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02



 日当たり良好、広さはそれなり、駅からも割合近いとあって、立地条件も悪くない。そんな、物件としては上等の括りに入るであろう五階建てのビルの三階に、九鬼はいた。
 六人が定員のエレベーターを降りて、真っ直ぐ目的のドアへと向かう。ほぼ毎日来ているので、その足取りに迷いはない。

 ノックもせずに開けたドアには、『九頭竜探偵事務所』と書かれていた。

「……何やってんの、お前」

 室内に入っての第一声がそれである。
 ドアを開け、ノブに手を掛けたままの九鬼は、呆れたような視線を床に落とした。否、正確には、『床に這いつくばる少女』に。
 開かれたドアのすぐ近くに、少女はいた。何やら本棚と壁との隙間を覗き込んでいるようだが、その向きが非常に宜しくない。スカートの丈が短いせいで下着が丸見えになっている。
 九鬼は片手で目を覆い、本日一番深い溜め息を吐いた。自分は所謂ロリコンという特種な性癖の持ち主ではないので、そんなものを見せられたからといって欲情したりはしないが、もう少し考えて欲しいものだ。

「うん? ……あ、帰ってきたんだね。おかえりー」
「おう。とりあえずその水玉をどうにかしろ」
「水玉?」

 首を傾げながら見上げてくる少女を無視してドアを閉め、そのまま部屋の奥へと向かう。
 部屋には、三人は座れそうなソファーが二つ、ローテーブルを挟んで向かい合った状態で置かれていた。壁側には幾つかの本棚があり、分厚い本やファイルなどが並んでいる。全体的にきちんと整理されているようだ。
 九鬼が部屋の一番奥にあるデスクに携帯電話を置くと、後ろから少女の声が聞こえてきた。どうやら『水玉』が何を指しているのかに、気付いたらしい。

「えっちー、へんたーい」
「水玉パンツ卒業してから言うんだな」

 ニヤニヤと笑いながら言う少女――氷蛭禊(ひびる みそぎ)を振り返りながら、九鬼は鼻で笑った。

「大体、俺じゃなくて客だったらどうすんだよ。いきなり何の嫌がらせだって話だろ」
「なんかほら、あれだよ。ウェルカムサービス〜、みたいな」
「有難迷惑」

 一刀両断である。
 その反応に対して禊は頬を膨らませてみせるが、本気で怒っているわけではないとわかっているので、九鬼も別段気に留めはしない。
 実際、彼女はすぐに表情を笑顔に戻して踵を返した。向かう先はどうやら、先程の本棚の傍らである。

「で? お前はさっきから何してんだ?」
「んー……ちょっと待ってー」

 先刻と同じ体勢を取りながら返事をした禊は、本棚と壁との隙間に腕を突っ込んでゴソゴソとし始めた。
 一体何をしているのだろうか。内心首を傾げながら見守っていると、何故か禊の動きがピタリと止まり――次の瞬間、狭い隙間から腕が引き抜かれる。その手にしっかりと掴まれている、黒い物体には見覚えがあった。

「愛しのにゃんこ救出成功ーーーっ!!」

 ああ、やっぱりそうか。
 黒い物体こと黒猫のぬいぐるみを頭上に掲げながら嬉しそうに跳ね回る姿を横目に、九鬼は乾いた笑みを浮かべる。端から深刻な事ではないだろうと思っていたとはいえ、くだらない。そもそも何をしたらそんな場所にぬいぐるみが入るのかが謎だ。
 そんな視線に気付いたのか、ほんのり埃かぶったぬいぐるみを軽く叩きながら、禊はにっこりと笑った。

「本棚の掃除してたら転がっちゃったの」
「……ぬいぐるみ片手に掃除すんなよ。どっか置いとけ」

 もはや呆れを通り越して溜め息も出ない。

「まあ、それは置いといて。えっと……三十分くらい前にね、お客さん来たよ」

 まだ何か言いたげな九鬼の様子に気付いているのかいないのか、禊は壁に掛かった時計を仰ぎ見ながら思い出したように言った。
 彼女はこの探偵事務所で働く、唯一の所員だ。一応は事務員として雇われているが、実際の仕事内容は事務だけではない。所長と所員が一人だけという、非常に少人数の事務所だから仕方がないと言えば仕方がないのだが、人手が必要になれば必然的に駆り出されるのだ。だから、“一応”なのである。
 所長の留守中に客が来たとなれば、その対応を所員がするのは当然の事で。

「でも九鬼さんいなきゃどうにも出来ないし、帰って来るの待つかどうか訊いたんだけど、『また来ます』って言って帰っちゃった」

 そう言って禊は肩を竦める。大方、折角客が来たのにタイミングが悪いとでも思っているのだろう。客がまた来ると言っていたからといって、本当にもう一度来るという保証など無いのだから。探偵に用があるのなら、他の探偵事務所に行ってしまう可能性もある。
 しかしながら、九鬼はその可能性を少しも懸念していなかった。むしろその方が有り難いと思っている。
 けれども、そんな事を言えば禊がどんな反応をするかよく理解しているので、口を噤んでおいた。



 



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