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その後直ぐにお昼をどうするかの話になった。
蕎麦ならあると言うと「じゃあそれで」ってことになったから、俺は一人でキッチンでお湯を沸かしているんだけど。

不安だから部屋に繋がるドアは開けているものの、二人の会話が気になって仕方がない。

今は雅也さんの仕事の話をしていて、それは俺も詳しく聞きたいから後でして貰えないかな…と思いながら必死に耳を傾けている。


「子どもの相手って疲れない?」

「疲れるって言うか、大変だよ。子どもの相手だけじゃなくて、全部」

「まあそうか。まだ半年だもんな…」

「そう。まだまだ分からないことだらけだし、楽しむ余裕なんか全然ない。気付いたら一日、一週間、一ヶ月が終わってる感じ」

「…そうなんだ。まあ実際、俺が想像してる以上に大変なんだろうなとは思うけど」

「まあな。どの世界もだけど、実際にやってみなきゃ分かんねえよ。どれだけ大変かなんて」


それは俺も本当にその通りなんだろうなと思った。

「マジでそうなんだろうな…」と静かに相槌を打った湊人に俺も心の中で同意する。


「まあでも、やり甲斐はあるから。辞めたいと思ったことはないな。今んとこ」

「へえ。訊いて良いもんか分かんなかったから訊かなかったけど、辞めたいと思ったことないんだ?」

「今の段階で判断するのは早くね?って思う。出来ないことがあるのは当然だろ」

「確かに」

「だからってミスして良いかって言ったらそうじゃないし、責任は重い仕事に就いてる自覚も持ってる。けど今はとにかく先輩見て学んで、吸収して、慣れることを大事にしてるな」

「慣れたら楽しむ余裕も出てくる…って?」

「そうだと思って頑張ってる。ま、そもそも楽しいだけが仕事じゃないと思ってるからその辺は割り切れる方なんだろうけど」

「……凄いな…」


最後のは思わず漏れた俺の心の声だ。
お湯が沸いていることにも今気付いたくらい、完全に彼らのやり取りに耳を傾けてしまっていた。

今の話を雅也さんは淡々と話していたけれど、俺は彼のことをただただ凄いと思いながら聞いていた。
今の俺にとってかなり為になる話だったし、彼のような考え方が出来たら俺の将来の選択肢も増えるかも知れないとも思う。

俺も早く二人の会話に混ざりたい。

そう思って急いだせいか、蕎麦を茹でる際に軽く火傷をしてしまった。
「熱っ…」と漏れた声は部屋の中まで届いてしまったようで、心配の声と共に覗きに来た湊人が指を冷やしている俺を見て眉を寄せる。


「火傷した?」

「軽く」

「気を付けろよ」

「ごめん。でも大したことな――」

「代わるから向こう行ってろ」

「っ…いや、大丈夫だって」


そこまでじゃないからと苦笑すると割と本気で駄目だと言われたから、じゃあせめて一緒にやって貰うと言うことで折れて貰った。

…俺が折れたようなもんか。


「痕残ったらどうすんだよ」

「いや、ちょっと赤くなってるくらいだよ」


ほら、と火傷した手の甲を見せると、俺の手を取った湊人がそこに唇を寄せてきた。

いくら見えない位置にいるからって普通にドアは開けたままだし、雅也さんが近くにいる状況で何してるんだって動揺で思い切りその手を振り解いてしまった。
結構な勢いに湊人も俺自身までも驚いたんだけど、直ぐに笑いながら「焦り過ぎ」と言った奴に対して、この状況でこれ以上のことをしてこない確信なんて持てず。

「やっぱ任せる」と言い残して部屋の中へと移動し始めると後ろから「あーおい、紘夢」と呼び止められた。
その声を無視して雅也さんの所へ戻ると、少し驚いたような表情の彼に「…大丈夫?」と投げ掛けられる。


