った記憶はほとんどなかった。
雑誌に載っている彼の写真を思い出す。ほかの選手と同じに確りとカメラ或いは記者の方を見て穏やかに語る選手は社交性が引く層には見えなかった。
あれが全て演技で、今ここで死体のようになっている抜け殻こそが本物なのだとしたら。
「風邪をひくぞ」
呼吸以外ぴくりとも動かない体を起こし、肩を貸して部屋に運ぶ。
引っ越しの手伝いをして以来初めて入る御堂筋の個人スペースは東堂の部屋以上に何もなかった。あるのは自転車に直接関係するものだけで、東堂の部屋にすら置いてある彼が載っている雑誌もない。
簡素なベッドに長身を寝かしてドアに向かう。背中に小さく投げられた「おおきに」という言葉にどきりとした。
ドアを開けてから御堂筋が口にした音はたった八文字。その八文字がこれまで聞いた彼のどの音よりも大きく響いた。
2015/06/12
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