4 バーを出る前に柿崎が結城に向かって「ごめんね、勝手に盛り上がっちゃって」と謝罪を口にした。 柿崎にとってはあまり結城に聞かれたくない話だったこともあって、念の為、謝罪と共に軽く釘を刺しておきたかったのもある。 その意図を察した結城がつい余計な一言を返しそうになったが、そこは彼もぐっと堪えて「いえ。また次回もお待ちしております」とだけ返して微かに笑みを浮かべて見せた。 「うん。次は一人で来るよ」 「楽しみにしております。お足元お気を付けてお帰りくださいね」 「ありがとう」 またね、と言って去って行く柿崎の背中を静かに見つめながら、結城は心の中で彼の行末を案じていた。 恐らく柿崎が想いを寄せている、もしくは想いを寄せていた相手は結城には容易に理解することの出来ない事情を抱えていそうだった。 先程聞こえた話だけでは判断し切れないことが多いが、あの時柿崎と共にこのバーを訪れた青年に恋人が六人いると言う話自体は紛れもない事実なのだろう。 自分が首を突っ込んで良い話ではないことは重々承知の上で、それでも結城は柿崎に対して「無茶は止めた方が良いですよ」の一言だけでも掛けてやりたい気持ちが強かった。 あの時の青年が柿崎に対して直接的な危害を加えるような人物ではなさそうだと言うことは結城にも分かる。 けれど、話を聞く限りでは想いを寄せたところで報われそうにはない相手だった。 柿崎ももう十分な火遊びはしてきた筈だ。 これ以上無駄な火傷は負わないで欲しいと言うのが結城の切実な願いである。 全てを知らない結城はどうしてもそんな風に柿崎への心配を募らせてしまうが、その心配が杞憂だったと言うことを彼が知るのはまだ暫く先の話である。 *** 場所を移して。 capriceから少し離れた所にある個室居酒屋にて仕切り直しをした四人は、そこで初めてお互いの顔を正面から認識することとなった。 バーの照明が暗かったのもある。 移動中もまじまじと見つめることなどなかったので、こうして二対二で向かい合って座ってみて漸くはっきりと認識出来た訳であるが。 「改めて見ると、二人とも全然似てないよね」 お兄ちゃんに、と言って笑みを見せる柿崎に、弟達は揃って当然だと言う意思を主張した。 「俺は完全に努力型だけど、修は持って生まれた才能だけで周りから愛されてきた男ですからね」 「ふふ。才能”だけ”なんだ?」 「そうですよ。でもその才能が、こっちからしたら半端なくデカいアドバンテージになってる」 だからムカつくんです、と笑顔で言ってのけた誠に、柿崎も安堵にも似た感情を抱きながら「分かるなぁ」と返した。 恐らく誠は自分と同じような目で修のことを見てきたのだろう。 修の持つ才能に憧れ、時には妬み、時には打ち拉がれ。 それでも心の底から憎めるような相手ではないと気付かされ、結局は到底敵わない存在だと思い知らされる。 誠が兄のことを心から妬んでいるようには見えないが、そう言った気持ちを抱いた経験は恐らく一度や二度の話ではないだろうと柿崎も思ってしまう。 それくらい目の前に座るこの男は、自分自身によく似ている。 「誠さんは修さんのこと嫌いなんすか」 白井の質問を誠は「ううん。大好きだよ」と笑顔で跳ね除けた。 ずっと憧れの存在だったと言う誠の言葉を聞いてやっぱりなと思った柿崎だったが、それに対して「へえ」と相槌を打った白井は誠に試すような視線を向けている。 「俺も修さんに救われた身なんで、修さんのことは真面目に尊敬してるんですけど」 「えーそれは俺も嬉しい」 「ぶっちゃけ誠さんは修さんと紘夢だったらどっちの味方につくつもりなんすか」 誠の反応を無視して唐突な質問をぶつけた白井に、誠は思わず笑みを零してしまった。 僅かに眉を寄せた白井を見て「ごめんね。