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そっと顔を上げた葉太が篤志の表情を確認して、息を呑んだ。
それから、何か言いたげに薄く開いた篤志の唇に目がいって、葉太の視線は縫い留められたかのようにそこから逸らすことが出来なくなってしまう。

先程よりも増してしまった心臓の音は、こんなにも近い距離にいるのだから篤志にも聞こえているかも知れない。
この音は確実に篤志に対するドキドキでしかないが、それは篤志も同じだったのだろうか。
篤志の鼓動が速度を上げていた理由がそれと同じなのだとしたら、彼が困ると言った理由を葉太も漸く理解出来たようだ。

それが理解出来たのだから、葉太は今から自分が言おうとしていることが篤志をもっと困らせてしまうものだと言うこともちゃんと分かっていた。
篤志を困らせたい訳ではないけれど、顔を見たら終わりだと言っていたことも思い出すと、篤志がそれを心から望んでいないとも思えない。

そんなことを真面目に考えてみても、それは葉太にとってはあまり意味のないことだった。


「篤志、さん……キス…したい、です…」


葉太には駆け引きなど出来やしない。
ストレートな誘いを受けて「だろうな」と思った篤志が、葉太の分かりやすいその表情を見つめながらそっと頬に手を添える。


「キスで止めれる自信ないよ、俺」

「ッ……それ、は…俺も…」

「駄目だよ。葉太くんはちゃんと拒まないと。俺が暴走したら殴ってでも止めてよ?」

「殴っ…そんなこと出来る訳っ」

「出来ない、じゃなくて、そうしないと駄目なんだって。じゃないと俺が酷い男になっちゃうじゃん。しないって約束して来たのに」


そこで言葉を切ると、篤志は葉太の唇にそっと口付けを落とした。

すぐに離れていくかと思ったら、また吸い寄せられるかのように葉太のそれと重なる。
繰り返されるその回数に篤志の気持ちは表れているが、触れ合うだけでそれ以上は深まっていかない。
それが篤志なりの気持ちの抑え方なのだと思うと、葉太は胸が苦しくて仕方がなかった。


「篤志さん……篤志さんは…ずっと、優しいです…っ」

「ん、そんなこと言っても駄目」

「違っ…俺、あれから…篤志さんのこと…考えてて…っ」

「あれから?」


そう訊ねながらも篤志は戯れのようなキスを止めようとはしない。
ただでさえ話し下手な葉太は、お陰で言いたいことをちゃんと伝えることが出来そうになくて困ってしまう。


「先週篤志さんと、連絡取れなく…なってから…」

「それは俺も。俺もずっと、葉太くんのこと考えてたよ」

「…それ……知らない、から……わかんなくて…っ、篤志さんちょっとそれ、待ってくださ…」

「やだ。ちゃんと聞いてるから、続けて」


やだってそんな、可愛く言われても。

葉太が見るからに困惑していると分かっていながらも、篤志も止める気はないらしい。
ただ葉太も、話したいけれど上手く話せないことに困っているだけでそれ自体を嫌だとは思っていないので、お互い様である。

それでも篤志の方が少し譲歩したようで、葉太が喋りやすいように唇ではなくその周りや頬に口付けを落とし始めた。


「それで?」

「っ……それで、…最初は俺、嫌われちゃったのかなって…思って…」


そこまで言うと篤志の動きが止まった。
葉太の顔を覗き込むその表情が僅かに曇る。


「でも…そうじゃないって…思いたくて……一回美容室に、会いに行ったんですけど…」

「え?え、何それ?いつ?」

「っ……木曜の朝の…9時くらいに…」

「木曜…?」


葉太に言われて記憶を辿り始めた篤志だったが、暫く考えたら記憶が繋がったらしい。
「もしかして…」と呟いた篤志に葉太が苦笑を向ける。


「誠くんが、いたから…声掛けられなくて…」

「……あー……マジかぁ……そんなタイミング…」

「それでも本当は、夜に出直そうとしてたんですけど…それも、その…」

「……木曜は…笹野先生…だったね」

「ッ……」


はい、とは答えずに視線を泳がせた葉太に、篤志がそっと溜息を吐く。
それからベッドに体重を預けるように仰向けになると、篤志はそのまま天井を見つめながら「あの日さ…」と語り始めた。


