街の中心から少し外れたところにある、蔦が這う三階建ての白亜の一軒家。
その家にはとんがり帽子を被せたような屋根が付いており、彼女は屋根裏部屋に当たるその部分に住んでいた。
「よう、元気かベベ」
'ベベ'――フランスは親しみを込め、彼女のことをそう呼んだ。
この家の屋根裏以外の部屋は持ち主である彼女の意志によって貸し出されているのだが、音楽院が近いため、そのほとんどは様々な楽器の奏者の卵が住んでいる。
フランスと名乗る男は真っ赤な薔薇の花束を手みやげに、この家を数週間に一度訪れた。
「…機嫌良さそうだな?」
「そうね」
「いい加減ベベは止めてって言ってるのに。」
私もう'マドモアゼル'って呼ばれてるのよ、と彼女はいい顔をしない。
受け取った薔薇の棘の削がれた跡を見ながら、わずかに頬を膨らませ、あからさまにフランスから視線を外した。
「そういうところがベベなんだぞ」と、フランスは楽しそうに、ふくよかな頬を突っつく。
'ベベ'はかぁっと顔を赤くし、急いでカーテンを閉めに行った。
次に花瓶に新しい水を汲んで薔薇を生ける。彼女はパタパタと忙しい。
「..ふーん、あれかぁ」
一階から三階まで、ピアノやフルート、チェロ、クラリネットなど多彩な音色が響く。
窓の前に置かれたピアノの椅子に座る彼女の背中を見ながら、フランスはぽつりと呟いた。
専門家でもないが、いつだかの奴は酷かったとか素晴らしかったとか、とめどない彼の独り言がこの屋根裏を歩き回っていた。
「今夜はどの音で歌うんだ?」
「三階のピアニスト」
「へぇ。新しいやつか。」
周りの家の明かりが消えていくのに伴って、この家の音もだんだん消えていった。
彼女は夜明け前の瞬間、最後まで残った音色に声を載せる。
単純に音楽が好きな所為もあるが、自身の家に住む卵たちの成功を祈り歌っていた。
三階のピアニスト。
成績はいまいちだが、どこか惹かれる音を奏でる青年だ。
彼は向上心豊かであり、毎夜のように一番遅くまでピアノを弾いている。
今夜も屋根裏のベベは彼と歌う。そのはずだったのだが、彼女はベッドに横になっていた。
「いい子守歌じゃないか」
大人しく寝ろと額を小突かれる彼女はついさっきから、急に熱を出していた。おそらく最近の不況が原因だろうと思われる。
'国'というものは、何よりそれに弱い。
「眠らないよ、まだ」
フランスの青い目をまっすぐに見つめて言った。あの不安定で美しい音の終わりを聴き届けるまでは眠られないと言うのだ。
こんな頑固な子になるなんて。
お兄さん、お前の育て方間違えたかな…
夜明けの儚げな空気の中で、フランスはそっとスールの柔らかな淡い金色を撫でる。(彼女が起きていたら、スールと呼ぶのも否定するだろうが…)
彼女を自由にした昔の戦争から一体どれほど経つだろう。
いくら過去を顧みても、元々支配という繋がりしか無かった彼と彼女は兄妹でも何でもない。
海を隔てた向こうのイギリスが、今の彼と似たようなため息を吐いていたことを思い出す。
フランスゆずりの繊細な髪が、彼の手の上でさらりと流れる。それは彼女が聴き惚れた旋律に、鈍く光っていた。
窓辺のすっかり薄れた月明かりにも、変わらず薔薇は艶やかな赤い花を広げている。
口付けは髪の一房に、額に、瞼に、優しく愛おしげな様子で落とされた。
「Je vous amie.
愛してる。
――ハンナ」
ma petite amie
(僕の恋人)
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