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曇天の喪失(東御+辻)

 同じクライマーとして尊敬に値するはずの選手だと思っていた。何度か会話もしたことのある男は並み程度の実力しかない自分から見て圧倒的な力を誇り、多少ナルシストの気はあったが仲間想いであり後輩に対しても面倒見がいい非の打ちどころがない人間だった。ナルシストが難点にならないのは実際に彼がモデル顔負けの美形であり、高身長と言えないまでもスタイルも悪くないからだ。
 同じチームの人間に言わせればやかましいだけの男でも、一歩引いた位置から見る東堂尽八という男は競い合うクライマーからすれば少なからず尊敬と羨望を抱かせる存在に他ならない。例にもれず辻明久も東堂に対して幾分かの尊敬を持っていた。高校を卒業してから数か月経って出たヒルクライムレースで東堂に会うまでは。

 脚質の関係で来ていない者も居たが久しぶりに会う後輩は皆元気そうだった。相変わらず独裁者然とした御堂筋は卒業した人間に興味はないらしく挨拶すらなかった。数か月ぶりの旧友や後輩を眺めてから参加者の中に東堂が居ることに気付いた。周囲のざわめきに、今日の優勝者は彼に間違いないと言う声が混ざっていた。己の実力で彼に勝てるとも優勝できるとも思わなかったが、挨拶に返事すらしなかった後輩なら或いはいい勝負ができるのではないかと僅かに期待した。

 前半に少し降った雨のせいで道が悪く何人かの選手が転倒したが運よく先頭集団に追いついた辻は先を行く後輩を目で捉えた。ゴール手前で飛び出した選手は二人、目で追っていた後輩と優勝を仄めかされていた東堂だった。
 ゴールの瞬間をどうしても見届けたい一心でペダルを回していた。順位については何も考えなかった。
 自己タイムも順位の更新もゴールの後になってから気付いた。喜びよりも後輩の勝敗について夢中になっていた自分に苦笑し負けてしまった彼を探した。無視されても睨まれても何か一言言いたかった。
 表彰式を終えてからすぐに姿を消した御堂筋を探したが、京都伏見の選手が集まって談笑している中にも記者の中心にも居なかった。探しているうちに違和感を覚えてそれが何なのか分かったのは記者の間を歩いている時だった。一位を獲った東堂が居ない。記者たちの会話でも東堂がどこに行ったか互いに確認してるようだった。帰った気配もなく忽然と姿を消した東堂と見当たらない後輩に辻は嫌な予感がした。それでなくとも他者とうまくコミュニケーションを取れない御堂筋の事だ。自分を負かせた相手に喧嘩でも売っていないだろうかと疲れ切った足に鞭打って歩き回った。
 もともと人ごみが得意でなかったので人気のない方向に無意識に向かっていた。救護テントの裏は予備の駐車場になっており、正規の駐車場が満車になっていなかったのか殆ど車は止まって居らず整備のできていない砂利と隅に備えられた仮設トイレしかない。人気のない場所をぐるりと見回して背を向けようとして小さな物音に気付いた。駐車場の入口から奥にある仮設トイレを目を凝らして見るが全て施錠されておらず誰かが入っている気配もない。救護テントから聞こえたのかと首を捻るが二度目に聞こえた音は間違いなく駐車場の奥からだった。裏側に誰かいるのだろうかと足を踏み入れる。砂利を踏む音が思った以上に大きく響いて一度足を止めた。
 辻が立ち止まるのとほぼ同じタイミングで仮設トイレの裏側から転がり出るように人間が現れて思わず息を呑んだ。御堂筋であると認識してもう一度息を呑んでから慌てて駆け寄る。レースで何処か痛めたのか、こんなところで何をしているのか、それよりも今転んだことで怪我をしていないのかと聞きたい事は色々あったが立ちあがれずにいる姿に動転して言葉が出なかった。振り払われると思ったが意外にも素直に立ちあがり、辻を視界に入れた途端あからさまに安堵するものだから面食らってしまった。挙げ句掴んだ腕は僅かに震えていた。まさかカツアゲや、過去にレースで詰った選手に意趣返しでもされていたのだろうか。
「平気か。すぐそこ救護テントやし」
 行こうと続くはずだった言葉は乾いた音と共に遮られた。御堂筋の腕を掴んでいた手の甲が叩き落とされた。辻の手を叩き落としたのは御堂筋本人ではなく、今日のレースで優勝した男だった。先程御堂筋の姿を確認した時以上に混乱した辻は意味をなさない疑問符しか口にできなかった。
「は、なんで…?」
 何故ふたりがここに居るのかも何をしていたのかも、御堂筋が震えていた理由も冷たすぎる東堂の瞳も全てが理解できなかった。
「何でも何も」
 東堂の声は彼のチームメイトが総じて口にするようにやかましく、どこか熱いものを感じるものだと記憶していた。けれど目の前の男の口から出てきたのは背中に寒気が走る程ひんやりとしたものだった。
「勝ったのはオレだ」
 吐き捨てるように言った東堂は辻を一瞥して、駐車場に停まっていた車に向かって行った。一人ではなく、御堂筋を引きずって歩く姿と言葉の意味がゆっくり脳に浸み込む。よく見れば向かう先の車の脇に二人分の荷物と愛車があった。手際よく荷物と自転車を車に積み込んだ東堂が、最後に御堂筋を助手席に押し込む。東堂が荷物を積んでいる間も助手席に押し込まれる時も御堂筋は言葉を発さなかった。ただドアが閉まる直前、一瞬だけ辻を見た。
 車が見えなくなるまで動けなかった。インターハイ二日目の山岳リザルト付近で見た瞳よりずっと冷たかった東堂の瞳と、同じ夜に見た迷子の子供に似ていたあの瞳より縋るように見えた御堂筋の瞳が頭から離れない。
 動けずにいる間に後輩が辻を探しに来て帰りましょうと声を掛けたので御堂筋はと聞いた。一人で帰ると連絡が来たのだと後輩は無邪気に笑ったが辻はそれ以上会話ができなかった。
 その日、尊敬する選手と、畏怖しながらも感謝と親しみを持っていた後輩を同時に失った。

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