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pdr
つめたいくちびる(東御)
※前後も落ちもない死ネタ



 おかしい。なにがおかしいのかわからないが確かにおかしい。
 御堂筋翔が気付いた違和感は彼にとって些細なことであったので深く考えずにペダルを回した。
 三日間あるインターハイの二日目に、その男は現れた。他校の卒業生、去年の大会でも御堂筋とはなんら関係もなかった選手だ。
 後輩の応援に来たのだろう姿を視界に入れた瞬間、ぞわりと背筋に悪寒が走った。真夏の、それもレースの後だ。寒いなどと感じるはずがない。
 今体調を崩すわけにはいかないとデローザを押しながら宿に向かおうとしてもう一度振り返る。元王者箱根学園、卒業生の来訪に喜ぶ現役選手のぬるい集団だ。普段であれば一瞥して終わるはずだというのに、集団の中にいるその卒業生から目が離せなくなった。
 熱い汗の中に一筋、夏にそぐわない冷たい汗が流れる。

 主将泉田を囲むようにしている一行から一歩離れ、総北の卒業生に大声で話しかけている男はかつて見た姿と変わりないように見える。だというのに何故か背筋に寒気が走る。
 強引に視界に割り込まれている気がした。幼い日、見てはいけないと大人に言われた物を見てしまいいけないと知りながら視線を外せなかったことがある。じりじりと照ってくる陽が肌を焼き、自転車に触れていない部分がやけに頼りなく感じた。まるでデローザに寄り掛っているようだった。
「御堂筋?大丈夫か?」
 遠く聞こえていた周囲の声から、自分に向けられた声が急に浮き上がりびくりと肩が跳ねた。
「…なんも」
 箱学同様、呼んでもいないのに来た卒業生である石垣が心配そうに声をかけてくる。遠くに浮いていた意識が引き戻されたように景色や音がはっきりとした。
 疲れているのか、代わりに自転車を運ぶかと構ってくる石垣を無視して歩きはじめた。自転車から手を放したくなかった。背を向けた箱根学園の集団から恐ろしい空気が忍び寄るように這ってくる。逃げなくてはいけない、近づいてはいけないとどこかが警報を鳴らしていた。
 振り向くなと脳が叫んでいるというのに、しつこく声をかける石垣に一言文句を言おうとしてそれを視界に入れてしまった。先程まで総北の巻島を見ていた変わった色の瞳が間違いなくこちらを向いている。美しい顔は、無表情のせいか異様に恐ろしさを孕んでいた。

