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▼帰路を走る(新御)
※未来捏造






 どこにも行ってほしくないと告げた翌日、御堂筋が引っ越し業者に電話しているのを聞いてしまった。束縛されることを嫌う男は、新開の言葉の重みに限界を感じて逃げ出そうとした。




 携帯電話のバイブが鳴り響く。御堂筋は自宅に居る間も携帯をマナーモードにする。そもそも彼の携帯電話にはデフォルト以外の着信音がない。
 二つ折りの端末を開いてみれば表示されているのはかつて彼のアシストを務めた男の名前だった。
「しつこいな。ああ、そういう性分なんだっけ。彼は」
 電源を切った携帯電話を投げ捨てる。柔らかなカーペットは音を立てずに小さな機械を受け止めた。静かな部屋は、外からの音を遮断するだけではなく室内の音も外に漏らさない。分厚い壁に分厚い扉。
 新開がこの部屋を準備し始めたのは高校生の頃からだ。あまりに衝撃的な出会いの後、なんとかして手に入れたいと願って考え続けていた。ノートの隅に描いた見取り図や、どうすれば完璧に監視し逃がさぬように見つからぬように出来るのかを授業の合間も考えた。
 一度だけ友人に見られ、建築業にでもつくのかと聞かれたが笑って誤魔化した。
 生きた、ましてや非協力的な人間を隠しておくのは限度がある。せっかく宝箱に入れた宝石が逃げ出してしまっては意味がない。部屋を考案した時と同じように、新開は部屋の隅にうずくまる御堂筋を見つめて考えた。
「…なぁ、御堂筋くんはどうして外に出たいんだ?」
 御堂筋翔が生きる為の原動力を新開はよく知っている。言い換えれば質問の回答は御堂筋が口にするまでもなく知っていた。
 御堂筋翔を生かしているのは自転車だ。呼吸も食事も排泄すら、自転車に乗る為に行っていると言っていい。
「そうか」
 急に明るく大きな声を出したせいか、それまで壁を見ていた目が新開に向けられた。
「そうだよな。そうだったんだ」
 行きついた答えに納得し、あまりの感動に笑みが止まらない。何故もっと早く気付かなかったのかと己を殴りたくなった。
「ごめんな。気付くのが遅くて」
 ふしぎそうな顔で見上げてくる瞳は新開の言葉を理解できていない。逃げようとするたびに力づくで引き留めたので白い肌には所々鬱血があった。もう殴らなくても大丈夫だと思うと益々笑みが深くなる。
「もう大丈夫だから」
 安心させる言葉のはずが、御堂筋の顔は恐怖に満ちていた。


 高校の頃、彼のノートに描かれた不思議な見取り図をもっと気に留めておけばと荒北は後悔した。
 今にして思えば、懸命に描いていた横顔は鬼気迫っていた。窓のない部屋の図は不思議ではあったが当時の荒北にはそれが何のための部屋なのか想像もできなかった。
「今さら後悔しても仕方ないですよ」
 御堂筋から相談を持ち掛けられた真波は、新開隼人と言う人間を客観的に、しかし近しい位置から観察できる荒北に助けを求めた。御堂筋自身に危機感がなかったのが一番の原因だったと真波は言うが、あのノートをもっと見ておけばこんな事にはならなかったのにと荒北は何度も自分を責めた。
 ハンドルを握る手に自然力がこもる。新開と同居している部屋を出ると真波にメールをした翌日、ふたりは忽然と姿を消した。石垣が何度電話をしても御堂筋が電話に出ることはなく、新開も同様に誰からの電話にも出なかった。
 最後に新開に会った時、荒北は彼の異常なニオイに絶句した。真波になんと伝えていいのか解らず、思い出したのはノートの見取り図だった。ふたりが消えた直後に図の下に数行書かれていた土地名を必死に思い出し、それが立地条件を満たした土地であると真波と意見が一致して捜索の手掛かりにした。
 
 そこは一見小さな山小屋だった。部屋数も少なく、綺麗ではあるが最近人が住んでいた形跡はない。非常事態だからと何のためらいもなくドアを壊した真波に若干の不安を覚えながら荒北も小屋の中を探した。殆どの部屋は使われた形跡がなかったが、一か所だけそれを見つけた。台所だ。綺麗に掃除されているが、違和感と荒北ではなければ気付かないほどのニオイがあった。掃除の痕は不自然な程に綺麗だと言うのに、料理の不手際での傷とは思えない血の香り。血だけではない。肉だ、と荒北は喉をせり上がってくるものを感じた。肉と、血の香り。ここで何か、大きな動物を捌いたとしか思えない生々しい香りがある。
 考えてはいけない。探してはいけないと本能が訴える。けれど同時にまだ間に合うかもしれないという僅かな希望に縋りたくなる。
「荒北さん」
 背後からかけられた声に思わずひきつった悲鳴をあげてしまった。
「ンっだよ驚かすんじゃネェよ。居たのか?」
「帰りましょう」
 見たことがないほど真っ青な顔の後輩に大丈夫かと問おうとしたが同じ言葉に遮られる。
「帰りましょう。荒北さん」
 怒鳴り声に近い、けれど震えた声で真波が言う。何を見たのか、ふたりが居るのなら連れて帰るべきではないのかと問いかけたいのに喉が渇いて声が出ない。動けないでいる荒北の肘を掴み、真波が歩き出した。強い力に逆らえず車に乗るまで黙っていた。免許を持っているくせに滅多に運転しない真波がハンドルを握り、荒北がシートベルトを着けるのも待たずにアクセルを踏んだ。
「…オイ」
 車が舗装された大きな道路に出たところで声を掛ける。
「居たのか?もしおメェが無理ならオレひとりで連れ戻しに行くから―」
「居ません。あそこには、誰も」
 早口に答える声は重々しい緊張感があった。嫌なニオイと連想される惨劇に、一度強く目を閉じてから息を吐く。
「…まだ間に合うなら、いや間に合わなくても警察に連れてくくらいできるだろ」
 昔のチームメイトのよしみだ。痴情のもつれで恋人を殺してしまったとしても見捨てるには忍びない。せめて罪を償わせてやらなければいけないと思い、そう説明する荒北を、真波は強くブレーキを踏んで路肩に車を寄せてから睨みつけた。
「誰も、いなかったんです」
 悲しみと、怒り、それから恐怖に満ちた顔で真波が言った。
「人間は。誰も」
 真波の声はもう震えていなかった。確りとした声が耳に届き、今度は荒北の声が震える。
「…そ、うそだろ」
 殺した相手を、解体するために何故風呂場を使わなかったのか。突然沸いた疑問と真波の言葉が結びつく。
「帰りましょう。」
 アクセルを踏む真波を、今度は止めることができなかった。


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