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「直輝さん」
バクバクいってる心臓の音をかき消すように名前を呼ぶと、ふっと笑った彼が「しっくりきた?」と訊ねてくる。
うん、と頷いてからじっと目を見つめていたら、目元を緩めた彼がそっと唇を重ねてきた。
お互いに目を閉じていないから、最初にキスされた時のことを思い出してついつい笑ってしまう。
「なに」
「ファーストキスの感想を思い出してました」
「どんな感想だったの」
「うわ、柔らか」
ですね、と伝えると直輝さんがクスリと笑って「詩音くんのも柔らかいよ」と然程興味ない情報を与えてくる。
まあ硬いと思われるよりマシか?くらいにしか思わないから「そうですか」と返した。
それだけで直輝さんが嬉しそうな顔をするから、多分変わった人なんだと思う。
「ご機嫌ですね」
「これ以上ないくらいにね」
「まだ付き合った訳じゃないのに」
「まだ、ね」
そう言ってまた嬉しそうに笑う彼を少しばかり睨む。
「ごめん。でも可愛い」
「なんで尊さんって分かったんですか?」
「うわ、そんなやり方する?」
「食らいました?」
「そこそこ」
絶妙に嫌なタイミングで切り出すねと言われて、にやりと笑って見せた。
勝手にゴールイン後みたいな雰囲気出すからだよ。
決めらんないって言ってんのに。
「馬場くんとは顔を合わせた時によく詩音くんの話をしてたからね」
「え、何それ俺のなんの話?」
「詩音くんが可愛いよねって話」
「はあ?」
なんだそれ。なんでそんな話になるんだよ。
俺がいない所で勝手にそんな話すんなよ勿体ないだろ。
「そうゆうのは直接言ってくださいよ」
「言えてたら言ってたよ。と言うか、それとこれとは別って言うか」
「何が別?」
「うん…まあ、お互いに牽制し合ってたみたいなところがあったから」
また出たそのワード。
牽制って何だよ。段々牽制の意味がよく分からなくなってきたじゃないか。
「そう言うのって、何となく感じるものがあるんだよね。多分馬場くんも詩音くんのこと好きなんだろうなって」
「へえ」
じゃあ尊さんの言ってたことは正解だったわ。
確かにこの人も勘付いてたみたいだ。
でも直輝さんのその勘は柚希に対しても発動しちゃってたから、いまいちあてにならないんじゃない?とも思う。
尊さんのことはたまたま当たっただけかも知れない。
まあそんなことはどうでもいいか。
「ちなみに尊さんにもバレてます。直輝さんのこと」
「話したの?」
「いや、直輝さんと同じ流れで」
「ああ。じゃあ、次からは普通に会話出来ないな」
「なんでですか」
「公式ライバルになったから」
公式ライバル…
そんな言葉を勝手に作らないで欲しい。
俺は二人にバトって貰いたい訳じゃない。寧ろ困る。
「マジで俺の為に争わないでーって状況ですね。仲良くしてくれないと困ります」
「そんなあからさまに喧嘩したりはしないよ」
「あからさまじゃなかったらいいって話でもないですよ」
「でも俺より向こうの方がそんな感じになってるんじゃない?」
「…なんでですか」
その僅かな間を鋭く読み取った彼が「だよね」と納得したように漏らす。
だよねってなんだよ。
二人の間にあるその感じはなんなの?マジで。
「お二人がピリついてたらこのエリア一体の空気が悪くなるも同然だと思ってください」
「何それ」
「お二人の笑顔にどれだけの経済効果と癒し効果があるかご存じないんですか?」
「…うん。知らない」
嘘だろ…自覚なかったのかよ…
困ったように苦笑するイケメン1に唖然としてしまった。
イケメン1は若干鈍いのか?
イケメン2はあざといから気付いてそうだけど。
イケメン3は……興味なさそうだな。
てか、二人がそんなだと徳川さんの負担が大きくなるじゃないか。
あの人滅多に笑わないのに、頑張って笑わないといけなくなるだろ。
あの人まで愛想振り撒き始めたら人気が覆るかも知れないけど、それでいいのか?
そんなの…俺は認めないぞ。
「そんなに心配しなくても馬場くんと会う機会なんて滅多にないよ」
「そんな貴重な時間に俺の話なんかしてたんですか」
「詩音くんに会える時間の方がよっぽど貴重なんだけど」
「直輝さん的にはそうかも知れませんけど、」
「さっきから誰の話をしてるのか知らないけど、今は俺と詩音くんだけの時間だよ」
それは暗に他の人の話をするなと言うことだろう。
大人しく口を噤むと、直輝さんの手が頭の上に乗せられる。
「今だけで良いから。せめて今だけは俺のことだけ考えてて」
ぽんぽんと頭を撫でる手から直輝さんの優しさが伝わってきて、胸がきゅっと苦しくなった。
今だけで良いから、だって。
やっぱり優しいんだよなあ、この人。
「直輝さんって基本的に優し過ぎますよね」
「そうかな」
「うん」
だから好き、と伝えるとキスされた。
柔らかい…と感想を言うとまたキスされて、ふっと笑ってもキスされる。
「くすぐったい」
「唇?」
「や、この辺」
胸の辺りを抑えながら答えると戯れのようなキスが止んだ。
でも、内容が濃いやつに変わっただけでキス自体は止まなかった。
暑さはもう気にしていないけど、あとどのくらいこうしていられるのか、時間の方はどうしても気にしてしまう。
早く仕事に戻らせてあげないといけない。
分かってるけど、もう少しだけ…と欲張ってしまう。
自分が欲張りだってことは自覚していたけど、前とは随分内容が変わってしまった。
いや、変わってしまった訳でもないのか。
全員失いたくないと言う意味では何も変わっていない。
そこに別の要素がどんどん追加されていってるだけだ。
恋愛って怖ろしいな、マジで。
「は、ぁ…もう、時間…」
それでもまだ、欲望に打ち勝つだけの理性はちゃんと残っていたらしい。
時間と聞いてちらっと腕時計を確認した直輝さんが、また最初のような触れるだけのキスを繰り返しながらその合間に「もう少しだけ」と漏らす。
「んっ…こんなに、キスして…よく仕事に…戻れますよね」
「触ってくれるの?」
「なっ…んで…そうなるんですか」
「心配してくれてるのかと思った」
「…心配って言うか…」
気になったって言うか…
これは心配に入るのか?と考えていたらぐっと腰を抱き寄せられた。
そんなことをしてしまったら密着した身体からお互いの状態がそれとなく伝わり合ってしまう訳で。
「ふふ。詩音くんも男だもんね」
「……当たり前のこと言わないでくれます?」
直輝さんは嬉しそうに笑っているけど俺は恥ずかしくて仕方がない。
自分の状態がバレたからじゃなくて、向こうの状態を知ってしまったから。
「俺の場合は男だからじゃなくて、詩音くんだから、だけどね」
「…恥ずかしいので止めて貰えますか」
「可愛い。触りたい」
「っ、仕事」
「仕事がない時なら良い?」
来週の月曜日休みなんだけど、と言われて急な展開に頭が混乱した。
駄目だけど駄目じゃない、みたいなことを咄嗟に答えてしまったと思う。
それを直輝さんはOKだと捉えたようで、今日一の笑顔で「また連絡するね」と言われて一瞬記憶が飛んだのかと思った。
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