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俺は今、とあるホール会場に来ている。
と言うのも、今日は俺が数年にわたり応援し続けているPBことPopping Bubblesのデビュー四周年LIVEの日である。
その記念すべき日のLIVEに俺は一人のファンとして参戦する為にこの会場にやって来た…筈だった。
でも俺は今、頑張って自力で手に入れた筈のチケットを持っていない。
正確には持っていたチケットを公式トレードに出して別の人に譲ってしまったんだけど、何故そんなことをしたかと言うと。
それはとある”強力なコネ”から”関係者席に座れる”と言う魔法のような招待チケットをいただいたからである。
その強力なコネとは言わずもがな、PBのボーカル兼俺の恋人である瀬戸玲司さんのことだ。
そんな兼任を肩書きみたいに紹介するのは非常に烏滸しいと言うことは重々承知している。
俺だってまさか彼とそんな関係になってしまうとは思ってもみなかったけれど、それが紛れもない事実なのだから世の中何が起こるか分からない。
そんな彼から「葉太を関係者席に招待したいと思いまーす」と言う吃驚仰天なお誘いをいただいたのが数週間前のこと。
初めは断ろうとしたんだけど「駄目、もう決定事項だから」と真正面から逃げ道を封じ込まれてしまい、了承せざるを得なくなった。
勿論それはとても有り難いお誘いだよ?
でも、俺なんかがそんな特別な席をいただいてしまって良いのかと遠慮してしまうのも仕方がないと思うんだ。
幾ら事実上は恋人だったとしても、俺達の関係は公には出来ないような複雑な関係なのだから。
そんなこんなで、そわそわしながらも会場に着いて受付で恐る恐る招待チケットを見せ、案内された座席におずおずと腰を下ろしてしまった訳なんですが。
関係者席と名が付くくらいだから恐らく周りはPBと親交がある別バンドの人達や仕事上の付き合いがある人達が殆どなのだろう。
もしかしたら芸能記者の人もいるかも知れない。
思わぬルートから何かしらの良くない情報が流されてしまわぬようにと一応マスクを着けて軽い変装はしてきたものの、周りの目には少し警戒してしまう。
と言っても、俺のことを知っている人は少ないだろうから一般の関係者だと認識されるだろうとは思うけど。
そんなことを考えながら、いつもとは別の意味で緊張しつつ開演を待つこと十数分。
いよいよライブが始まると言う頃になると俺はすっかりただのファンになってしまっていて、会場の照明が落とされるとマスクを外して食い入るようにステージに注目してしまっていた。
次第に音楽が流れ始め、メンバーがそれぞれステージ上に現れる。
最後に登場した玲司さんの姿を確認するや否や、既に上っていた歓声が一際大きくなって会場を揺らした。
やっぱり彼はとりわけ人気のようだ。
そんなことは知り尽くしているけれど、今日は何だかそれが嫌な感じで俺の胸を刺激してきた。
それが何と言う感情なのか自覚はあるけれど、今この場では不必要な感情だと思って目を逸らすことにする。
「今日はみんな、来てくれてありがとう。俺達にとって記念すべきこの日に、この会場に集まってくれたみんなには心から感謝します」
一曲目のイントロ部分が演奏されている中、深くお辞儀をした玲司さんが彼の言葉通り心から嬉しそうな笑顔を浮かべて客席を眺めた。
その後、音楽のボリュームが下がっていき、数秒間会場が静寂に包まれる。
その間に玲司さんの表情もすっと切り替わっていて、すっかりアーティストの顔をしてマイクを握り締める彼に俺の全意識が持っていかれた。
「俺達の始まりの歌」
短い紹介の後直ぐに音量が上がり、彼らのメジャーデビュー曲の演奏が始まった。
いきなりこの曲を歌うなんて…!と色んな意味で感動している俺は最早周りの目など気にしていない。
彼らにとって記念すべき日と言うことは、俺達ファンにとっても大切な日である。
そんな日に用意された貴重なこの時間を、こうして彼らと、そして沢山のファンの人達と同じ空間で過ごせることは幸せ以外の何ものでもない。
胸にぐっと込み上げてくる思いを抑えながら、目と耳と、そして肌で彼らの音楽を感じる。
生で聴く音楽は当然迫力も違うし、伝わってくるものも多い。
ステージに立つ彼らはいつも以上に光り輝いて見えて、手を伸ばせば届きそうだけど届かない。
そんな微妙な距離までも感情を昂らせる要因となってしまうのだから、改めてLIVEの凄さを実感する。
デビュー曲の演奏が終わると立て続けに二曲のアップテンポなナンバーが披露され、会場が熱気に包まれたところで初のMCタイムとなった。
初めに御礼や短い感想を口にした玲司さんが、客席の各方面に向かって手を振りながら「後ろまで見えてるよー」と声を掛ける。
それをいつもの姿勢で聞いていたら、不意に彼の目がこちらに向いた。
そのまま目が合ったような気がしてドキッとしたけど、まさか本当にここまで見えているとは思わなかったから俺もじっと彼に視線を注いだ。
関係者席は二階のステージ正面に位置する場所に設けられているので視界は良くても距離は離れている。
シルエットなんかは認識出来たとしても一人一人の表情まで細かくは見えないだろうと思っていたら、こちらを向いたままの玲司さんがにこりと笑った。
その笑顔が、俺が彼と過ごす時に向けられるものと同じに見えて、ぎゅっと心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受ける。
「今日は本当に、特別な日だから。俺達も最初から最後まで全力を出すし、みんなも全力で楽しんでいって欲しいと思ってます」
玲司さんの言葉に応えるように拍手が起こる。
その反応を受けてふっと笑った彼が「みんなの全力ってそんなもん?」と煽ると、より一層大きな拍手と歓声が沸き起こった。
もう一度彼が「そんなもんー?」と叫ぶと更に大きな声が返り、それに満足したようににやりと笑った彼に無数の黄色い悲鳴が鳴り響く。
俺も、今の笑みは叫ばずにはいられなかった。
勿論心の中にとどめておいたけど、今のはどう見ても反則だ。
格好良いし、可愛いし、色気が凄い。
そう、ステージ上の玲司さんは毎度のことながらどこか妖艶な雰囲気を醸し出しているのだ。
言葉で言い表すことが出来ないような彼独特の色気が滲み出てしまっている。
それはまた、ベッドの上での彼とも違う。
何かが憑依したみたいなその姿は彼の完全なる素の状態とも少し違うんだろうし、けれど、それもまた確かに彼を構成する一面である。
そうすると、やっぱり俺にとって彼は手の届かない存在だな…って、思ってしまって。
「最後までずっと、俺達から目を離さないようにな?」
そんな俺の心情を見透かしたみたいなタイミングでステージから投げ掛けられた言葉に鼓動が跳ねた。
そうだ、今は余計なことを考えている場合じゃない。
もっとちゃんと集中して、全身で彼らの音楽を楽しまなければ。
どこに座っていようと今ここにいる俺は、PBのファンの内の一人に過ぎないのだから。
演奏が始まるとまた直ぐ彼らの世界に惹き込まれていった。
楽しい曲も、明るく前向きな曲も、ちょっとミステリアスな曲も。
会場が一体となって彼らの歌に心を震わせ、玲司さんが紡ぐ歌声や言葉に胸を打たれ、その魅力にどっぷりと浸かっていく。
そんな時間はあっと言う間に過ぎていって、気付けばもう残り三曲となってしまっていた。
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