9 その10分が、俺と誠さんが二人きりになった時間を指しているのは分かる。 誠さんの要求を直ぐに呑んだ時の佑規さんの表情に不安が浮かんでいたことも分かっていた。 10分経った後に佑規さんが戻ってきた時。 俺は誠さんの腕に捕らえられていたから結局その不安を的中させることになってしまったし、それでも尚我慢をしてくれていた彼に俺も甘えてしまっていた。 「すいません…俺、殆ど佑規さんに任せっ放しで…何も出来なかった癖に…余計な不安まで…」 俺の言葉をやんわりと否定した後、佑規さんが「…俺の心が狭いだけだよ」と、上手く感情を読み取ることが出来ない声で呟く。 誠さんが言っていたことは全て正しいんだと言いながら俺を抱き締める彼の腕は、少し震えているような気がした。 「俺達はちょっと、やり過ぎてる」 「…やり過ぎって、言うのは…」 「…俺達は結局、見えない檻の中に紘夢くんを閉じ込めてしまってるんだよ」 「っ……」 ”檻”と言う表現に違和感を覚えた俺は、誠さんが言うところの”内側の人間”だ。 だから、外から見た俺自身がどんな風に目に映るのかが正確に理解出来ないのかも知れない。 あの時誠さんが言っていた”内側の人間”とは佑規さん達恋人のことを指していたようだけど、その中心にいるのが俺で。 佑規さん達に守られている俺は、彼ら以上に周りが見えなくなってしまっている可能性がある。 俺はそれでも良いと思ってしまうけれど、それがどんどんエスカレートしていって本格的に周りが見えなくなってしまったら。 その時は誠さんの言うように、俺達の関係が”内側から崩壊”してしまうのかも知れない。 でも誠さんはそれを防ぐ為に力になると言ってくれた。 簡単に言えばそれは、自分達だけの世界に目を向けてしまっている俺達の視界をもう少し外へと拡げてくれると言う意味なんだと思う。 第三者の意見を耳に入れることで、完全に自分達だけの世界に入り込んでしまわないように近くで見守ってくれると言うことなんだと。 確かに俺達からしたら痛い所を突かれた訳だけど、誠さんはそこを指摘した上で味方になってくれると言っているんだから、そこまでマイナスに捉えなくても良いんじゃないだろうか。 「俺がその気になれば、その檻から自力で外に出ることは可能なんじゃないですか…?」 そっと投げ掛けると、一瞬佑規さんの空気が完全に止まってしまったように感じた。 その後、俺の身体を引き剥がして顔を覗き込んできた彼の表情が驚きと怯えで強張ってしまっていたから、それを解かしてあげる為に彼の顔を引き寄せて唇を重ねる。 「…今のは、無理矢理閉じ込められてるとは思ってないって意味です。俺にとってその檻はもう、居心地の良い場所になっちゃってるから」 「ッ……」 「不満なんて、ないです。それに俺、誠さんに言っちゃったんですけど…」 誠さんと二人の時にした会話の内容、彼にどんなことを言われて、それに対して俺がなんと答えたか。 修さんとの過去については触れずに、それ以外で思い出せる限りのことを全て佑規さんに話した。 それを聞いて貰った上で、誠さんがしようとしてくれていることに対する俺の見解を伝えると、佑規さんは「やっぱり、俺の心が狭いだけだった…」と言って力なく笑っていた。 「良いじゃないですか。誠さんは間に入ってくれるって言ってましたけど、俺達だけでどうにも出来ないことってそんなにないと思いますよ」 「…まあそうだね。それこそ家族の問題、くらいかな」 ああ、それが最難関だった。 そう思ったけど、それを考え始めたら俺まで悲観してしまいそうだから今は止めておこう。 とりあえず今は目の前にある課題を一つずつクリアしていくことが先決だ。 「とりあえず、誠さんの件は解決したってことで皆に伝えて良いですよね?」 「うん。修さんにも直接話すって言ってたから、そことちゃんと話が合ってるかも確認する必要があるし」 「…誠さんのこと、まだ信用し切ってはないんですね」 思わず苦笑を漏らすと、佑規さんは当然だと言う顔をして「うん、今はまだ」と答えた。 口約束だけではまだ完全には信用出来ない、と言う考えが出来る佑規さんのような人が俺の側にいてくれて本当に良かったと思う。 じゃなきゃ俺は騙され放題だった…気がする。 まあ、そう言うのも込みで俺を守ってくれてたのが湊人だったんだけど。 「湊人も佑規さんと同じこと言いそう」 「多分ね。今日来たのが俺じゃなくて湊人くんだったら、あの人はどんなやり方で詰めてきてたんだろう」 「………」 そんなの考えたくもないな… 「そっちは俺には分からない世界です」と返すと佑規さんも「そうだね」と言って笑っていた。 椎名さん相手にも思ったけど俺には心理戦は向いていない。 と言うか、無理だ。そう言うのは頭脳派の皆に任せる。 話をしたことで佑規さんも膿を出せたのか、表情が明るくなったから安心した。 その代わり今度は俺が、冷静になったらなったで今の状況に対して変な気持ちが芽生えてしまったようだ。 突然気まずそうに黙り込んだ俺を見て、佑規さんがふっと笑みを零す。 「こんな場所でそんな顔するから不安になるんだよ」 「っ……これは…佑規さんの前だから、ですよ…」 「そう言うことも普通に言えるし。ここに連れて来たのは俺だけど、駄目だよ。今日は送って行くだけだから」 「え…」 思わず漏らしてしまった声に佑規さんはまた笑みを零し、それから俺の耳元に寄せた口で「期待した?」と意地悪な言葉を囁いた。 その後に”冗談だよ”と続かなさそうなことが何となく感じ取れて、ただただ恥ずかしくなった。 一気に上昇してしまった体温を少しでも下げたくてシャツの第一ボタンに手を伸ばすと「その誘い方は大胆過ぎるよ」と言われて余計に身体が熱くなる。 「そんなじゃ、ないです。その気がないって分かってるのに、そんなことしたって…」 「その気がないと思う?」 「っ……?」 ちょっとどう言う意味なのかが分からない。 困惑の表情を向けると、丁度今開いたばかりの襟元に向かって手を伸ばしてきた彼がそこから覗く薄くなった痕を親指の腹でなぞった。 「暫く続いてたみたいだから、もう少し紘夢くんの身体を労ってあげないといけないなって、皆で話してたんだよ」 「っ……そう…だったんですね…」 「うん。だから、折角紘夢くんがその気になってくれたのに残念だけど、今日は家まで送ったら帰るよ」 そう言いながらも、その指先から伝わってくる感情が俺の浅ましい欲望を煽ってくるから。 これ以上彼の側に居られないと思って二、三歩後退りした。 「じゃあ、駅までで良いです」 その申し出の理由は佑規さんにも分かる筈だ。 そしてそれは佑規さんの為にもなるだろう。 俺のことを思ってくれているその気持ちを無下にはしたくない。 だから、離れ難い気持ちを堪えながらそうお願いしたのに。 「駄目だよ。家まで送る」 「っ、何で」 「お酒飲んでるし、心配だから」 「………そんなの……そんなの逆に、意地悪ですよ…」 頼りない声でそう漏らすと、佑規さんが重たい溜息を吐きながらその場に座り込んだ。 「…修さんちに泊めて貰うよ…」 地面に落とされた嘆くような声。 それが彼なりの譲歩だと分かって、流石にそれには俺も異論は唱えなかった。 その選択がかえって俺達を苦しめると言うことに気付いたのは、それから約1時間後のことだ。 [*前へ][次へ#] [戻る] |