16 そろそろ話を戻そうと言っていた筈なのに、もうずっと脱線しっ放しだ。 この状況をどうにか出来そうなのはもう笹野先生しかいないと俺は踏んでいる。 先生は恐らく自身のフェチを公言するようなこともしないだろうし、エピソードトークをぶっ込んできたりもしないだろう。 カオスなこの状況にもきっと辟易していると思うんだ。 だからストレートに「笹野先生、助けてください」と助けを求めたら、少し困った表情を見せた彼が口を開くよりも先に俺の後ろにいる上條さんが「ちょっと待って」と間に入ってきた。 また脱線してしまう…と思ってしまったけれど、上條さんの発言によってここからまさかの展開が広がっていくことになる。 「確認しておきたいことがあるんだけど」 「っ…俺にですか?」 「いや、笹野さんと三森くんに」 「「え?」」 俺と声を揃えた諒太さんに対して上條さんはそのまま「君も葉太くんの何かしらに反応を示すところがあるの?」と訊ねた。 滅茶苦茶オブラートに包んだ表現をしてくれたのは有難いけど、今更感はある。 今までの話の流れがなければその言い方だと意味が通じていなかったかも知れない。 「そう、ですね。俺は彼の匂いに」と答えた諒太さんに「成る程」と相槌を打った上條さんが、少し身体をずらしてカメラに映る位置に移動する。 それから画面に向かって「笹野さんは」と短く訊ねた彼に、先生は静かな声で「何とは言いませんが、そうですね」と答えた。 それが意味のない行動だとは誰も思わなかったようだ。 まさか、寄り道していると思っていた話題が本筋になってしまうとは流石に誰も予想していなかっただろうけれど。 そのやり取りを見守っていた皆を代表して篤志さんが「それで、何が分かったの?」と訊ねた。 「もう一つだけ三森くんに質問をさせてください。君と若月くんの仲がどれくらいのものかは分からないけど、彼についての知識は結構持っているよね?」 突然挙げられた名前に反応したのは当然だけど俺だけじゃなかった。 それまでの空気が一変し、それぞれが真剣な表情で上條さんの発言に注目する。 「まあ、ある程度は。種類にもよると思いますけど」 「じゃあ、彼にもある?所謂”フェチ”と呼べそうなもので、尚且つ”性的興奮”に繋がりそうなものが」 それを聞いて、誰もがその発言の意図を理解することが出来ただろう。 この時に俺は咄嗟に願ってしまった。 その質問に対して諒太さんが「ない」と答えることを。 諒太さんは暫く考えるような素振りを見せた後、視線の先を上條さんから俺へと移した。 目が合って、どきっと心臓が跳ねる。 彼の口がその答えを紡ぐ為に開かれたのが見えて息を呑んだその時。 ――――ピンポーン 静まり返っていた室内に鳴り響いた音に、この場にいる俺達四人は小さく肩を揺らして顔を見合わせた。 瞬時に振り返って室内モニターを確認した諒太さんが茫然と漏らした名前を聞いて、今度は画面の向こうから『えっ…』と複数の声が上がる。 「すみません、用件だけ訊いて帰って貰うので、このまま待っていてください」 そう言って立ち上がった諒太さんがモニターの前へと向かう。 その背中を俺達三人は不安と緊張の眼差しで見守ることしか出来ない。 「はい」 『鍵返しに来た』 モニター越しに聞こえた発言に、そう言うことか…と突然の来訪理由に納得した。 「分かった。直ぐ出る」と答えてモニターを切った諒太さんが「鍵だけ受け取ってきます」と言って玄関の方へ向かう。 恐らく玄関に並ぶ靴を見たら来客中だと言うことが彼にも伝わってしまうだろうけど、それが複数人だと分かれば直ぐに帰ってくれるだろうと思って少し安心した。 今回はちゃんとインターホンを鳴らしてくれたことにも感謝しながら。 それにしても、鍵を受け取るだけにしては時間が掛かっているような気がする。 戻ってくる気配のない諒太さんを心配して「大丈夫、ですかね…」と小声で漏らすと、篤志さんも「うーん…」と唸りながら玄関へと繋がるドアの方へ目を向ける。 「俺が様子を見に行くのはアリだと思うけど」 「寧ろ行ってあげた方が良いかも知れません。その方が三森くんも追い返しやすくなると思います」 「確かに。じゃあちょっと様子見に行ってくる」 不安な表情を向ける俺に対して「待っててね」と言って立ち上がった篤志さんがドアの方へ向かおうとした時だった。 玄関の方から諒太さんの声が聞こえ、篤志さんが足を止める。 そのまま近付いてくる声にまさか、と動揺した俺は咄嗟に上條さんの腕を掴んで隠れるように身を寄せた。 そんなことをしたって無駄だと分かっていたけれど、どうにかして存在を消すことが出来ないかと瞬時に考えた結果の行動だったんだと思う。 それが寧ろ良くなかったと言うことに気付いたのは、無情にも開け放たれたドアの向こうから現れた彼の姿を確認した後のことだ。 「…どう言う状況?」 唖然とした表情で漏らされた言葉を聞いて、それはこっちの台詞だと言いたくなったのは俺だけじゃないだろう。 「どうもこうもない。勝手に家に上がるのは――」 「それ、諒太は俺には言えない筈だよ」 「っ、それは時と場合によるだろ。すみません、帰れって言ったんですけど勝手に――」 「突然押しかけてしまってすみません。俺は彼の友人なのですが、彼が自宅に人を招くことは滅多にないので、どう言うご関係なのか伺おうと思いまして」 諒太さんの言葉を遮って伝えられた事情は、恐らく彼なりに諒太さんを心配したが故のものだったんじゃないかと思った。 怪我が回復したばかりの日に、そしてこんな時間に、複数人で押しかけて。 本当は迷惑だと思っていても諒太さんは断れない性格だとよく分かっているから。 だからもし、諒太さんにとって邪魔な存在だと判断出来たら代わりに追い払おうとしていたんじゃないか。 そう予想しながら厳しい表情の彼を見つめていると、不意に篤志さんが焦った声で「上條くん画面消してっ」と指示を出した。 それを聞いてはっとなった俺は直ぐに上條さんから離れ、上條さんも立ち上がってパソコンの画面を操作しようとしたんだけれど。 『待って(ください)』 画面の向こうから同時に上がった二つの声が、その場の空気をピタリと止めた。 『やっぱり誠くんもそうなる?』 『そうですね。このまま黙っている訳にはいきませんから』 『ちょっと待って、二人とも何を考えて――』 『武内さんがいるからまあ大丈夫だろって思ってるんで、なんかまあ、色々お願いしますね』 『…はあ?いや、待っ――』 『葉太さん、若月理仁さんをそこに呼んでください』 「「!?」」 誠くんの声はこの場にいる全員にしっかりと届いてしまっていた。 いや、それどころかその前のやり取りも、全部聞かれてしまっている。 誠くんが今名前を呼んだ、若月さんに。 自分を指差して「俺が呼ばれてる?」と確認を取ってきた若月さんに、後ろから諒太さんが「今のは聞かなかったことにして欲しい」と声を掛けた。 諒太さんの配慮はこの場にいる全員に対してのものだろう。 その中でも、画面の向こうにいる二人と俺のことは特に気にしてくれているんだと言うことも分かる。 その気持ちはとても有難いし、折角の厚意を無下にするつもりもないけれど。 「若月さん」 俺がその名前を呼ぶと、武内さんと諒太さんが同時に俺を止めた。 それが最後の警告だっただろう。 でも、あの二人が腹を括ったんだから、俺だけいつまでも逃げる訳にはいかないじゃないか。 「こっちに来て貰っても良いですか」 複数の溜息と呆れの声が耳に届く中。 この場に不釣り合いな態度で「理仁って呼んでって言ってるのになあ」と漏らした若月さんの声がやけに大きく室内に響いた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |