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夏休み中に一人で遠出をするのは今日が初めてな気がする。
まあ遠出と言っても大した距離ではないけど、常日頃からインドアを極めている俺は夏の日差しを浴びるだけで体力が消耗されてしまう。
よって、約束のカラオケ店に到着した時はもう既に帰宅寸前くらいに疲労してしまっていた。
とりあえず持ってきたハンカチで額の汗を拭いながら、スマホを取り出してゲームアプリを起動させる。
その中の個人チャットで『着いたよ』と送ると直ぐに後ろから「シュガ?」と声を掛けられた。
後ろからこられたからビクッとなっちゃったけど、この場でその呼び方が出来ると言うことは後ろにいる彼がまさに俺の約束の相手で間違いないだろう。
5%くらいの緊張と95%のわくわくを胸にぐるっと振り向くと、そこにはなんと想像とは真逆のイケてるメンズの姿があったから一瞬で期待が打ち砕かれた。
「す…スノー様?」
「…なんで様呼び?」
そう言ってくすっと笑うお顔なんて近くにいる店員さんもぽってなっちゃうくらいの威力だ。
今のは比喩表現だったけど、実際に店員さんを確認したらマジでぽってなっちゃってたから笑った。
流石イケメン。ふざけんな。
「そんなイケメンとか聞いてない」
「イケメンに見える?」
「うわ…なんてこった…俺の中のスノー像が音を立てて崩れていく…」
「え、それどっちの意味?悪い方?良い方?」
悪い方に決まっているじゃないか。
こんなイケメンの横に並ばされる俺が可哀想だと思わないのか。
けれど、わざわざ俺の相談に乗って貰う為だけにこんな所まで来て貰った訳だからな。
初っ端から嫌な印象を与えるのは宜しくないだろう。
出来るだけマイルドに「俺みたいなフツメンを想像してました」と答えると目の前のイケメンはふっと笑っただけで、それに対しては何も答えなかった。
その後「シュガは想像してたより…」と言い掛けた言葉を途中で止めたらしい彼が「その前に、どうする?入る?」と受け付けを指差して確認を取って来る。
実はここに来るまで、俺達は一切の個人情報を教え合っていない。
もし会った時に「あ、違う…」ってなった時はそのままその場で解散しようと言うことになっていたからだ。
だからまだリアルの連絡先も交換していないし、本名も公表していない。
なんか向こうがやたら俺に気を遣ってくれたんだよね。
その段階でもう完全にいい奴じゃんってなってたから俺は最初から大丈夫だろうと思っていたけど、イケメンと言うことを除けば今もやっぱり大丈夫だと思えているよね。
怪しい雰囲気とか全くないし。
「俺は余裕だけど、そっちは?」と訊ねるといい笑顔で「俺も」と返された。
お陰でまた店員さんがぽってなってたわ。
イケメンが救うのはおばちゃんだけじゃないんだな。
とか言ったら槍が飛んでくるかも知れないからこの辺で止めておこう。
結局そのまま受付を済ませて、伝えられた番号の部屋に二人で向かった。
ああ勿論、部屋に行く前にドリンクコーナーでミルクティーをグラスに注いでからきたよ?
さっさと糖分補給しないともう死んじゃいそうだから。
部屋に入った瞬間「ちょっとすまん」と断りを入れてからグラスの中身を一気に煽る。
俺にとってはこれが栄養ドリンクだ。
細胞が歓喜しているのがビンビン伝わってくるもん。
即効性って素晴らしい。
全部飲み干してから「生き返った…」と漏らすと側にいたイケメンに笑われた。
「ほんとに好きなんだ。甘いの」
「うん。え、嘘だと思ってた?」
「いや、そうじゃないけど。そのいかにも満ち足りてますって顔は見えてなかったからさ」
「想像してたより可愛い」と言われ、5秒くらい停止してしまった。
まあ、するだろそりゃあ。
イケメンに可愛いって言われたフツメンの気持ちは結構な人数に分かって貰えると思う。
「…ちょっともう一杯入れてくるわ」
「待って。ごめん、気ぃ悪くさせた?」
「んー、馬鹿にしてんの?って思った」
「してない。マジでしてない。言い方悪かったかも知んないけど、俺としては褒めたつもりだった」
でもごめん、と謝ってくるイケメンは割と本気で焦っているように見える。
まあ俺も怒っている訳ではないし、馬鹿にされたんじゃないならこれ以上は何も言うまい。
「まあいいよ。てかさ、今日はこのままハンネで呼び合う?」
「どっちがいい?」
「俺はどっちでも。でも面と向かってシュガって呼ばれんのなんかむず痒いかも」
「じゃあ本名にしよっか。俺は佐藤柚希。柑橘類の柚に希望の希って書いてユズキ」
ほう。柚希くんか。
なんか爽やかな感じとか甘酸っぱそうな感じがやたらしっくりくる名前だな。
しかしそれよりも俺は名字の方に反応してしまった。
「さとう…」と呟いた俺に柚希くんが「そう。なんか偶然だよね」と言って表情を緩ませる。
「まあ漢字は極ありふれた佐藤だけど、シュガがやたら『砂糖大好き』って連呼してたからさ、実はその度にちょっとドキってしてたんだよね」
「え、ごめん。だって知らなかったし」
「別に謝らなくて良いよ。大好きって言われて気分悪くはなんないでしょ」
「そう?だったらよかった。にしても紛らわしいハンネ付けちゃってたな」
俺のゲーム内での呼び名はさっきから彼が口にしている”シュガ”なんだけど、その由来は俺の設定したゲームIDからきている。
”sugarlove0803”と言ういかにも俺、なIDからその呼び名になった。
ちなみに俺の誕生日は8月3日だ。
「柚希くんは、」
「柚希でいいよ」
「はいよ。柚希はどうやってID決めたの?」
「その前にシュガの本名も教えてよ」
「あ、確かに。どうも。柳沢詩音と申します」
こんなぬるっと名乗ることになるとは思わなかったから一応ぺこりと頭を下げておいた。
「しおん…」となぞられた響きがなんだか擽ったく感じて笑ってしまう。
「どんな字?」
「ポエムの詩。うたとも読むヤツ」
「ああ、言偏に寺?」
「そうそう。そう言えばよかった。やっぱ天才だな」
「ありがと。それで?おんは?」
「普通に音楽の音。それで詩音」
です、と紹介したらなんかキラキラした目で「すげえ綺麗な名前」と称賛された。
それは是非とも両親に報告してあげねば。
「そう?ありがと」
「うん。シュガも可愛いし似合ってると思うけど今度からはゲーム中も詩音って呼びたくなるかも」
「それは困るな。罪な名前だな」
「だよ。マジで」
「んなこと言って柚希も綺麗な名前じゃん。聞いた時めちゃくちゃしっくりきたよ」
「しっくりって?」
「そのお顔によく似合う爽やかかつ甘酸っぱいお名前だな、と思いました」
言った後に何俺達お互いの名前で褒め合ってんの?って思って恥ずかしくなったから「とりあえず一回飲み物入れてくるわ」と言って部屋を出た。
部屋を出る前に見えた柚希の顔がキラキラ…と言うか、嬉しそう?に綻んでいたからこのタイミングで出て良かったんだと思う。
だってなんか柚希の反応、むず痒い。
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