「うん。ちょっと火傷しただけなんだけど、湊人がやるって言うから任せた」

「…結構ドジ?」

「え…いや、……」


二人に気を取られていたから…と否定したかったけど、ドジと言う言葉を否定しきれずに諦めた俺を見て雅也さんが声を出さずに笑う。
その隙にキッチンの方から「たまに抜けてるだけだよな」とフォローになっていないフォローが届けられ、余計にむっとしてしまった。


「あー、悪い悪い。俺が余計なこと言ったな」


苦笑する雅也さんに「大丈夫」と答えてから「今のは湊人が悪いから」と、湊人の耳にも届くように少し大きめの声で言ってやると「後で覚えとけよー」と返された。

後っていつのことだよ…と考えながら元いた場所に腰を下ろすと、それまでソファに座っていた雅也さんが俺と同じように床に座り直した。
何で?って顔を向けると「飯食うだろ」と言う答えが返ってきて、そう言うことかと納得する。


「火傷したのどこ?」

「え?あ、ここ」


ほんの少しだけ赤くなっている手の甲を見せると、すっと伸びてきた手が俺の手を取った。
吃驚して肩を揺らすと、ふっと笑った彼が俺の手を持ったまま「痛みは?」と訊いてくる。


「い、たみ、は…ない…」

「なんて?」

「っ……揶揄ってる…?」

「いや、心配してんだよ」


そう言いつつ、楽しそうに笑っているように見える彼に「全然痛くないから…」と伝えて手を引こうとしたら、火傷の部分を軽く指で撫でられた。
一瞬表情を歪めた俺を見て彼が「痛いんじゃん」と言うから、そりゃあ触られたら多少の痛みはあるよと思いながらも変な強がりで「痛くないって」と答えてしまう。


「何で怒ってんの」

「怒ってないけど、雅也さんが…」


必要以上に心配するから…と直接言うのは憚られて代わりの言葉を考えていたら、そのタイミングでキッチンから俺を呼ぶ声が掛かった。
蕎麦が茹で上がったらしい。


「ちょっと手伝ってくる」


立ち上がった拍子に自然と手も離されたからその時は何も思わなかったけど、流石に今のは気を抜き過ぎていたようだ。
お皿を出そうと棚に伸ばした手を横から掴んできた湊人に耳元でこっそりと「簡単に触らせんなよ」と囁かれ、色んな意味でドキってしてしまう。

ドキッとしたと言うよりも、ひやっとしたの方が正しいかも知れない。

実際に目で確認したのか、それとも俺達のやり取りを聞いて察したのかは分からないけれど、確かにさっきのは良くなかったなと自分でも思う。
伺いの視線を向けながら「ごめん…」と小声で謝ると、湊人はそれ以上何も言わずに「皿出して」とそのまま話を流してしまった。

謝罪は後で、と言うことで良いんだろうか。

茹で上がった蕎麦を湊人が水で冷やしてくれている間に三人分のお皿を用意して隣で待機していたら、不意にこちらを向いた奴が俺の頬に唇を寄せてきた。
何とか声は出さずに済んだけど、唖然としている俺に向かって至近距離で微笑んだ奴が「お仕置き」と囁いて、今度は唇同士を重ねてくる。


「ッ、ちょ…」


流水音である程度の声量までは聞こえないだろうことを利用して、その行動を咎めようとしたのに。
手早く水を止めた奴が「これ三人分ある?」とまたもやさらっと話題を変えてきたから「足りなかったら何か買いに行く」と答えて軽く睨んでおいた。

見えるか見えないかの問題じゃないんだと今直ぐ声を大にして言ってやりたい。
俺達の空気が変な感じになっていたら変に勘繰られる可能性もあるから、俺も何事もなかったかのように振舞うけども。

それでもこの辺で一度釘を刺しておきたくて、蕎麦を運ぶ前に小声で「全部後にして」とだけ訴えておいた。
返事はなかったけど小さな笑い声が聞こえたから伝わってはいるんだろう。

後で覚えとけよ、はこっちの台詞だ。




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