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それは、森野さんを別の人に、ってことだろうか?
「いや、別に」と答えると彼の視線が真っ直ぐ俺だけに向けられた。
やたら真剣な表情を見せられ思わず俺も身構えてしまう。
「…こんなこと訊きたくないけど、もう俺の顔を見たくないとは思ってないの?」
「そう、ですね。思ってないみたいです」
正直に答えると期待と不安の両方を抱えたような顔をして「どうして…?」と訊ねられた。
どうしてって、確かにそれは俺にしか答えられることではないのかも知れない。
でも、その答えは俺にも分からない。
「分かりません。しいて言うなら森野さんがイケメンだから?イケメンって何しても許されるって言うじゃないですか」
そう言ってははっと笑うと森野さんの表情が悲しそうに歪められた。
その時ちくっと感じた胸の痛みは何だったのか。
それすら俺には分からなかったけど、そんな顔をさせてしまうのは良くないと言うことは何となく察することが出来た。
「森野さん、俺別に怒ってないですから、そんなに落ち込まないでください」
「…イケメンだからって何しても許される訳じゃないよ」
「え?あー、まあ、それは。でもほら、俺が許すって言ってるんですから」
ね?とぎこちない笑みで投げ掛けると「詩音くん」と真剣な声で名前を呼ばれた。
「はい」と答えた俺の声も完全に強張っていて、二人の間に妙な空気が漂う。
今から彼が何を言うつもりなのか。
どうせ童貞だから分からないんだろう〜?とかって舐めないでいただきたい。
そりゃあ恋愛経験なんてないけど、流石にこの空気は俺にも読める。
だからあえて、何事もなかったかのように振舞っていたと言うのに。
このまま言わせてしまったら困るのは俺だよなーと思いつつ、言わせてあげた方が彼の為になるのかなーと思ったりもして。
結局そのまま何も言わなかった俺に、森野さんは腹を括った表情で俺の予想通りの言葉を口にしてしまった。
「俺、詩音くんのこと好きだから」
「………ですよね」
ハア、と溜息を吐くと森野さんの眉が不満そうに寄せられた。
「ですよねって何?」と訊かれて「そのままの意味ですよ」と答えると眉間の皺が益々濃くなる。
「俺の気持ち知ってたの?」
「まあ、何となく」
「いつから?」
「えっと、最初にキスされた時?」
正直に答えると何故か彼は唖然としていた。
いや、だってそうだろ。
好きでもない同性を相手にキスする奴なんているのか。
いるだろうけど、この場合は状況が状況だけにそう思わざるを得ないだろう。
「分かってて嫌がらなかったの?」
「…まあ。嫌だとは思わなかったので」
「っ…詩音くん、」
「いや、俺も森野さんのことが好きだからとかじゃないですよ」
すかさず否定すると期待していた彼の表情に落胆の文字が浮かび、その変化を見ながら「多分…」と付け足すとまたその表情に期待の二文字が浮かんだ。
知らなかったけど森野さんってめちゃくちゃ分かりやすい人なんだな。
全然知らなかったけど。
「森野さんこそ、いつから俺のことを?」
「うーん…多分、去年の秋くらい」
マジか。結構前だった。
心の声をそのまま口から出してしまった俺に彼が苦笑を向けてくる。
「引いた?」
「何がですか?」
「いや、そんな前からそう言う目で見られてたんだなって思ったら、流石に引いたかなって」
「そう言う目って?」
「………もしかして俺のこと揶揄ってる?」
「え?いや、全く。言葉にして貰った方が今後の対策になると思ったので訊いただけです」
そう答えると森野さんは「対策…」と呟いて考えるように俺から視線を逸らした。
何かおかしなことを言っただろうか。
とりあえず俺は次回以降絶対に上半身裸のまま森野さんの前に出ないようにしなければいけない、と言うことくらいしか具体的な対策が考えられていない。
でもそれだけだと駄目だと言うことも分かる。
もし彼が今後も俺にキスをしたいとかそんな風に思っているのなら、次からはマスクを付けて対応するようにしなければいけないし。
今の俺にはそれくらいしか思い浮かばないから、それ以外に何かあるなら教えて貰わないと対策が打てない。
そんな俺の考えを見透かしたかのように「じゃあ言わない」と答えた彼に、俺は今日一番の困惑の眼差しを向けることになる。
「意地悪ですね」
「そうだよ。好きな子程苛めたいって言うでしょ?」
「開き直っちゃってるじゃないですか」
「お陰様で」
「なんでですか。受け止めはしましたけど、受け入れてはいませんよ?」
「そうなんだ。受け止めてはくれてるんだね。じゃあ受け入れて貰えるまで遠慮しない」
嬉しそうに笑ってそんな台詞を吐く彼に俺はもう一度「なんでですか」と返して溜息を吐いた。
どうしてこうなったんだろうとは思うけど、不思議と嫌な感じはしなかった。
だから余計に溜息を吐きたくなる。
俺ってもしかしてそっちもいけちゃう人だったのかなって、知らなくて良かったことを知ってしまった気分になって。
とんだ誕生日だよ、まったく。
「てか森野さん、こんな所で長居してて大丈夫なんですか?」
仕事中ですよね?と今更なことを訊ねると彼はそうだねと言って笑っていた。
なんでそんなに嬉しそうなのかが分からないから、思わず笑ってしまうくらい仕事が大好きなんだろうなと思っておくことにする。
「もう一回言うけど、いや、何回でも言いたいんだけど、誕生日おめでとう」
「ありがとうございます。それは何回言われても嬉しいです」
「うん。おめでとう。好きだよ」
「そっちはなんか違うって言うか、まあ確かにそっちも嬉しいっちゃ嬉しいですけど、いやでもなんか…」
「あははっ。可愛いなあもう」
可愛過ぎ、と言って髪の毛をぐしゃぐしゃにしてきた森野さんに不覚にもときめいてしまったことは俺の心の内に秘めておくことにする。
仕方ないだろう。イケメンなんだよこの人。
「森野さん、」
「もう行くから、最後にもう一回だけ、俺からの誕生日プレゼントあげても良い?」
「っ……」
その訊き方はずるいよな、と思った。
ずるいし、間違ってる。
誕生日プレゼントって一個二個って数えるもんだろ。
しかもそれ、どっちかって言うと俺から森野さんへのプレゼントじゃんか。
「要りませんって言ったら、どうしますか」
「そしたら、諦めて持って帰る」
「持って帰ってどうするんですか」
「んー。どっかに捨てる」
「じゃあ勿体ないんで有難く貰っときます」
はい、と言って目を閉じると直ぐに柔らかいものが唇に触れた。
くっ付いたまま離れていこうとしないそれに可笑しいなと思って目を開けると、至近距離で視線が絡まってどきっと鼓動が跳ねる。
「も、もう十分ですっ」
そう言って一、二歩後退りすると森野さんはやたら良い表情で微笑んでいた。
そんな心底幸せですって感じの顔を向けないでいただきたい。
森野さんはもっと表情をしまっておいた方が良いと思う。
あの人みたいに。
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