あまりにもド直球だから」と笑いながら答えた誠が、隣に座る雅也に目を向けながら「なんか似てない?二人」と悪戯っぽく投げ掛ける。 「…そんなのどうでもいいでしょ。そんなことより質問に答えてあげたら?」 「ほら、そう言うところ。ね?司くんもそう言うタイプだよね?」 「さあ。どうなんすかね。基本回りくどいことは嫌いですけど、必要な時にはやれますよ」 根回し、とか。 そう言ってシニカルな笑みを見せた白井に誠は思わず感嘆の息を漏らしてしまった。 考える頭がない訳ではない。 しっかりと状況に応じた立ち回りが出来るタイプだ。 その立ち回り方こそ自分とは違うが、確かな理解力はある。 白井に対する分析をした後、やはり雅也に似ているじゃないかと思った誠が再び笑みを零す。 「お互いに良いコンビ組んでるみたいですね」 誠のその発言は柿崎に対するものだ。 その裏を読み取った柿崎が「そうなのかなぁ」と戯けて見せ、それから今度は煽るような目を向けながら「で、どっちの味方なの?」と訊ねた。 「ふふ。その前に紘夢くんの恋人が誰なのかは訊かなくていいんですか?」 「俺は五人までなら見当が付いてるからね」 柿崎の返答を聞いて誠も「まあそうだろうな」とは思ったが、白井が「五人?四人じゃなくてっすか?」と訊ねたのを見て、誠の方も認識の相違が生まれているこの状況に煩わしさを感じてしまった。 誠にとっては恋人の人数なんて大した問題ではない。 本題はそこではないのだ。 回りくどいことをしようとしていたのは自分自身だけれどな、と誠は内心自嘲しつつ、未だ正確な情報を認知出来ていない二人に対して紘夢の恋人に関する情報を端的に伝えてやった。 今二人が予想している職場の同僚四人に加えて、紘夢と同じ大学に通う学生二人が紘夢の恋人である、と言う事実を。 「学生二人、か。一人は俺も面識があるけど、もう一人って…」 まさか小鳥遊爽のことを言っているのか、と嫌な予想をした柿崎だったが、直ぐにその事実を確認するのは怖いとも思ってしまっていた。 今この場で、紘夢が自身ではなく小鳥遊を選んだと言う事実を突き付けられてしまったら。 動揺を全て隠し通せる自信もなければ、暫くは立ち直れそうにない程の心的ダメージを受けてしまうことになるだろう。 そう考えた後、そもそも誠達は過去に起きた紘夢に関する事件について把握出来ているのかどうかも分からないと思った柿崎が、ちらりと横にいる白井に目を向ける。 白井は確実に紘夢の過去を知らない。 自分が今この場でその件に触れてしまったら、自ずと全てを白井に知られることになる。 その流れを紘夢が望んでいないことくらい、柿崎にも分かる。 紘夢の為を思うなら、ここは自分がペテン師にでもなるつもりで言動には気を付けなければならない。 柿崎が短時間で蹴り広げていたその脳内葛藤に誠は気付いていた。 誠とて紘夢が勝手な情報共有を望んでいないことくらい理解出来ているが、これは上手くいけば結果的に紘夢の為になる可能性があるとも思っている。 柿崎も白井も、そして雅也も。 恐らく”自分の答え”と同じ回答をその胸に用意している筈だから。 「やっぱり司くんの質問に先に答えておこうかな。俺は勿論修のことは家族として好きだけど、いざどっちの味方につくかってなった時には紘夢くんの味方につくつもりでいるよ」 その答えを聞かされた三人が、それぞれ頭に紘夢の顔を思い浮かべる。 誠を含めたこの四人が紘夢に向ける感情は全てが等しく同類のもの、と言う訳ではない。 そこには微かな差もある。 けれども、紘夢の幸せを見守ってやりたいと言う思いは一致していた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |