18 この場は佑規さんに任せた方が良いと思って黙っていたけど、どうやらそうも言っていられないようだ。 「あの…」と漸く口を開いた俺に二人の視線が向けられる。 「結局のところ椎名さんは今も俺に正社員として働いて欲しいと思っているのか、それともバイトとして、なのか…どっちなんでしょうか…?」 そう投げ掛けると、この場に漂っていた不穏な空気が影を潜めたような気がした。 椎名さんの意識が自分に向いたことに密かに安堵する。 「可能なら正社員として働いて欲しいと思ってるよ」 「…そうですか。わかりました。じゃあ、もう一度真剣に考えさせてください」 「え?本当に?」 「はい。ただ、よく考えたいので時間をいただけると有り難いです」 「それは勿論。じっくり考えて貰って、良い答えを出して貰えたら嬉しいな」 こくんと頷くと、話が良い方向に進んでいると解釈したらしい椎名さんが機嫌が良さそうな顔で笑った。 騙したみたいで申し訳ないけど、今のはこの場を切り抜ける為のものに過ぎない。 勿論考えはするけれど、それは俺一人ではなく佑規さんを含めた恋人達皆と話して決めたい。 「岡本さん、俺そろそろ戻らないと…」 控え目に声を掛けると、佑規さんがはっとしてそう言えば、と椎名さんに弁当の件を訊ねた。 彼が事情を説明するとやはり余りはないらしく、椎名さんにそれは申し訳なかったと言って謝られたので清水さんにしたのと同じ反応をとる。 「でもこれは僕達のミスだから。誰かに買いに行かせようか?」 「えっ!そんなのさせられませんよ!俺は本当になくても大丈夫なので!」 たかがバイトの弁当一つでそこまでするもんじゃない、と思う。 俺の為に弁当を買いに走らされた人も堪ったもんじゃないだろうし。 「別にお腹も空いてないですし、あと数時間で今日の作業は終わるみたいなんで」 「うーん。まあ、君がそう言ってくれるなら」 「はい、もう。全然」 漸く納得してくれたらしい椎名さんに一安心する。 そのまま休憩時間も余りないと言う理由にしてこの場から去ろうとしたら彼に呼び止められた。 「そう言えば田中くんに訊いてなかったことがあるんだけど」 ドキッと鼓動が跳ねたのは言うまでもない。 なんだか嫌な予感がするのは恐らく気の所為ではない筈。 僅かに怯えが見え隠れする声で「何ですか…?」と訊ねると、まるで試すような笑みを向けられた。 本能的にまずいと思ったけれど逃げ場はもうない。 「君は、同性愛者なの?」 「……えっ?」 思っていたのとちょっと違うやつがきたかも知れない。 あ、そっち?と別の意味で動揺している間に、ふと、前回の彼の発言が頭の中でリピートされた。 そうだ、彼は確か”職場に色恋沙汰は要らない”と言っていた。 女性ではなく男の俺を選んだのもそれが理由だったじゃないか。 どうしてそれを忘れていたんだ。 この時、突然目に光を取り戻した俺を佑規さんが不安そうに見つめていたことを俺は知らない。 「そう、そうでした。俺の恋愛対象が男だったら、椎名さんが望んでるようにはならないですよね」 「それは、同性愛者だって認めてる?」 「えっ…と………すいません、黙ってて。でも、はい」 わざと歯切れ悪く答えると俺の横で「えっ」と動揺した声が上がった。 佑規さんの今の反応は俺のアシストになる。 知人に初めて同性愛者だとカミングアウトされた時の反応だと椎名さんに思わせたい。 「椎名さんは、職場に色恋沙汰は要らないっておっしゃってましたよね。だとしたら俺、真っ先にアウトですよね」 俺の恋愛対象が男なら、佑規さん達に下心があって近付く女性達と立場は同じになる。 何なら女性よりもたちが悪いんじゃないだろうか。 これで上手く切り抜けられる、と確信する俺に椎名さんは口元を歪ませて言った。 「いや、寧ろ好都合だよ」 と。 「…何でですかっ?」 「僕が要らないって言ったのは男女間におけるいざこざのことだから。