「俺と誠くんも、お互いに何も知らない状態で、葉太くんの話をしてたんだよ」

「え…?」

「お互いに相手の素性は伏せたまま…てか、誠くんは殆ど何も言わなかったから俺が一方的に話を聞いて貰ってただけだったけど」

「っ……」

「最後はでも、お互いに励まし合ってたんだからね?俺なんて誠くんのこと応援しちゃってたし」


篤志は特に葉太を責めているような様子でもないが、そんな話を聞かされた後に葉太が言おうとしていたことなど言える筈がなかった。

ただ、一貫して言えることがある。
それはもう葉太も既に口にしていることではあるが、今度はそれを篤志に訊ねる形で伝える。


「どうしてそんなに…優しく出来るんですか…」


篤志は自分の意見や思いを口にしつつも絶対に強要はしない。
毎回葉太に選択の余地を与えてくれる。
それが篤志の性格によるものなのか、年齢や経験といったものから生まれる余裕なのか、そうじゃないのか。
それが葉太には分からなかった。


「どうしてって、言われてもね」


そう言って篤志が困ったように笑う。

理由がないから困っている訳ではない。
篤志にとってその理由は一つしかないのだが、それは葉太には言っても分からないだろうなと思っているのだ。
とても簡単なことだけれど、葉太はまだそのラインにすら立っていないだろうから、と。


「そんなに優しくしてるつもりもないんだけどね。ただそうなっちゃうってだけで」

「…それは、篤志さんがそう言う人だからってことですか…?」

「んー。どうだろう。それもあるかも知れないけど、葉太くん以外にはここまでじゃなかったよ」

「……俺以外、には…」

「うん、過去の話ね」

「……それは…」


どうしてですか、と続くものだと思っていた篤志はその為の答えを用意していたのだが、葉太も完全に考えることを放棄していた訳ではなかった。


「俺が篤志さんにとって特別だから…ってことで、合ってますか…?」


全てが篤志の性格によるものと言う訳ではないのならば、経験によるものなのかも知れないと思ったけれど。
自分以外にはそこまでじゃなかったと言われたのだ。
だったらもうそれしかないんじゃないか、と葉太は思った。

限りなく正解に近い答えを出された篤志は驚いた勢いで「うん」と答えてしまっていた。
正確に伝えようと思ったら補足が必要なのだが、篤志の答えを聞いた葉太が目元を柔らかに緩めながら篤志の胸に抱き着くように擦り寄ってきたので、篤志は一瞬呼吸することさえも忘れてしまった。


「…これは…どう言う状況…?」

「…篤志さんの特別になれてると思ったら…凄く嬉しくて…抱き着いちゃいました…」

「ッ………」


とんでもない台詞をとんでもない声で言ってしまっていると言うことに気付いていないこのとんでもない生き物は、もしかして篤志の理性を崩壊させようとしているのだろうか。
勘弁してくれ、と思った篤志だったが、今のは葉太の猛撃の始まりに過ぎないと言うことをこの後直ぐに思い知る。


「俺、やっぱりまだまだ分かってなかったみたいです。好きになるって、そう言うことでもあるんですね」

「……え…?」

「その……キスしたい…とか……触りたい、とか……好きだから思うことなんだろうなって言うのは…分かってたんですけど…」

「………え?」

「好きになるって、もっと簡単なことだったんだなって…。俺がこれから、篤志さんのことをどんどん好きになっていったら…俺も篤志さんに優しく出来るってこと、ですよね…?」

「………」

「これからは俺も、自然と篤志さんに優しくなれる…ってことになりますよね?」

「………」


後半葉太はしっかりと篤志に対して投げ掛けていたのだが、篤志からの反応が一切なくなったので不安になった。
間違っているのか?と思いながら、一先ず篤志の表情を確認する為に葉太が顔を上げようとしたら、先程と同じように胸板に顔を押し当てられ拒まれた。

葉太は「また?」と思ったけれど、今回は少し理由が違ったみたいだ。
頭上から、困惑しているのがハッキリと分かる程の声で「ちょっと今見せられる顔してないから待って…」と聞こえてきて、葉太は胸に広がった感情のままに篤志の身体をぎゅっと抱き締めた。




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