3 「戸山さんがリップサービスとか珍しー」 ギターを触りながらニヤつく透さんはメンバーの中で唯一年下の存在である。 彼の言う通り、普段はドラムの戸山さんがこんな風にトークをすることはあまりない。 だから、それ自体がファンからしたら貴重な時間なのだ。 「サービスのつもりはなかったけどなー」 「えー。マジは俺もキツいっすー」 「あー、それは安心して。俺の恋人はファンのみんなだから」 そう言って普段は飄々としてる戸山さんがにこりと笑った。 当然、割れんばかりの歓声で会場が沸き起こる。 「おいおい。マジでどうしたよ。バンドマン辞めちまったのかお前」 今のは結構真面目に嘆いている様子だった。 そんな南さんに対して戸山さんはいつの間にか普段の姿に戻ってしまっていて、そろそろ次にいこうと言う意思表示なのか、スティックを持ち直しドラムを鳴らし始める。 彼らのやり取りを笑って静観していた玲司さんも、ギターチェンジを済ませてマイクの前に立ち直す。 相変わらず一人だけにやついた表情で彼らを観察していた透さんが「まあ、まあまあ」と切り出して、話を見事に着地させた。 「うちのフロントマンは男も惚れちゃうくらい、圧倒的かつ絶対的な存在、ってことで」 「「ッ……!!」」 くうううう…!と昂った感情を無理矢理抑え込もうとして失敗した声が会場の至る所から聞こえてくるようだった。 透さん、貴方は俺達のことを分かり過ぎてるよっ…! 今の台詞こそ最高のリップサービスでした…! ”圧倒的かつ絶対的な存在”と言う言葉に激しく共感して昂っていた俺は、その前に付けられていた”男も惚れちゃうくらい”の部分をバッチリ聞き流してしまっていた。 そこに深い意味があったのかなかったのか、それはまた後で話させて貰います。 それから玲司さんの仕切り直しのMCによってライブも終盤へと向かい、残りの三曲で会場は完全に一つになった。 盛り上がりも感動も興奮も最高潮に達した状態で本編は無事終了し、感謝の言葉を述べながらメンバーがステージの袖に捌けて行く。 その姿を見送ってから直ぐにアンコールの波が生まれた。 いつもは俺も便乗するところだけど今日は既に胸がいっぱいになってしまっていて、一先ず今は座席に腰を下ろすことにした。 色々言いたいことはあるけど…とにかくもう…すごかった… 残念ながら俺にはこの感情を共有出来る相手がいない。今のところ。 いつも一人興奮した状態で帰宅し、帰宅後もどっぷりと余韻に浸かっちゃってあまり寝られず、翌日になって何とか一人で消化する…って感じでやってきた。 でも、今日は、なんと。 俺が玲司さんから直接貰ったのはLIVEの招待チケットだけじゃなかった。 実はもう一つ、彼から渡されていた物がある。 それは所謂”バックステージパス”と呼ばれる物で、終演後のステージ裏、つまり彼らの楽屋にお邪魔出来ると言う完全無敵の通行証だ。 それがあるから…いや、それがあるせいで。 いつもならこのままLIVEが終わらなければ良いと思っているところなのに。 今日はどうしても、終わった後のことを考えてしまう。 早く会いたい、なんて…思ってしまうんだ。 「アンコールありがとー」 客席の声に応えて再び出て来てくれたメンバーに改めて歓声と拍手が送られる。 そのタイミングで俺も立ち上がりもう一度ステージに意識を集中させようと気持ちを落ち着けていたら、突然玲司さんが「おーい見えてるー?」と投げ掛けながら関係者席に向かって手を振り始めた。 えっ?と思ったけど、どうやらそれは勘違いではなかったようだ。 「今日は俺の大切な仲間とか、大切な人達も来てくれてるから、そいつらにもお礼を言わなくちゃだよな。みんな来てくれてありがとー!」 「ッ……」 「もっともっとでっかくなって、もっともっとかっこよくなるから。