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 悪というのは人の目を掻い潜り、深く根を張って蔓延るものである。
 故に人の目につきにくい、所謂死角という場所は、時に無法地帯と化す。悪を忌避する者は寄り付かず、逆に悪を求める者はそこに集い、取締りを上手く避けながら規模を拡大していくのだ。

 と、いうわけで――。

「オッサン、痛い目に遭いたくなかったらさっさと金出しな」

 ――路地裏というのは何故、こうも荒れているのか。
 ニヤニヤと笑いながら威嚇してくる不良達に囲まれながら、煙草をくゆらす男は嘆息した。

「随分とベタなセリフをどーも。でもお兄さんまだ二十代前半だから、オッサンはねーだろ」
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ!!」
「……またベタな反応をどーも」

 近頃の若者は沸点が低くて頂けない。若干の絡みづらさに歳の差を感じ、少し複雑な気分になった男は、煙草の灰を落としながら苦笑した。ここまでベタな反応をされると、こちらもベタな返しをした方がいいのかと迷う。とはいえ、ほんの一瞬迷う程度でしかないのだが。

 数人に囲まれる一人、という図は、路地裏という場所ではあまり違和感がない。
 横倒しになり中身を散乱させたゴミ箱や、落書きが目立つ壁。更にはコンクリートの壁をキャンバスにして描かれた、もはや落書きの域を超えた絵も辺りには見受けられる。
 そして極め付けが、周りを囲むガラの悪い不良達だ。これぞまさに、路地裏ならではの風景と言えるのではないだろうか。
 そんな中、数人に囲まれる一人という図は、風景の一部としてごく自然に溶け込んでいた。

「さっさと出せっつってんだろうが!!」
「ブッ殺されてぇのか!?」

 何やら物騒な武器をちらつかせている彼らは、まだ少年と呼ぶに相応しい年齢なのだろう。ばらつきはあるようだが、中には中学生程度にしか見えない少年までいる。そんな子供がナイフで武装しているのだから世も末だ。もっとも、ここが日本であるからこそナイフで済み、手に持つのが拳銃でないだけまだマシだと言えるのかもしれないが。

「ったく……」

 年下の少年達に取り囲まれた男は、自分の置かれた状況に慌てる様子を見せない。その余裕ぶっているとも取れる態度が相手の怒りを煽るとわかっているが、実際面倒だとは思えど慌てる理由など無いのだから仕方がないだろう。
 じりじりと間合いを詰めてくる不良少年達は、どうやら見逃してくれる気など更々ないらしく、今にも飛び掛かってきそうだ。若さ故か、実に血気盛んである。面倒臭い事この上ない。

 はぁ、と深い溜め息を一つ。

「ガキの面倒見てやるほど、お兄さんは暇じゃねーんだよ」

 限界まで短くなった煙草を足元に落とし、靴の裏で踏み潰して火を消す。肺に溜めた最後の煙を吐き出して、男は面倒臭そうに頭を掻いた。





 太陽はとうに昇りきり、あとは沈むのみとなった時間帯。
 人通りの多い道で出来るだけ人込みを避けながら、九頭竜九鬼(くずりゅう くき)は歩いていた。すれ違う人々が皆、自分を見て嫌な顔をする事にうんざりしながら。

 原因は彼の口元にある。
 ゆらゆらと紫煙を立ち上ぼらせるそれ――白い巻紙に包まれた煙草をこの道で吸う事は、禁じられているのだ。だから、銜え煙草で平然と歩いている九鬼を快く思わないのだろう。悪いのは自分の方なのだから、冷たい目で見られるのは自業自得だ。
 しかし九鬼に言わせてみれば、歩き煙草が禁じられていようがいまいが、そんな事は関係ない。吸いたい時に吸いたいだけ吸う、それが彼のポリシーなのだから。仮に法律で喫煙が禁止されたとしても、きっと吸い続けるのであろう。
 お前は恐らく肺癌で死ぬ、と知り合いに口を揃えて言われるのが、九頭竜九鬼というチェーンスモーカーだ。本人曰く、喫煙が原因で死ぬのは本望らしい。


 高層ビルが建ち並ぶオフィス街の外れに来る頃には人の波も無くなり、あちこちから向けられていた咎めるような視線も気にならなくなった。
 九鬼はほっと息を吐いて新たな煙草を一本取り出すと、チープな百円ライターで火を点けた。軽く吸った後に深く吸い、肺が煙で満たされる感覚に満足する。何やら酷く美味しく感じられるのは、あの無言の圧力から解放されたからだろうか。目は口ほどに物を言う、とはよく言ったもので、人の視線とは恐ろしいと九鬼は改めて実感した。

(全く、世知辛い世の中になったもんだ……)

 これ以上、愛煙家に冷たく当たるのは止めてもらえないだろうか。
 常日頃そう思っている者は決して少なくないだろうが、今のところ喫煙者に対する世間の風は厳しくなる一方だ。だからといって禁煙するつもりなど微塵も無いのだけれど。
 そんな事を考えながら歩いていると、いつの間にか目的のビルの前に辿り着いていて、九鬼は足を止める。近道をするつもりで路地裏を通ったにもかかわらず、思わぬ障害があったせいで余計に時間が掛かってしまった。時計を見て確認するまでもない。
 九鬼は煙草の煙と共に溜め息を吐きながら、ビルの中へと足を進めた。



 



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