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今まで彼がどれだけの不幸な目に遭ってきたのかは分からない。
他人に対して意見したり強く出たりは出来ない人なのかも知れないけれど。
「今まで不幸なことしかなかったなら、お兄さんの分の幸せはまだまだ残ってるってことでしょ。それって物凄い数なんじゃないですか?」
「っ……そうなのかな…僕の分の幸せなんて、あるのかな…」
「ありますよ。そもそも幸せなんて人それぞれの価値観なんだから、今日食べたご飯が美味しかったなで幸せ感じる人だっているんですよ」
そんな些細な幸せくらいこの人にもある筈だ。
不幸の連続で感覚が麻痺してしまっているせいで、それに気付けていないだけだろう。
「そんな感覚、暫く味わってないかも知れない…」
その呟きを聞いて思わず笑みが零れた。
そこからスタート出来るなら、この人にとっての幸せなんてそこら中に溢れているんじゃないかと思って。
「手始めに今晩は、さっき取られなかったお金で美味しいものでも買って食べたら良いんじゃないですかね」
「そう、だね。でも、今日のご飯はきっと何を食べても美味しいと思う」
「君のお陰で」と言われて、一瞬言葉に詰まってしまった。
色々と考えて「それは良かったです」とだけ答えると、男性が穏やかな表情で笑う。
「僕の分の幸せなんてあるのかな、だなんて、失礼なこと言ってごめんなさい。君に助けて貰えたことがもう、僕にとってはこれまでにない幸せでした」
「っ……」
ストレートな言葉に流石に照れてしまって余計なことを言い掛けたけど、そこは何とか思い留まることが出来た。
この人にとってそれが幸せだと思えたのなら、俺がそれを否定するのは間違っている。
それに、例え俺が照れて恥ずかしがっていたとしても、今はその顔を彼に見られることはないんだから。
もう一度「それは良かったです」と返したけれど、その声がさっきと違っていたのは伝わっているだろう。
それでも良いと思えるのはこの着ぐるみのお陰だ。
そろそろ利点の増加はストップしてくれて良いんだけど、まあ他にはもうないか。
「それじゃあ俺はこれで」
そう言ってテントに戻ろうとしたら直ぐに呼び止められた。
少し上擦った声で「名前を訊いても、良いかな」と言われ、ヒーローを気取り過ぎてしまったことに気付いて反省する。
「ぴょん太郎です、としか答えられません」
名乗るくらいならこの格好で出てきていないと答えると、男性は「そうですよね…」と言って俯いてしまった。
そんな反応を見せられても、そこだけは譲る気はない。
「すいません」と謝ってから今度こそ彼に背中を向けて歩き出したら、数歩進んだ所で後ろから腕を掴まれた。
「僕は片瀬って言います。片瀬仁(カタセジン)。今年28になります」
唐突に名乗られたことに驚いていたのに、年齢まで明かされたことが変にツボったらしくてふっと笑ってしまった。
それが聞こえていたのかどうかは分からないけど、強張っていた男性の声がその後は少し緩んだように聞こえた。
「僕は貴方のファンになりました」
「…え?」
「もういい大人だけど、貴方は僕にとってのヒーローです。だからこれから貴方のことを応援させてください」
予想外の発言を受け掛けられた言葉を脳内で処理するのに時間が掛かってしまった。
それは”ぴょん太郎を”ってことで合っているかと確認を取ると「まあ、そう言うことでも」と返され複雑な気持ちになる。
それなら別に構わないけど、俺がぴょん太郎でいられるのもあと数回なんだよな。
それを伝えた方が良いか悩んで、結局今は余計なことは言わないでおこうと言う結論に至った。
「応援なら幾らでも、有り難く受け取ります」
多分、と付け足した言葉は「本当ですか!じゃあ遠慮なく!」と言う若干食い気味な発言によって掻き消された。
最も重要な部分だったのに。
「次はいつどこでお仕事なのか教えてください」
「え」
「こう言うイベントって基本的に土日ですよね?それなら僕も参加出来るので、日程と場所を教えて貰えたらどこでも駆け付けます」
「いや、…」
なんか急に生き生きした表情になったように見えるんだけど、もしかしてこれって真面目にファンになられてしまった感じだろうか。
それはそれで有り難いような、面倒臭いような。
「俺もまだ把握出来てないので、活動に関してはSNSでぴょん太郎で検索して貰ったら分かると思います、けど…」
「成る程。SNSなんてやったことなかったけど、これを機に登録してみます」
「……」
まさか全日程来るつもりじゃないですよね?と訊きかけて止めた。
何となくそれは訊いたら駄目な気がしたんだ。
もしそのつもりなら今月一杯で辞めることを伝えた方が良いのかも知れないけど、この人がどこまでの考えをしているのかも分からないからやっぱり止めておいた。
来週の土日にあるイベントの会場にこの人が現れたらその時に考えるくらいのつもりでいよう。
深入りは、絶対にしない。
「じゃあもう休憩なくなるんで戻りますね」
「あっ、そうですよねっ!大事な休憩時間を潰してしまってすみませんでしたっ」
「いや別に潰されたとか思ってないので気にしないでください。大丈夫です。失礼します」
この人のことだからまた変に気を遣って凹みそうだと思ったからさっさと会話を終わらせただけなのに。
後ろから聞こえた「やっぱり、優しい…」と言うしみじみとした呟きに盛大な溜息が出た。
俺のこれは優しいとかそう言うんじゃないんだよ。
これ以上良い人だとか変な勘違いをされると困るからそのまま振り返ることなくさっさとテントに戻った。
予想以上に長話をしてしまったから今度こそアテンドさんに何か言われるかも知れない。
若干身構えながら被り物を外すと、予想と違ってキラキラと目を輝かせたアテンドさんがスポドリを両手に待ち構えていた。
それを両方共俺に押し付けながら「私も丸山くんのファンになりました!」と言ってきた彼女に面と向かって溜息を吐きそうになったのを何とか我慢する。
聞かれてたのか。
テントからは少し離れているからと思って油断していた。
あんな流れになるとは思っていなかったのもある。
良かったら来月以降もバイトを続けてくれないかと頼まれたけどそれは丁重にお断りしておいた。
そもそも幼馴染の代打でやっているだけだし、期間限定だから頑張れているのもある。
子ども達から向けられる声援や笑顔に対してはやり甲斐なんてものを感じてしまっているところもあるけど、まあそれはそれだ。
「絶対向いてるのにぃ」と残念がられてもそこだけは俺も折れなかった。
片瀬と言うあの男性から必要以上に交流を求められても困る。
そう言えばまだ、コウセイの姿は見掛けていないな。
ふと気になりはしたけど、結局その日は彼が俺の前に現れることはなかったから昨日のことはその場だけのやり取りだったんだと思うことにした。
この時は俺もそれで良かったと安堵していたけど、一週間後の土曜日に俺はコウセイと思いもよらない形で再会することになる。
***
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