16 何時に帰るかなんて決めていなかったせいでずるずると居座り続けてしまい、やっとの思いで誠くんの部屋を出ようと決めた頃には時刻は既に夜の10時を迎えようとしていた。 「駅まで送ります」 「え?いやっ、良いよ、一人で帰れるから」 「誰かに襲われたらどうするんですか」 「襲われるってそんなこと…」 男の俺を相手に何の心配をしているんだ…と思った後に、ふと以前に電車で痴漢をされたことを思い出す。 あれは明らかに俺が男だと分かった上でされた行為だった。 それを思えば”男だから”と言う理由は通用しない場面もあるのかも知れない。 実際、誠くん達も全員男だしな… 「まあ、一応気を付けて帰るよ。誠くんだって明日は仕事なんでしょ?休める時に休まないと…って、その休みを奪ったのは俺だよね」 苦笑交じりにそう言うと、誠くんがむっとした表情で俺の腰に腕を巻き付けてきた。 「何でそんな言い方するんですか」 「え、…」 「葉太さんと過ごすよりも有意義な休日の過ごし方なんてないです。そんなこと言うなら無理矢理もう一泊させますよ」 「えっ、いやっ、そんなつもりじゃ…」 「じゃあ、もっとちゃんと、俺が貴方の彼氏だってことを認識してください」 「っ……」 「俺は貴方の彼氏なんだから、何よりも貴方を優先したいに決まってます。俺はそれを今日嫌と言う程証明した筈なんですけど、このくらいじゃまだ証明し足りませんか?」 「そんなことっ……ない、です」 俺の言い方が悪かったと謝ると誠くんの表情が少し和らいだ。 奪うと言う表現が良くなかったんだろう。 恋人なんだから休日を一緒に過ごすのは当然で、誠くんにとってはそれ以上の過ごし方はないと言いたいのは分かった。 でも、誠くんにとっての休日は俺と比べたら遥かに貴重な時間なんだから、毎回今日みたいな過ごし方をするのは流石に気が引けてしまう。 「誠くんの言ってることは分かったけど、俺は誠くんが大切だからこそ、休みはちゃんと休んで欲しいなって思ってるだけだよ」 「はい。ありがとうございます。葉太さんのその気持ちは嬉しいですけど、でも大丈夫です。今回の休みは過去一リフレッシュ出来てますから」 「っ……」 そう言って笑う彼の表情には少年のような輝きがあった。 この笑顔を見る為なら本当に何でもしてあげられそうだ、なんて。 最後の最後で年上の心理を働かせてしまって、それに対するお詫びとして自分から彼にそっとキスをした。 また暫く会えないのが辛いのは、誠くんだけじゃないんだよ。 その思いを言葉にする代わりに、そっと触れるだけのキスで伝える。 唇を離して視線を合わせると、誠くんは切ない表情で微笑っていた。 きゅっと苦しくなった胸を誤魔化すように、俺も彼に微笑みかける。 「あー。滅茶苦茶帰したくない。けど、我慢します」 「…うん、俺も我慢する」 「無理かも。いや、我慢はしますけど、…いや、やっぱり我慢したくないです」 「もう、何言ってんの。また直ぐ会えるから」 でしょ?と投げ掛けたら寂しさの溢れる声で「はい…」と返されて思わず笑ってしまった。 衝動的に頭をぽんぽんと撫でると彼の目元が緩む。 「また夜とか、時間がある時に電話しても良いですか?」 「うん。勿論」 「ビデオ通話でも?」 「えっ?」 ビデオ通話って、顔を映すってことだよね? 何かそれ恥ずかしいな…と思いつつも頷くと誠くんが「やった」と言って表情を輝かせる。 それが可愛くてこのまま頭を撫で回したい気持ちになったけど、それは何とか堪えてもう一度だけキスをした。 それからお互いに名残惜しい気持ちを我慢しながら玄関まで向かい、そこで最後に長めの口付けを交わした後、漸く俺は誠くんの家を後にした。 昨日の夕方頃からずっと一緒にいてずっとくっ付いていたから一人になった途端に無性に寂しさを覚えた。 それも歩くだけでもやたら緊張するマンションのお陰で、建物の外に出た時にはほっと一息吐くくらいには気持ちを落ち着かせることが出来ていた。 土地勘のない夜の街をスマホのマップを頼りにして駅まで向かう。 夜と言っても通りに出れば光が溢れていて、行き交う車のライトをぼんやりと視界に入れながらとぼとぼと歩く。 正直言ってヤり過ぎたから身体が重い。 家に着いたら直ぐにベッドに直行したいくらいにはそう言う意味での疲労が溜まっているけれど、この気怠さにもすっかり慣れてしまった。 何だかんだこの二週間、殆ど休むことなく行為に至っていたことを思い返せばそれも仕方がないことなのかも知れない。 この疲労は今後も避けては通れない道だろうし、今はもうそれが心地良いとすら思っているんだから仕事に支障さえ出なければ俺としては問題ない。 ただ、誠くんにも言われたけど、何かの拍子に意図せぬ形で俺の身体が変な反応をしてしまったらどうしよう…と言う怖ろしい不安は出てきてしまっている。 彼らによって俺の身体が変えられてしまっていることは紛れもない事実で、それが今後もっと加速していく可能性だってあるのだ。 流石に仕事中に変な気分になることはないだろうけど…と言うかそんなことあったら駄目だけど、身体が勝手に反応してしまうのはどうしようもない気がする。 まさか俺の人生でそんなことに対して心配をする日がくるとは思わなかったけど、そっちは絶対に気を付けないとな。 そんなことを考えている内に駅に着き、目的の電車に乗り込んだところでふと笹野先生から連絡が届いていたことを思い出した。 誠くんといる時はスマホは殆ど放置していたから返せなかったけど、送られてきたのも数時間前だったからそこまで長い間無視したことにはならないだろう。 そんな言い訳を勝手にしつつ、内容を確認すると明日会えないかと言うストレートなお誘いの文章が書かれていたから少し驚いた。 急なお誘いだなと思ったけど、どうやらそれには先生の子どもの葵くんが関係しているようだ。 葵くんは夏休みだから今は殆ど家にいる状況だと言うのは数日前のやり取りで聞かされていた。 その葵くんが明日は友達と遊びに行くことになって夜まで帰って来ない、らしい。 だから会えないか、と。 笹野先生とはあれから会えていないし、メッセージのやり取りも他の人に比べると極端に少ない。 それは仕事と育児を両立させている彼のことだから仕方がないことだし、それに対して不満なんてものも当然ない。 でもだからこそ人一倍緊張してしまうと言うか。 ただ、明日はタイミング悪く仕事の日だ。 恐らく今回を逃したらまた二人で会える日は当分先までないような気がする。 誠くんと会って直ぐまた次は笹野先生と…とか考えると少し気が引けてしまうけど、それは俺の都合だ。 先生からしたら俺が誠くんと会っていたことは知らないんだし、と自分に言い聞かせて、仕事が終わってからでも良いなら会いたいと返信を打つ。 時間が遅いから返信は明日だろうなと思っていたけど意外と直ぐに返信が届いた。 『何時でも構わないから会いたい』 そう書かれた文字を見た瞬間にどくんと胸が高鳴った。 普段あまりそう言う発言をしない人のここぞと言う時の一言ってかなり効果があると思うんだ。 俺はそれにまんまとやられたようだ。 そうして俺は明日の仕事終わりに笹野先生の自宅にお邪魔することになったのだった。 [*前へ] [戻る] |