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「この度は突然のご連絡にも関わらず、私共の為にお時間を割いていただき誠にありがとうございます」
「いやいや、とんでもない。こちらこそ、ご足労いただきありがとうございます。前島から聞いておりますが、こちらはお詫びの言葉などいただくような立場ではないですよ」
「いえ、きちんと謝罪をさせていただかないと私の気が済みません。河原くんには本当に申し訳ないことをしてしまったと、私も本田も深く反省しております」
誠に申し訳ございませんでしたと言って頭を下げた武内さんに社長が慌てた様子で「ああ、顔を上げてください」と促す。
「謝罪なんて本当に必要のないことなんですよ。お陰様で河原も撮影を無事に終えることが出来たんですから」
「ですが、」
「寧ろこちらは感謝しております。実はあれから監督の方からご連絡をいただきまして、河原の出演シーンを増やしてくださったみたいなんですよ」
「…そうなんですか?」
「はい。ですのでこちらとしては利益しか生まれておりません。お気持ちは大変有り難いですが、どうかこの場はこれで」
それ以上の謝罪は必要ないと断った社長に武内さんが少し力を抜いた声で「分かりました。お心遣いありがとうございます」と返した。
武内さんが納得したことで社長も気が緩んだらしい。
「河原自身も良い経験になったと申しておりました」などと余計なことを言い始めたせいで、折角伏せていた視線を社長の方へ向けてしまった。
そのタイミングでちらっと武内さんと目が合ってしまい、咄嗟に視線を逸らしたけど、その時の彼の目が全然笑っていないように見えて心臓がきゅっと縮まる。
「お相手の方は存じ上げませんが、本田さんのお知り合いですか」
「申し訳ありませんが、相手に関しては私の口からは何も」
「ああ、それなら結構です」
「申し訳ございません。ですが、この件については口外しないようきちんと伝えてあります。無論、本田には私から厳しく指導しておりますのでご安心ください」
「それに関してはこちらも内々の話にさせていただきたいと思っておりますので、お互いに上手くやりませんか」
「そう言っていただけますとこちらとしても有り難いです。撮影に携わっていた方々もその点はご理解いただけているようですので、そちらもご安心いただいて宜しいかと」
「そうですか。何から何まで、こちらは手付かずのままで申し訳ない」
「とんでもないです。皆様にご納得いただけるようでしたら、こちらとしましてもこれ以上は何も申し上げることはございません」
暗にこれで話を終わらせたいと言う武内さんの意を汲んだ社長が真面目な口調で「こちらも異論はございません」と返す。
話がまとまった空気を察して、俺は一度武内さんの方へと視線を向けた。
俺の視線に気付いた彼が「では、お話は以上とさせていただきます」と言って席を立つ。
それに合わせて社長とマネージャー、それから俺が立ち上がったところで、ふと思い出したような様子で武内さんが話し始めた。
「その件に関してもう一つ、大切なお話があったことを忘れておりました」
「何でしょうか?」
「はい。そちらに関しては河原くんと直接お話をさせていただきたいのですが、この後こちらのお部屋をお借りすることは可能でしょうか?」
「それは河原と二人で、と言うことですか?」
「ええ。直接的な事情を知る河原くんとは少し込み入ったお話がございまして」
「成る程」
そう相槌を打った後、社長がマネージャーの前島さんに「この後ここを使う予定は?」と訊ねた。
前島さんが「何もなかったと思います」と答えたのを聞いて、社長が武内さんに「お好きに使っていただいて構いませんよ」と答える。
「社員にも私の方から言っておきますのでご安心ください」
「お心遣い感謝いたします。長居はいたしません」
「そちらはお任せしますよ」
「そうですか。では、もし話が長引くようでしたらお邪魔にならない程度には切り上げますので、申し訳ありませんが宜しくお願いいたします」
最後にお辞儀をした武内さんに社長とマネージャーも軽く頭を下げる。
俺も倣ってぺこっと頭を下げたけど、内心自分の出番がなかったことに拍子抜けしていた。
何も言わなくても武内さんが全て状況を整えてくれたお陰で俺は最後までボロを出さずに済んだけれど、こんなにも簡単に事が進んでしまって良いものか。
何かを見落としてしまっていないか…と不安も抱いたけど、結局何事もなく無事に武内さんと二人きりの状況を迎えることが出来てしまった。
社長とマネージャーが出て行ったのを確認した後、武内さんの方を振り返るとバチリと視線がぶつかった。
それだけでそれまで胸の奥底に鳴りを潜めていた感情が一気に膨れ上がってしまい、足が勝手に彼の元へ動いてしまう。
彼の目の前で立ち止まって瞳を見つめると、その瞳の奥がゆらりと揺れたように見えた。
「理解のある社長さんとマネージャーで良かったね」
薄く笑いながら言われた言葉に「はい…」と返すと腕を引かれて身体をそっと包み込まれた。
ドクっと鼓動が跳ね、心臓が力強く脈打ち始める。
「まさか僕達がこんなことをするだなんて、思いもしなかっただろうけど」
「っ……はい…」
そんな台詞にもまともな返しが出来ないくらい緊張してしまっているらしい。
寧ろその発言に疚しい気持ちも一緒に煽られ、どうしたら良いか分からず棒のように立ち尽くす俺に彼がクスリと笑みを零す。
「可哀想になるくらい緊張してるね」
「っ……すいません…」
「一旦座ってお話でもしようか」
それは俺の為に気を遣ってくれただけだと言うのは分かった。
でも、このまま離れるのは寂しい…と思ってしまった。
身体の横に真っ直ぐ降ろしていた腕を彼の背に回して控え目に抱き着く。
「まだ…このままが…」と漏らすと、俺を抱き締めていた彼の腕が離れ、その手で両頬を包み込まれた。
間近で絡まった視線。
涼しい顔をしているように見えるのに、その瞳だけは熱を帯びていて、そんな彼から目が離せなくなる。
仄かに香る甘い匂いが、俺の思考を奪っていった。
「俺……ちゃんと…見ないように、してました…」
「…うん。知ってる。約束を守ってくれてありがとう」
「っ……態度にも、出さないようにして――」
上手く隠せていたか訊きたかった。
訊かなくてもこの状況になれていることが既に答えなのかも知れないけど。
それを訊いたら、褒めて貰えるかなって…思ったから。
そんな風に求めてしまった俺に、武内さんは優しくキスをしてくれた。
もっと近くなった彼の瞳が驚く俺の顔を映して、それから綺麗に細められる。
「僕の方が我慢出来なくて何回か見ちゃってた、って言ったら怒る?」
「ッ!……そ……」
それは知らない、と思ったけど俺は彼を見ないようにしていたんだから知らなくて当然だ。
でも、それを知ったからって怒ろうなんて思わなかった。
彼から言い出したことではあるけど、俺は自分自身の為に彼を見ないようにしていただけなのだから。
「怒りません、けど…俺も見たかったです」
「…どうしてか訊いても良い?」
「…何て言うか……オン?の時の武内さんは…初めてだったから…」
社長とやり取りをしている時の武内さんは俺が初めて目にする姿だった。
殆ど声しか聞いていなかったけどさっきのが完璧な対応だったって言うのは俺でも分かる。
それくらいスマートだったって言うか、隙も抜かりもない対応だったと思う。
それには流石だなと感心したけど、オンの時の武内さんはやっぱり完璧過ぎて俺には近寄り難い空気を纏っているような感じがしてしまった。
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