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pdr
しなやかな腕の祈り(東御)
※未来捏造






 例えば神様がいたとしよう。
 信じる宗教があれば楽だった。不幸にも東堂尽八は無宗派であり、自身が山の神と称されたり山の神に感謝の辞を述べたりしても現実問題そんなものは存在しないと知っていた。
 高い理想を持ちながら意外にリアリストな東堂にとって過程の話とは言え神に縋る事は困難だ。それでもその存在を仮定してしまうほどの願いが沸いてしまった。

 例えば神様が存在すれば一人孤独に走る少年を救うことができただろうか。

 レースを終えて帰ってきた御堂筋におかえりと声をかける。返事はない。一緒に暮らし始めて彼が家では酷く無口だと知った。話しかければ意思の疎通はできるが彼から何かを主張することは皆無に等しい。何度か友人を家に招いた事があるがその時は外と同じように憎まれ口を叩いていた。口を閉ざすのは家人、つまり現在は東堂のみであるが、二人きりになった時だけだ。
 東堂が外で家の話をしないと気付いてから御堂筋は外で被っている仮面を東堂の前で被るのを辞めた。
 理論上、御堂筋の食事は理に適っており栄養バランスも問題ない。けれどそれはあくまで理論上であり、食卓を囲まない、皿にも盛られない彼の食事を受け入れることは東堂にはできなかった。
 補給食とサプリメント、時々野菜をかじってはいるがその食事の全ては自転車の前で行われる。居間に置かれた机に彼が座る事はほとんどない。東堂が強引に手首を掴んで座らせ、作った食事を食べろと促さなければ箸も持たない。
 御堂筋翔の身体は全てレースで勝つためだけに構成されている。彼がそう望み、そう作り替えたからだ。何歳の頃からなのか東堂は知らないが、時折共にするベッドの中で身体を見るたびに異常に幼い性器やあまりに快感を知らない反応に二次性徴を迎える前だったと予想はできた。

 東堂が自転車を降りたのは二十歳を過ぎた頃だった。プロとしての道がなかったわけではない。実力も運も、人脈さえも東堂にはあった。それをしなかったのは御堂筋翔という少年を知ってしまったからだった。きっと彼は最後まで走り、普通の人間の何倍も早く死ぬのだろうと初めて見た夏から直感していた。出来ることなら近くで終わりと見たいと強く想い、そのために東堂も捨てられる限り全て捨てた。
 金を稼ぐ方法は選りすぐりしなければいくらでもあった。できるだけ傍を離れないようにしたかったので時間の制約はあったがどんな職でも選ばずにやれば器用な東堂はそれなりに稼ぐことができた。
 終わりを見たいとだけ思っていた少年を抱いたのは悪天候が続いた真冬の夜だった。長く自転車に乗る事ができなかった御堂筋はそれでもローラー台である程度欲求を解消していた。不安定な様子を観察し、彼が全く睡眠をとっていないと気付いてベッドに向かったのがきっかけだった。怯えた目で東堂を見上げる顔は世間から化け物と称される選手とは程遠く只管儚く弱弱しい子供だった。


 帰宅し、シャワーを浴びた御堂筋は補給食を片手に自転車を置いた部屋にこもる。高校生の頃と比べて台数の増えた自転車の中で、既に乗れなくなったかつての愛車だけが浮いている。
 練習やレースに使うマシンを整備し終えた御堂筋は最後に乗れなくなった愛車の前に座る。ほんの数分、時には数十秒の短い儀式を開いたドアから見つめるたびに東堂は神に祈りそうになる。
 いずれ彼は死ぬ。恐らく東堂よりもずっと早くに。
 歪んだ体も生に執着しない精神も短命を予想するには十分だ。長く生きてほしいと望む人間もいる。けれど東堂はそれを望まない。祈るように望むのは彼の幸福であり、それは決して幸せな余生ではないのだ。

 御堂筋翔の望む最期を一度だけ尋ねた事がある。レースの前、自転車を押して歩く横に並んで歩きながら言葉に返事はなかった。大きな瞳を一度ぱちりと瞬かせて自転車のサドルを見つめただけで東堂は彼の終わりが見えた気がした。
 削りきった身体が音もなく地面に落ちて消える幻。

 走れなくなったらきっと彼は人に見つからない死を選ぶ。蒸発と言われる死を綺麗に完遂する事が彼の幸福ならば東堂はそれを守らなければいけない。
 あの夏、上手く仮面をかぶって隠していた彼の本性を東堂は見た。最後のインターハイ二日目に一年生に譲った山岳リザルト。薄い身体に隠された物を見抜けたのは山の神のお蔭だったのかもしれないと居もしない者に感謝する。

 例えばそれが存在するならば、どうか彼の望みを叶えてほしい。どんなに仲間と呼ばれる人間が増え、共に過ごす時間が増えても彼の幸福を理解する者はいない。結婚し、子供を持てなどと言う人間すらいる。
 孤独に走る少年の救いは孤独な終わりで、孤独な終りこそが幸福だ。彼の望みが叶いますようにと、東堂は信じていない神に祈った。

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あきゅろす。
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