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でも時間があるからってこんな場所で男が二人抱き合っててもいいってことにはならないと思うんだよね。
正確に言うと抱き合っている訳じゃなくて一方的に抱き締められているだけなんだけどさ。
「馬場さん」
「なあ、ついでにもう一個だけ、我がまま言っても良い?」
「……とりあえず聞くだけ聞いてみます」
「俺のこと名前で呼んで貰いたいんだけど」
「んあ?」
アホみたいな声で訊き返すと「あ、俺の下の名前知らないか…」と見当違いな発言をしゅんとした声で言われたからとりあえず「尊(ミコト)さん」と呼んでみた。
「え…」と返された声も俺に負けないくらいアホっぽかったからついつい笑ってしまう。
「流石に名前くらい知ってますよ。近所のお姉様方も尊くん尊くんってきゃっきゃしてますし。あ、これオフレコで」
「え?あ、うん。いやでも、そんなにさらっと呼ばれるとは思ってなくて…」
「なんで?名前くらい普通に呼びますけど。おばちゃ…おっと危ない。お姉様方がよくて俺が駄目な理由って何かあります?」
「っ、ない。全然ない。一個もない。寧ろ詩音にだけそう呼ばれたい」
あ?ああ、うん、それは無理だな。
そう思いながら、ちょっと必死になってる尊さんが可愛くてまたまた笑ってしまった。
笑ったのがバレたんだろう。
そっと身体を離した彼が至近距離から見つめてくる表情が、…なんて言うんだろうな。
自分で言うのも恥ずかしいけど、愛しいって感情が溢れているような…
まあ、そんな感じの顔で見つめられているから、俺の笑みもぎこちないものへと変わってしまう。
「どうか、されましたでしょうか」
「どうかしてんのかな。どうかしてんのかもな。詩音が好き過ぎて苦しい」
「ッ……好き過ぎると苦しくなるんですね」
「分かんない。色々我慢してるからかも」
我慢、とは。
ある程度の予想は立てられるけど、色々の中にどれだけの種類の我慢が含まれているのかは俺には分からない。
そしてそれを、俺がどうにかしてあげられる訳でもないだろうことも、何となく。
「尊さん」
「詩音に名前で呼んで貰えるのが嬉しくてどうにかなりそう。もう一回言って」
「っ、変に照れる要素付け足すの止めて貰えます?呼びづらくなるじゃないですか」
「それは困る。けど、しょうがないだろ。嬉しいんだよ」
おい、なんだこの人。
ここに来る前に俺の三倍くらいの糖分補給してきたのか?
なんでそんなにも堂々と恥ずかしいことが言えるんだよ。全然しょうがなくねえよ。
「みこ、と…さん。ほらあなんか変な感じになっちゃうじゃないですかあ」
「全然変じゃないよ。今のも可愛い」
「なっ…」
なんなんだ、マジで。
どいつもこいつも、リミッター解除した途端にこれだよ。
尊さんに関しては前々から俺に対して可愛いとかなんとか言ってくる機会はちょくちょくあったけど。
全部ふざけて言ってるか子ども扱いされてるんだと思ってた。
まさか今までのも本気で言ってたんだろうか…と思ったら恥ずか死ぬからちょっと考えるの止めます。
「外暑かったですか?」
「暑いよ」
「ですよね。確かにここも暑いですもんね。さっきまで涼しい部屋で寝てたから俺はまだ涼しさ貯蓄出来てるんだと思うんですけど」
「うん」
「尊さんはずっと外にいたからだ。だからですよね?」
「何が?」
「なんかその…その感じが」
「その感じって?」
「だからその……糖分です、みたいな感じ?」
俺としてはこれ以上ないくらいに的確な表現が出来ていたと思う。
まあそのお陰で、その意味はちゃんと彼にも伝わったようだ。
にやっと笑った彼が「好きだろ?甘いの」と訊いてきたから反射的に頷いてしまった。
そしたらもう、これはもう例えようがないんだけど、なんかもう無理ですってなるくらいの笑顔で「可愛過ぎるんだけど」と言われたから「なんかもう無理です」って言って顔を覆い隠した。
「どうしよ。ほんと可愛い。詩音のことどろどろに溶かしたい」
「それなら炎天下に放り投げて貰えれば直ぐにでも溶けると思いますはい」
「そっちじゃなくて、まあそっちも捨てがたいけど」
「完全犯罪目指してます?」
「は?ごめん、今のはちょっと汲み取ってあげられない…かも知れない」
なんでだよ。
熱中症で倒れてご臨終ってことにしたら尊さんが罪に問われることはないだろって意味だろ。
分かれよ。汲み取れよ。
いつも汲み取ってくれてんじゃん俺の意味不明な発言をさあ。
「いいです今のは忘れてください。どちらにしろ、俺のことをどろどろに溶かそうとするのは止めていただきたいです」
「何で」
「なんでって、そんなの困るからに決まってるじゃないですか」
「どうして困るの?」
「え、困るでしょ。溶けたら人間として生きていけなくなるじゃないですか」
「そうなったら俺が面倒みるから大丈夫」
「全然大丈夫じゃないです。え、もしかして俺のこと――」
「詩音」
「ッ……」
たかが名前くらいで、と思っていた数分前の俺はどこへ行ったのか。
呼ばれなれている筈の自分の名前が、声と状況だけでこうも違って聞こえるものだとは。
「なん、でしょう」
「もう一回キスしたい」
「っ…いや、……」
「嫌?」
「…………」
だから。
そうゆーのがずるいんだって、分かっててやってのかな、この人。
まあこの場合は、俺もなのかも知れないけど。
無言を貫くと、顔を覆っていた手をそっと剥がされてしまった。
その下にあった俺の顔を見て少し驚いたように目を開いた彼が、その後ふっと表情を緩めるようにして笑って、それから頬に手を添えてくる。
「詩音のこと、今日でもっと好きになった」
「………」
「可能性が1%でもあるなら、俺はその可能性にかけてみようと思う」
「………」
「いつか詩音の気持ちが俺と同じものになって貰えるように、努力するから」
その先の言葉は何もなかった。
そもそも俺の返事なんて求めていなかったのか、それとも彼は俺の無言が肯定だと言うことを理解してしまっているのか。
だとしたら口惜しいから、勇気を振り絞って「分かりました」と答えてやった。
未知の世界に足を踏み入れる怖さはあったけど、それに打ち勝つだけの感情が今の俺の中には確かに存在していた。
その感情を俺は、好奇心だと思うことにする。
少なくとも、今は。
「好きだよ」
そう囁いて俺の唇を奪った尊さんは、本当に俺のことを溶かそうとしているんじゃないかと怖れるくらい、ただただ気持ちいいキスを俺に与え続けた。
キスのやり方なんて分からない俺に、優しく諭すような動きで。
でも着実に、彼のペースで俺の意識ごと呑み込んでしまおうとしているような、そんな怖さもあって。
「んうっ…みこ、とさ…っ」
やっぱりこれ以上は怖くなって、胸を押し返しながら名前を呼んだらそのタイミングで彼の手が俺のアソコに触れた。
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