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そう考えると俺は、徳川さんに告白された段階でもう既に落とされちゃってたのかも知れない。
それはもうがっつりハートを鷲掴みにされちゃってたんだろう。
やり方がずるいったらありゃしない。
「徳川さんの笑顔は、俺が徳川さんだけに懐く猫にならないと独り占め出来ないですよね」
質問に見立てた願望をぶつけると、そっと身体を離した徳川さんがその顔に優しい笑みを浮かべて見下してくる。
「独り占めしたいんだ」
「まあ、出来ることなら」
正直に答えると徳川さんの笑みが深くなった。
この人がこんな風に笑うってこと、どれくらいの人が知ってるんだろう。
少なくともおばちゃん達は知らない筈だけど、一回解放されたからこれから先ぽろっと出ちゃうこともあると思うんだよね。
「徳川さんのそんな顔見たらみんな徳川さんに惚れちゃうじゃないですか」
「そんなことはないよ」
「ありますよ」
「ないよ。詩音くんのことが好きだって顔は、詩音くん以外に見せる気はない」
「っ……」
やっぱそう言う台詞も、この人が言うと意外性があり過ぎて動揺してしまう。
咄嗟に目を逸らしたらふっと笑われ、くやしくなって視線を戻すと穏やかな表情で見つめられた。
「この前僕が言ったことは忘れてくれて良いよ」
「…どれのこと?」
「僕だけに懐いて欲しい、ってやつ」
「……なんで?」
「いきなり多くを望み過ぎるのは良くないって分かったから」
「……?」
その説明だけでは理解が出来なかった。
軽く首を傾げると「折角詩音くんと親しくなれたのに、その時間を失いたくない」と言われて「なるほど」と返す。
「それは俺も同じことを思ってます」
「…まさか詩音くんもそんな風に思ってくれてるとは、僕は思いもしなかったけどね」
「徳川さんってそう言うとこありますよね。基本的に自分に自信ないタイプですか?」
「まあ、そうかも知れない」
「やっぱり」
「勿体ないなぁ」と漏らすと徳川さんが何が?って顔をした。
その反応を見て徳川さんにはそのままでいて貰った方がいいなと思ったから「何でもないです」って言っといた。
徳川さんが自分の魅力を自覚して、それを武器として使われたらめちゃくちゃ強そうだから。
そうなるにはまだ俺の防具も揃ってないし、耐性は少しずつつけていきたい。
「ちなみに俺がした発言は訂正する気はないんですけど、補足はさせて貰ってもいいですか?」
「どの発言?」
「徳川さんの前では猫だからってやつ」
「…ああ。何を補足するの?」
「あれは徳川さんに尻尾を振る気がないよってことじゃなくて、徳川さんがある意味特別なんだよって言いたかっただけです」
徳川さんの前では俺お得意のイッヌ精神がなかなか発動してくれない。
何故だかちょっと猫を被ったまま挑んでしまう。
そしてちょっとツンとしてしまったり、素直さが欠けてしまったりする。
「徳川さんにも尻尾ぶんぶん振りたい気持ちはあるんですけど、徳川さん相手だと何故か恥ずかしさが勝っちゃうんですよ」
「それは、最近親しくなったからじゃなくて?」
「そうなんですかね。でも、よく見られようとしてる感じがするんですよね」
「…他人事みたいに言うんだね」
「はい。だって、自分でもよく分かってないんですもん。こんな感じになるの初めてだから」
だから特別なんだと思う。
そう伝えたら、徳川さんが「猫のままでいいよ」と言って指先で首元をなぞってきた。
擽ったくて身をよじると、俺の反応を見た彼が嬉しそうに微笑む。
「詩音くんが僕にも素直に甘えられるように、これから時間を掛けて飼い慣らしてあげる」
「マジの猫扱いしてるじゃないですか。普通に擽ったいんですけど」
「キス以上のことはしないから警戒もしなくて良いよ」
え、なんか無視されたんだけど。
「てかキスはするんですね」って言ったら当然のように「するよ」と返された。
まあ俺もしたいからいいけど?と思ったから何も言わなかったのに「その分好きになって貰わないといけないから」とか言われてキスしづらくなってしまう。
「…好きになる為にキスするみたいじゃないですか」
「そう思って貰っても」
「良くないです。そしたら俺、三人とも同じだけ好きになっていきますよ」
「まあ、それはもう今更なんじゃないかな」
今更って、まるでこうなった経緯を知ってるみたいな言い方だな。
俺ってキスしたせいで三人のこと好きになったの?
だとしたら柚希のこともそう言う意味で好きになってる筈なんだけど。
「徳川さん的にはそうなっても良いってことですか?」
「良いとは言わないよ。でも、僕だけ置いていかれる訳にもいかないから」
「いや、そんなのキスの回数で競わないでくださいよ」
キスしたらその分好きになるようなことがあったとしても、キスしなかったら好きにならないのかって言ったらそうじゃなくない?
ってなんかもう俺、三人のこと相当好きじゃない?
これもう好きになりかけとかじゃなくない?
え、こんなもん?
「でも、詩音くんもキスは好きだよね」
「まあそうですね」
「そこは素直なんだ」
「俺は大体が素直なんですよ。あと今日は特別素直になるって自分と約束しちゃってるんでね」
自分で言って思い出した。
そうだった俺、今日はいつもより素直さを心掛けなきゃいけないんだった。
「それは僕の為?」
「自分の為です」
もう徳川さんに勘違いされたくないからだと付け足すと、徳川さんの眉毛が少しだけ下がった。
なんかまずいこと言ったかな?と考えてみたけど分からないから、ストレートに「なんでそんな顔するんですか?」と訊いてみる。
「…自分が情けないなと思って」
反省してるような様子でそう言った彼に思わず苦笑を漏らしてしまった。
結構な時差はあったけど、やっぱりイケメンの発言って被りやすいらしい。
全員同じこと言って勝手に反省してんじゃないよ。まったく。
「今のは詩音くんって健気だなぁって顔するところだと思うんですけど?反省なんかおうち帰ってから勝手にやってくださいよ」
「…ごめん」
「謝らなくていいから早く詩音くん健気だなぁって顔してください」
無茶だと分かっていながらした要求に徳川さんはちゃんと応えてくれた。
俺の要望通り詩音くん健気だなぁって顔を見せてくれた彼に「その顔も俺専用ですからね」と言ってへらっと笑う。
「…今の詩音くんは特別素直なの?」
「んー。まあ、そうですね」
「じゃあ、僕には少し素直くらいが丁度良いかも知れない」
「ほう。とことん自分に甘くないんですね」
「素直な詩音くんが甘過ぎるんだよ」
僕には甘過ぎる…と少し困ったように呟いた彼に抱いたこの感情が恋とか愛とかそう言う類のものではない可能性もある…と言う考えを少しは残しておこうと思う。
そうでもしないと、一度認めてからの加速が半端ないこの感情がどこまで増幅してしまうのか予想がつかないから。
だから俺は、キスをすればするほど好きになるとかそんな理論は信じないことにする。
そうなると困るけど、キス出来ないのはもっと困るから。
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