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「葉太くん」と呼んだその声は、わざとなのかと言いたくなるくらい、優しい響きをしていた。

きゅっと目を閉じて「…無理だって、言ったじゃないですか…」と弱々しく呟いた俺に、諒太さんが「でも、生きてる」と言って静かに笑う。
確かに死なずには済んだかも知れないけど、寿命は確実に縮まったと思うんだ。


「俺だけの呼び方でもないのに」

「そう、ですけど。俺はギャップに弱いんですって」

「…だからか」


意味深な呟きが聞こえてそっと目を開けた。
目が合うとふっと微笑まれ、熱を持った頬に手を添えられる。


「セックスの時だけ敬語を止める、って言う選択肢は、ナシですか?」

「ッ!!??」


確信犯的その発言に度肝を拭かれ、それから頭の中でその状況を想像した俺は無事に昇天した。

声にならない声を上げて後ろに倒れそうになった身体を諒太さんが片腕で抱き留める。
いっそこのまま倒れさせて欲しいと結構本気で思った。

魂が抜けたままの状態で「ナシです…」と答えた俺に彼が「じゃあ、たまに敬語に戻します」とまたもや意地悪を言ってくる。


「…何でそんなことするんですか」

「それが好きみたいだから」

「好きとは言ってません」

「嫌ならやめる」

「ッ……何でそんなこと言うんですかあ」


諒太さんの馬鹿ぁと心の中で嘆きながらその場に蹲る。
直ぐに頭の上に乗せられた手がそこを優しく撫でた。
笑っているんだろうなと言うことが空気から伝わってきて、また少し体温が上がる。


「俺が普通に話すと冷たい印象を与えるかも知れないけど、そんな風には思わないで欲しい」

「…全然。諒太さんはちゃんと感情を表現してくれるから、大丈夫です」

「それは多分、葉太くんだから。周りからはそう思われてる」


髪を梳くような手付きで頭を撫でながら、淡々とした口調で彼は言った。
だとしたら何だって言うんだろう、と言うのが正直な感想だ。


「伝えたい人に伝わればそれで良いんじゃないですか?」


顔を上げてそう投げ掛けた俺に彼は一瞬目を瞠り、それからふっと目元を緩めて微笑んだ。


「……何、ですか」

「好きだなって、思って見てる」


それは伝わってると思ってた、と言って穏やかに笑う彼にそのまま土下座をして勘弁してくださいと頼んだ。

敬語じゃなくなったからって性格まで変わってしまったのかと言うと、そうじゃない。
諒太さんはそもそもそう言うことを恥ずかしがって言わない人ではなかったから、突然俺に対して甘くなった訳じゃないことは分かっているんだけど。
それでも急激に距離が縮まったように感じてしまうのは、それだけ口調の影響が大きいと言うことなんだろうか。

…本当にそれだけかな。


「そう言えば、理仁のことは最初から名前で呼んでた?」

「っ……いや…つい最近……若月は芸名だから、名前の方が…って言われて…」

「それなら呼び方も戻したら良いと思う」

「え?」

「例え表向きだろうと、先輩後輩の関係を貫くならその方が自然じゃないかな。葉太くんの先輩は若月理仁なんだから」


やっぱりそれだけじゃなかった。

どうやら理仁さんの存在が彼に影響を与えているらしい。
理仁さんに対する対抗心?のようなものが諒太さんの中にある何かを解放させてしまったようだ。

それ自体は、困るようで困らないから良いんだけど。


「……納得して貰えますかね…?」

「俺が納得させる」

「っ……理仁さんは…」

「葉太くんが理仁のことをそうやって呼ぶの、凄く嫌なんだ」

「ッ!!」


眉を寄せて不快感を露にするその反応は、もしかしたら理仁さん限定のものなのかも知れない。

親しい存在だからこその感情なんだろうか。
俺にはそれを読み取ることは出来ないけど、諒太さんがそう言うなら俺はそれを受け入れようと思う。


「じゃあ、若月さんに戻します」

「…ごめん、心が狭くて」

「いや、諒太さんの心はかなり広い方だと思いますよ」

「…そうかな。でも、理仁が葉太くんにキスをしかけたって話がずっと気になって仕方がない」

「っ…それは…」


食事の席で何があったのかを詳しく説明すると、事情は分かって貰えたようだけど諒太さんの表情は依然として苦いままだ。


「酔った勢いでキスしようとするなんて最低だ」

「……まあ、本当にしようとしていたかは、定かではないですけど…」


苦笑混じりに答えると静かに溜息を吐かれた。
理仁さんを庇うようなことを言ったからかと思ったけど、そうじゃなかったようだ。

沈んだ声で「俺が言えることじゃなかった…」と呟かれた台詞には思い当たる節がなかった。
首を傾げると、二週間前に俺に声を掛けた時は初めから下心があったのだと正直に打ち明けられて純粋に驚く。

そんな風には見えなかった。
それもあるし、これは今だから思えることなのかも知れないけど、それが事実ならあの時声を掛けて貰えて良かったと思ってしまう。


「ただ、自分のことを棚に上げて理仁だけを責めるのは間違ってるかも知れない…けど、あの時葉太くんに声を掛けたことは、今でも後悔してない」

「っ…良かった。後悔してるって言われたら、ショックで泣いてたかも知れません」

「本当に…?」


はい、と頷くと漸く諒太さんの表情に穏やかな笑みが浮かんだ。
俺があの時、この優しい笑顔に癒やされたのも事実で、諒太さんが真面目で丁寧で謙虚な人だと言う印象は今でも変わらない。

そんなところが好きだと思うし、スイッチが切り替わった後の彼も俺は好きだ。

好きだと強く認識したら無性にキスがしたくなった。
そこで初めて気付く。
今日まだ彼と一度もキスをしていないと言うことに。

「諒太さん、気付いてましたか」と言う切り出し方でその事実を伝えた俺に、彼は困ったような表情で「実はずっと我慢してた」と衝撃の事実を告白した。
意味が分からな過ぎて声すら上げられなかったんだけど、それは本当に意味が分からない。


「我慢する理由って何かあったんですか?」

「っ…顔が、怖い…かも知れない…」

「いやだって。え?俺から拒絶オーラとか何かそんな感じのもの出てました?」

「いや、…それは別に…。ただ、真面目な話が続いてたから…としか…」


真面目な話をしていたらキスをしたら駄目なのか、と率直な疑問を抱いた俺は恐らく欲望に忠実過ぎる愚か者なんだろう。
諒太さんはただ空気を読んで自制心を働かせていただけであって、したいと思ったらすると言う精神で動いている俺の方が余程可笑しいのだ。

でも。


「極端な話、理仁さんの目の前でされてたとしても、困りはしたと思いますけど、嫌がりはしなかったと思います」


だからしたいと思った時にして欲しいと言うと、諒太さんは呆気にとられながら「突っ込むところが多過ぎるんだけど、全部に突っ込ませて貰って良いかな…」と謎の確認を取ってきた。

例が極端過ぎると言うことくらいしか思い当たらないんだけど、そんなに突っ込むポイントがあっただろうか。
とりあえず「どうぞ」と答えると「先ず、呼び方」と言われたので早くもこの討論に終止符を打ちたくなった。


「そんなこと言われたら全部どうでも良くなるじゃないですか」

「全然どうでも良くない」

「ああいや、そっちの話じゃなくて」

「そっちって、どっちの話?」

「え?だから、…諒太さんとキスしたいって話です」

「それがどうでも良いってこと?」

「えっ?違います。えっ。俺何か可笑しいこと言ってるかな…そうじゃなくて、」

「ごめん。ごめん」


何故か二回謝った諒太さんはその台詞に全くそぐわない蕩けるような笑みで俺を見つめ、それからそっと俺の唇を塞いだ。

謝罪の理由はこの後に聞かされた。
俺が可愛くて意地悪をしていただけなんだと。

キスされた上にそんなこと言われて俺が平常心を保っていられると思っているのか。
無理に決まってるからそのまま俺はずるずると床に崩れ落ち、後頭部ではなく前頭部を床に優しく打ち付けて気持ちを沈めることにした。




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あきゅろす。
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