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椎名さんと直接会って話をした日から三日が経った木曜日。
今日は拓也さんと二人で会う日で、もう直ぐしたら彼がうちにやってくることになっている。
着くのは昼前になるとは言われていたけれど、それでも11時には来てくれるだろうなと勝手に思っていたら予想が外れた。
そろそろ正午を迎えそうな時間になり、昼ご飯はどうするか相談しておかなかったことに少しばかり後悔していたら、それから10分も経たない内に玄関のチャイムが鳴らされた。
待ち侘びていた気持ちを抱えたまま玄関へと飛んで行くと、ドアの向こうにはいつもの柔和な笑みを浮かべた拓也さんが立っていて、相変わらず今日も胸を高鳴らせてしまう。
「遅くなってごめんね。ちょっと一件寄る所があって、思ったより時間掛かっちゃった」
「あ、そうだったんですね。すいません、用事がある日に」
「いやいや、…」
手を振りながら何か言い掛けた拓也さんだったけど、その続きは部屋に上がってからにするらしい。
靴を脱いでいる時にお昼ご飯を買ってきてくれたとの報告を受け、それに対して感謝をしながら部屋の奥へと招き入れると、荷物を置いた後の彼に直ぐさまぎゅっと抱き締められてしまった。
「っ…拓也さん…?」
「やっと二人で会えた」
「ッ………ですね」
噛み締めるような声で呟かれたその言葉は、”二人で”と言う部分が大切なんだと言うことは俺にも分かる。
会うだけなら何度もあったし、行為に至ることすらあったけれど。
完全に二人切りの状態になれたのは久し振りだから、当たり前のように思えるこの状況にどうしても特別な気持ちを抱いてしまうのは俺だって同じだ。
彼の背中にぎゅっとしがみ付きながら「会いたかったです」と返すと直ぐ、俺を抱き締める腕の力が強まった。
「本当は朝から会いたかったんだけどね。さっき寄る所があったって言ったじゃん?そこが開くのが10時だったから」
「…用事があったなら仕方ないですよ。でも今こうやって会えてるから、俺は…」
「どこに寄ってたか訊かなくて良いの?」
少し悪戯っぽい声で掛けられた言葉に「え…?」とだけ返すと、拘束を解いた彼が間近で俺を見つめてきた。
その距離とその柔らかい表情にとくんと鼓動が跳ね、ぱちぱちと瞬きを繰り返すだけの俺に彼が「あ、でも先に謝っとく。ごめん」と意味深な謝罪を口にする。
今の流れからしたら”何か良からぬことをしてきた”と疑ってしまっても良いところなのかも知れないけれど、拓也さんがあえてそんなことをするような人ではないことは分かり切っている。
だから不安なんてものはない。
かと言って、謝罪の理由も全く見当が付かない。
正直に「ごめんって、何ですか…?」と訊ねると、こつんと額同士をくっ付けてきた彼が優しく微笑む。
「結婚指輪、勝手に予約してきちゃった」
「……えっ?」
何を言われたのか理解するのに数秒掛かってしまった。
今の「えっ?」は発言の内容を理解した上での反応で、そうやって俺が驚いたのは以前彼の方から「指輪は一緒に選ぼうね」と言われていたからだ。
「ごめん、嫌だった?」
「いやっ、別に良い…って言うとアレですけど、一緒に選ぶって言ってたから、純粋に驚いただけで…」
「うん。直前までそうしようと思ってたんだけど、俺が選んだものを贈ることに意味があるのかなと思っちゃって」
「っ……」
そう思ったのは多分、その指輪が本当の結婚指輪ではない上に、俺の左手の薬指に嵌めることが出来る指輪が一つではないから…なんだと思う。
俺と拓也さんだけの話ではないから、そんな風に考えたんじゃないかなって。
そうだとしてもそうじゃなかったとしても、そんなことを言われて喜ばない筈がない。
「俺も、その方が嬉しい…かも知れません」
「ほんと?じゃあ良かった」
そう言って柔らかに微笑む彼を見たら堪らなくなった。
ぎゅっと抱き着きながら幸せを噛み締めるように「マジで嬉しい…」と漏らすと、くすりと笑った彼が俺の頭を優しく撫でてくれる。
「受け取りはまだ先になるから、それまでもう少し待って貰うことになるんだけど」
「全然良いです。そりゃあ早く見たいけど、待つ間もずっと楽しみに出来るし」
「ふふ。うん。俺も早く紘夢くんに着けて貰いたいし、着けてるとこ見たい」
絶対似合うと思う、と自信満々に言われて胸がぐっと熱くなった。
どんなデザインの物を貰っても喜びの大きさは変わらないと思うけど、拓也さん自身がそんな風に思ってくれるような物を贈って貰えるのが滅茶苦茶嬉しい。
彼が俺のことを想いながら選んでくれた物だと言うことにも、大きな価値がある。
「…俺も何かお返ししたい」
どうせ「要らないよ」って言われるんだろうな…と思いながらも、何かを返したい気持ちが強くなってそう漏らすと、拓也さんが「じゃあ…」と言ったから思わず身体を離して彼の顔を確認した。
何かを求められるとは思っていなかったから驚きもあったけど、それ以上に期待を込めた眼差しを向けてしまう。
そんな俺を見て彼はふふっと笑うと、溶けてしまいそうなくらいに甘い表情と声で「まだ貰ってない俺だけのご褒美、今日貰って良い?」と訊ねてきた。
「っ…良い、ですけど…何を…」
「今日一日、ずっと俺に甘えて欲しい」
「…えっ?」
今回の「えっ?」も先程と同様に、その内容を理解した上での反応だ。
ただ今回は驚いたと言うよりも「そんなので良いの?」と拍子抜けしてしまった、と言った方が的確かも知れない。
それをそのまま口にすると「うん」と言って笑った彼が俺の身体を抱き締めたままベッドの方へと足を進め、片手で俺の体重を支えながらゆっくりと丁寧にベッドの上へと押し倒した。
急な展開に若干動揺した表情で見上げると、俺を見下ろす彼の表情が更に甘くなる。
「甘えるって言っても色んな意味があるけど、今日はそれ全部だからね」
「っ…全部…?」
「うん。恥ずかしがるのは可愛いから良いけど、その代わり思ったことは全部素直に言うこと。勿論ベタベタもして欲しいし、我がままもいっぱい言って欲しいかな」
「えっ…」
「まあ、我がままは無理に言う必要はないけどね。でも紘夢くんが全力で甘えてくれてるところが見てみたい」
駄目?と伺うような視線を向けてくる彼は、今自分がどれ程のあざとさを身に纏っているか自覚出来ているのだろうか。
どっちにしろ、その威力は出会った頃と何ら変わりなく…いや、寧ろあの時よりも増しているんじゃないかと思う。
俺には拓也さんのこの攻撃にやられて色々と流されていってしまった、と言う事実がある。
「駄目じゃない、けど…拓也さんには普段から甘えてるから…」
「もっとだよ」
「ッ…もっ…と……ですか…」
「うん。もっと。俺が紘夢くんの甘さで溶けるくらい、いっぱい甘えて」
「ッ!……〜〜!」
その顔はもう十分溶けてるよ…と思ってしまったけど、その要望を受け入れるからには俺の返しももっと彼寄りにしなければいけないんだろう。
まあ、羞恥心を抱くなと言われなかっただけまだマシだと思うしかない。
「じゃあ、……いっぱい…キスして欲しい…」
「キスだけ?」
「っ……」
だけ、で終わらなくて良いなら、勿論して欲しい。
でも、それに関しては俺の方から求めてしまっても良いものなのか。
「…シたいって言ったら、シてくれるんですか…?」
まだ”俺の為の休息期間”が続いているのなら、行為には至らないんじゃないかなと思っていたけれど。
そう訊ねた俺に、拓也さんは返事の代わりに目元を緩ませながら「もう一回。ちゃんと言って」と言って俺の頬を優しく撫でた。
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