 箱根学園と京都伏見の泊まっている宿が同じだったのは偶然だった。広い建物で、京都伏見の一つ上の階に箱根学園が泊まっている。初日、荷物を置きに来た時にそれを聞いても何も感じなかった。それが今は同じ宿に先程見た男がいると思うだけで気が重くなった。
「…あほらし」
 選手のみが泊まる宿に卒業生が居る可能性は低い。石垣も自分で取った宿に一人で泊まっているのだ。
 ミーティングを終え、迷っていたことがバカバカしいと感じ始めてから御堂筋はようやく大浴場に向かった。24時間入浴が可能な広い浴場だ。京都伏見の生徒はすっかり寝入っている。この時間ならば他に利用者はいないだろう。廊下も静まり返っていた。明日のレースに備えて早くに眠っているに違いない。選手を気遣ってか廊下の電気はいくつか落とされていた。普段であれば深夜でも眩しいほどだろう通路は心細くなるほど薄暗かった。点々とともされたオレンジ色の明かりの中、長い廊下を歩いていると前方に数名の人影が見えた。一瞬身構えるが寒気は感じない。
「御堂筋くんじゃないか。そういえば京伏も同じとこに泊まってるんだっけか」
「なんでキミらがここにおるん」
 嬉しそうに声をあげる新開に時間を考えろと福富が制して御堂筋に向き直った。
「四人で泊まれるところがここの一部屋しか空いていなくてな。」
 よにん、と口の中で繰り返して目の前の人数を数える。御堂筋にやけに馴れ馴れしく話しかける新開の隣に福富が立ち、その後ろに眠たげな荒北が居る。どう見ても三人だ。
「…あとの一人は」
「東堂だ」
「東ドウくん、そういえば昼間ちらっと見たなぁ。なんや前と雰囲気変わってへん?」
「そうかな。尽八は前からああだよな」
 それまで福富の背後で黙っていた荒北があくびを噛み殺し濡れた髪を掻き上げて御堂筋を見た。
「卒業生までチェックすんのォ?」
 訝しげな目はライバル校を牽制する意味を込めている。薄明りの下でもよく見れば荒北だけではなく三人とも髪が濡れていた。
「そういうわけとちゃう。レースに関係ないキミらに興味ないわ」
 吐き捨てるように言って脇を抜けて早足に階段を下る。階段の電気も最低限しか灯っていない。
 丁度階段を折り返す踊り場の明かりだけがぽつんと光る中でふと足を止めた。天井近くに設置された照明の造りが凝っていたせいか自然そちらに顔を向けていたからで、登ってくる音が聞こえたからではない。音はしなかった。濃紺の浴衣を着た男が踊り場から二段降りた位置に立っている。そちらに顔を向けなくともそれが誰なのか、どれだけ美しい顔をしているのか何故か解った。濡れた髪にはいつものカチューシャはつけていない。視界の端に、ほんのわずかにしか見えない東堂の姿がまるで脳裏に映されるようにくっきりと解る。その事実に嫌な汗が首元を伝った。
 見つめられている皮膚がじんじんと痛むほどの視線を感じた。綺麗な顔立ちは表情がなければ恐怖の対象だと初めて知った。
 挨拶をするような間柄ではない。皮肉や嫌味なら言っても不自然ではない。この張りつくような不快な空気を払しょくできるなら何でもいい。何か口にしなくてはと思うのだが喉が急激に乾いて声が出ない。せめて何も言わずとも彼の脇をすり抜けて風呂場に向かえばいいだけだ。だというのに足が床に吸い付いたように動かない。
 とん。階段を一段上がる音がした。スリッパを履いた足音は軽いがその音がやけに重々しく感じた。
 とん。踊り場まで上がった気配を感じる。自然鳥肌が立っていた。振り向いてはいけない。昼間に聞こえた警報が頭に鳴り響く。10センチ下にある東堂の顔を見てはいけない。
「御堂筋」
 昨年聞いた東堂尽八の声はこんな温度ではなかった。暑苦しいほどの熱気を持った疎ましい声だった。確かに御堂筋に向けた声ではなかったけれどそれでもこんな温度で彼が喋るとは誰も思わないだろう。名前を呼ばれた御堂筋ですら声の主を疑ってしまった。
 疑い、思わず顔を見た。しまったと気付いた時には無表情だった美しい顔は
笑顔になっていた。恐ろしい無表情よりもずっと気味の悪い冷ややかな笑みに。
「まさかお前が分かる側の人間とは思わなかった」
 爪まで綺麗な指先が伸ばされて頬に触れる。振り払うこともできず、風呂上りにしては冷たすぎる体温に鳥肌が広がった。
 これは東堂尽八ではない。ならばなんだと凍った身体と引き換えに脳をフル回転させる。見た目は間違いなく東堂尽八だが、けれど、脳に浮かぶありえない考えに御堂筋は視界がくらむのを感じた。
 死体だ。そう思った。歩き、喋っていて、自分以外は間違いなくそれを東堂尽八という生き物だと判断している。けれどこれは違う。生きていない。
 美しく微笑む顔が指先で触れていた箇所にそっと近づいて口づけをした。触れらた場所から、ゆっくりと冷気が広がっていくのを感じて身震いする。
 頼りない照明がだんだんと暗くなっていく。意識が遠のいているのだと実感する頃には灯りはすっかり見えなくなっていた。

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