男性同士だと、取り返しのつかないことになったりはしないでしょ?」 「えっ?…すいません、ちょっと理解出来なかったって言うか……取り返しのつかないことって言うのは…」 「例えば妊娠したりだとか、所謂痴情の縺れってやつだね」 に、妊娠…… そこまで想定していたんだとしたら、今まであの人達は一体どんな行いをしていたんだ… 「岡本くんのその反応は彼が同性愛者だと言うことを知らなかったからなのか、それとも今ここでカミングアウトしたことに対する驚きなのか、どっち?」 嫉妬を通り越して呆れてしまっている間に椎名さんの容赦ない追究が始まった。 その問いに対しては知らなかったからだと話を合わせてくれた佑規さんだったけど、椎名さんの追究は終わらない。 「じゃあそれを聞いてどう思った?」 「え……どう、って……」 「交友関係を断ち切ろうって思う?」 「……それは……思いません、けど……」 「ありがとう。それを聞いて安心した。じゃあ、そう言うことだから」 「どう言うことですか!?」 流石に突っ込まずにはいられなかった。 思わず声を上げた俺を見て椎名さんが可笑しそうに笑う。 「安心って言い方がよくなかったかもね。安心じゃなくて、確信したって言ったら分かるかな?」 「………ごめんなさい、俺あんまり頭が…」 「あはは。可愛いなあ」 「えっ」 「頑張って頭回転させてたもんね。ずっと。意地悪してた僕が言うのも変だけど、もういいよ?」 もういい、とは何がだ。 とは、流石に言えなかった。 嫌な汗が背中を伝う。 降参寸前で促される自白に未だ躊躇いを見せる俺の横で、佑規さんが先に白旗を揚げた。 「だったら初めからそう言ったらいいのに」 心底うんざりした声と表情でそう言った彼に椎名さんが悪戯っ子のような笑みを向ける。 「どこまで粘るのかなーって、ちょっと楽しくなっちゃって。ごめんね?」 「それ、趣味悪過ぎっすよ」 「あ、いつもの岡本くんだ」 「……すいませんね、普段は態度悪くて」 そう言って佑規さんが溜息を吐く。 いやいや、と椎名さんが笑みを返す。 一体どうなってるんだ、この職場は。 「僕は君が同性愛者だろうと異性愛者だろうと君であるなら喜んで受け入れるよ。僕自身に偏見はないし、そもそも柿崎くんだって同性愛者だったことは知ってるんだよね?」 それは、そうかも知れないけれど。 表情が晴れない俺に、椎名さんがついでとばかりに俺の疑問点を解消してくれる。 「君達が友人だろうと恋仲だろうとそれもどっちでも良いんだけどね。田中くんの存在が岡本くん達の励みになるなら僕の望みは叶うから」 「そんなに不真面目な態度に見えますか?俺」 「いや?君も含めて若手は皆、真面目に働いてくれてる。だからこそ、僕は君達に辞められたら困るんだよ」 「そんな素振り見せましたか?」 「浮ついた話を聞かなくなったのは、もしかしたらそれぞれに本命が出来たのかと思って。岡本くんと浅尾くんはまだ若いけど、植田くんと矢野くんは結婚を考えてもおかしくない年齢でしょ?」 「……………」 「うちの勤務形態からして、結婚を期に辞めてしまってもおかしくないからね。若い子達は特に」 椎名さんに悪意があるとは思わなかったけど、結婚と言うワードにはどうしても反応してしまった。 それを察知したらしい佑規さんが「そんなの、」とフォローをし掛けた所で椎名さんが先に補足を入れる。 「今のは配慮が足りなかったね、ごめん。ただ僕はそうならなくて良かったと思ってる側の人間だから。それは勿論さっき話したことも含まれるけど、それだけじゃなくてね」 「…まだあるんですか」 「うん。こっちの方が大事」 そう言って椎名さんが、何故そこまでして俺を誘うのか、その本当の理由とやらを話し始めた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |