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「そうですよ」


そう答えた柿崎が矢野の目には僅かに警戒しているように映った。

それを察知しながら「いきなり話し掛けてしまってすみません。迷惑でした?」と微笑み掛けた矢野に、柿崎が「全然。そう言う場所でもありますからね」とこちらも笑顔で答える。

その一方で、柿崎の連れの男は今から広がろうとしている空気を煩わしく感じているようだった。
男が「俺は慣れ合う気ないっすよ」と答えたのを聞いた雅也が、ここぞとばかりに「俺らもないっすけど、気になる名前が聞こえたんで」と単刀直入に切り出す。

それには男もしっかりとした反応を示した。

今までの会話を思い返し、紘夢の名前しか出していなかったと気付いた男がこれまた単刀直入に「紘夢の知り合い?」と訊ねる。

それがどの”紘夢”なのか。
お互いにその確認作業をせずとも、頭に思い浮かべている顔が一致していると言うことを無意識の内に認識し合ったようだ。

静かに頷いた二人を見て、男が少し驚いたように「…マジ?」と返したその隣で、柿崎だけは困ったような笑みを浮かべて無言を貫いている。
誠はその様子を目にしながら、あえて仕掛けるように「僕は矢野修の弟です」と伝えると今度は柿崎と男が揃って驚きのを声を上げた。


「修さんの弟…!?」


向けられた驚きに対して矢野は冷静に「はい」と答えながら、男が紘夢だけではなく自身の兄の知り合いでもあることを理解し、それから柿崎を含めたその関係をある程度予想した。
男が”修さん”と敬称を付けて呼んだので恐らく兄の職場の後輩なのだろうと矢野は考えたのだが、それも見事に正解していたようだ。


「兄のことをご存じなんですか?」

「自分は修さんと同じ職場の後輩です」


男の答えを聞いてやっぱりそうかと納得をした矢野が、後輩の男よりも先にその関係について確信を持っていた柿崎に目を向ける。
その隣で雅也が「ちなみに俺、浅尾拓也の弟です」と追加の情報を与えると、男は再び「マジか」と言って言葉を失ったように愕然としてしまった。

ただその横で一人、静かに笑みを零した柿崎が「世間って狭いね」と漏らして手元のグラスに視線を落とす。


「家族にも報告済みなんだ。流石修くん…って言うより、流石なのはあっさり受け入れて貰える紘夢くんの方か」


そう言って柿崎がくすりと笑うと、後輩の男が我に返ったかのように「修さんも修さんでしょ」と返して同じく静かに笑みを零した。

敵ではない…と、二人のやり取りを見て瞬時に判断した矢野が思い切って「あっさり受け入れたと思います?」と投げ掛ける。
柿崎も後輩の男もその投げ掛けの意図を図り兼ねているようだったが、続けて矢野が「僕も二杯目はギムレットにしようかな」とわざとらしい独り言を漏らしたのを聞いて二人の放つ空気が僅かにピリ付いた。

それに近しい反応を示したのが雅也であり、他の二人よりも遠慮の必要がない彼がその場の意思を代表するかのように矢野に向かって「マジで好きになってたんすか、あいつのこと」と訊ねる。

その問いに矢野は最初に笑みだけを返した。
真っ先に否定をしなかったところを見てそれが答えになっていると察した三人だったが、矢野が「その確認って意味がないんだよね」と答えたことで暫くその場が静かになってしまう。

”意味がない”という言葉の意味を、それぞれが考え始めた。

雅也の質問に対する答えがYesだと言うことはほぼほぼ確信を持った上で、では何故そうだと答えないのか。
Yesと答えることに意味がないと言う発言が指し示すものとは。


「虚しいだけだから、ですか」


殆ど同時に辿り着いた三人の考えを代表して問い掛けた雅也に、矢野が「雅也くんにも分かるの?」と質問をし返す。
再び黙ってしまった雅也だったが、今度は彼の代わりに柿崎が「僕は分かりますよ、弟さんのお気持ち」と答えた。

運良く釣れたのか、それとも自ら乗り込んできたのか。

いずれにせよ、その発言をしたと言うことは柿崎にもこの会話を広げる意思があると理解した矢野が、すっかり警戒心を手放した表情で「気が合いそうですね、俺達」と一人称を変えて答えた。
柿崎の方も既に矢野の弟だと名乗るこの男に対して自身と近しいタイプだと感じ取っていたこともあり、その意図を汲み取り口調を砕けさせながら「修くんとは全然合わなかったのになぁ」と返して笑みを零す。


「弟くんは確か一つ下、だったよね」

「そうですね」

「名前を訊いてもいい?」

「誠です。お好きなように呼んで貰っていいですよ」


それまでの態度からがらりと変わり、ゆったりとした笑みを浮かべながら投げ掛けた矢野、改め誠を見て柿崎もつい笑ってしまう。


「そう言えば一度、修くんに言われたことがあったかもなぁ。弟に似てるとこがあるって」

「あーそれ岡本くんにも言われました」

「…へえ」


その名前を聞いて柿崎は、誠が紘夢の恋愛事情を全て知っているのだと言うことを把握した。
誠は紘夢の恋人が自身の兄だけではないと言うことを知っている。

ただ、もう一人についてはまだ分からない。

紘夢には誠の兄の修と今名前の挙がった岡本の他にも、もう一人恋人がいることを柿崎は把握している。
柿崎にとっては誠がその事実を把握しているのかが気になるところではあるが、隣にいる元後輩の男――白井司はその事実を知らない。

白井が知っているのは修と岡本との関係だけで、もう一人の恋人である”湊人”と言う名の学生の存在を認知していないことは柿崎も本人との会話で確認済みである。
それ故この場で湊人の名前を出せずにいる柿崎だったが、その後の流れでそもそも自分自身の認知自体が弟二人よりも劣っていたと言う衝撃の事実を知ることとなる。


「岡本って、もしかして岡本佑規のこと?」

「うん、そう。彼も同じ職場だよね」

「まあ、自分の同期です。てか知ってんすか。紘夢が誰と付き合ってんのか」


白井のその発言を聞いた誠は、彼が紘夢と岡本が恋人関係にあると言う事実を知っているのだと理解した。
だからと言って”それ以上の事実”を勝手に伝えるべきではないと言うことも分かってはいたのだが、それを打ち明けた後に起きるだろう化学反応に誠は変な期待を抱いてしまった。


「知ってるよ。全部」


含みを持ったその響きに、白井が怪訝な表情を見せながら「全部?」と訊き返す。

白井に関する情報はないが、柿崎が”紘夢と恋人関係にある人物”を全員は把握出来ていないことを誠も雅也も兄達から聞かされている。
その理由も勿論把握しているが、誠が白井と柿崎に対して感じている”同族のような空気”は、決して間違いなんかではないと言う自信があった。

それ故、雅也がちゃんと「いいんすか勝手に」と忠告をしたのに対し、勝手ながら誠は「大丈夫」と答えて”隠されていた事実”をその二人に伝えてしまった。


「知らないと思うけど、紘夢くんの恋人は全部で六人いるんだよ」

「「!!」」


告げられた人数を聞いて、白井は当然のこと、流石の柿崎も動揺を隠し切れなかったようだ。

その六人が誰のことを指しているのか。
そこから先の話は場所を移して話さないかと提案した誠に、柿崎も白井も当然反対することはなかった。

それまで空気のように息を潜めていたバーテンダーの結城だったが、漸くこの嫌な緊張感の漂う空気から解放されるのかと思うと、誰にも気付かれないよう密かに安堵の息を漏らしたのであった。




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あきゅろす。
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