これからもずっと、よろしくな」 玲司さんのその言葉を聞いて一階席の人達や関係者席周辺に座っている人達の視線がちらほらとこちらに向いたのが分かった。 まずいかな、と思ったけど今更マスクを着け直すのも変だし、玲司さんも特に変な発言をした訳じゃなかったからとりあえず視線だけ床に落としておいた。 恐らく俺は今、変な顔をしてしまっているだろうから。 「みんな今日は本当にありがとう。なんか俺達の方が楽しませて貰っちゃった感あるからさぁ。俺達以上にみんなが楽しんで貰えるように、ラスト二曲、全力で歌います」 そう言ってギターを抱え直した玲司さんが、PBのフロントマンたる堂々とした風格を漂わせ、会場の空気をがらりと変えてみせる。 そこからの二曲も彼の宣言通り、圧倒的な明るさと楽しさを俺達に見せつける形で会場の熱気を今日一番のものにしたのだった。 「また来年のこの日も、こうやってみんなと一緒に楽しい時間を過ごせますように。もっとパワーアップして帰ってくるから、また俺達に会える日を楽しみにしといてください」 「今日は本当にありがとうございました」と玲司さんの挨拶に合わせてメンバー全員が深々とお辞儀をする。 大きな拍手と歓声が鳴り止まぬ中、笑顔の彼らが手を振りながらステージを降りて行く。 そこで本当に、今日のLIVEの全てが終了してしまったのだと実感した。 何だかんだアンコールもすっかり彼らの勢いに呑まれてしまった。 ただのファンに戻って周りと一緒に盛り上がっていたから燃え尽きた感すらある。 このまま今日聴いたPBの音楽をイヤホンで聴きながら帰宅する時間が滅茶苦茶幸せなんだよなあ…と暢気なことを考えていた途中で今日はそれが出来ないことを思い出した。 この後の動きは玲司さんから指示されている。 一先ずある程度の人達が会場の外に出るのを待ってから、近くにいるスタッフにパスを見せて楽屋に案内して貰うようにと言われている。 それに従い、その場に座ったまま一階席の様子を何とも言えない気持ちで眺めていたら「すみません」と横から声を掛けられた。 向けた視線の先には見たことのある顔の男性がいて。 「あ、えっと、PBの…マネージャーさん?」 「はい。瀬戸がいつもお世話になっております」 「っ、い、いえ…こちらこそ…」 「楽屋に案内するように言われていたので、今からお連れします」 「あっ、そう、なんですね」 俺が聞いていた話とはちょっと違ったけど、マネージャーさんに案内して貰えるならその方が確実だ。 立ち上がって「お願いします」と頭を下げるとふっと微笑まれ、そのまま会場の外へと連れ出された。 スタッフの人達何人かとすれ違いながら、通路を進んで奥へと向かう。 彼の後を黙ってついて行っていたら、歩きながら振り返った彼が申し訳なさそうな困惑したような表情をこっちに向けてきた。 「瀬戸が何かとご迷惑をお掛けしているようで…」 「えっ…!?」 迷惑って、何のこと!? 何でそんなことをマネージャーさんが…!? 「迷惑だなんてっ、とんでもないですっ!今日だってこんな風に招待して貰えるなんて思ってなかったから、凄く嬉しかったですし…」 「貴方はお優しい方なので色々と呑み込んでくださっているのかも知れませんが、何か困るようなことを言われたら堂々と言ってやってください。その方が瀬戸の為にもなりますから」 「っ……は、はあ……」 そう言われても。 マネージャーさんが何を思ってそんなことを言ってくれているのかがいまいち理解出来ないけれど、俺は別に玲司さんに困らされているようなことは何もない。 寧ろそんな風に言われる方が困ってしまう…と言う気持ちが顔に出てしまっていたようだ。 「出過ぎた真似でしたね。すみません」と謝って前を向き直したマネージャーさんに俺は「いえ…」と一言返すことしか出来なかった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |