「ほう、お前がスイスの妹か」
「リヒテンシュタインと申します、ハンナ様」
スイスは今日もリヒテンシュタインに講義をしてやろうとしたのだが、さっきから姿を見ない。
探しに出てみれば、すぐ近くの部屋から話し声がした。
「リヒテンシュタイン、堅苦しい敬称は付けるな。ハンナでいいのだ」
「そんな…いけませんわ」
開いている扉の向こうを覗けば、非常に見覚えのある女の姿がある。
リヒテンシュタインが言葉に詰まり困っているようでもあったので、スイスはカツカツと靴を鳴らした。
「姉上!!」
スイスに、彼が誰かの弟であるというイメージの持てないリヒテンシュタインは、思わず耳を疑った。
「おおスイス、久しいぞ」
「来るならそうと連絡を入れるべきである!」
髪をはじめ、凛々しい瞳と動揺し落ち着きの無い瞳が、寸分違わぬ色味であることに気付く。
加えてこの不自然な口調は間違いない。リヒテンシュタインは声を殺して笑った。
「連絡などしてみろ、お前は私の声を聞いた途端に電話を切るだろうが」
「…それは姉上が我が輩の忙しい時に掛けてくるからである」
「嘘をつけ。姉である私と話すことが面倒なだけだろう、貴様」
切っ先の白く光るナイフがスイスの喉元を狙う。
よく研かれた刃は、少しの力で皮を割いてしまうであろうほどのもののように見えた。
「ハンナ姉様、落ち着いて下さいまし」
「…ああリヒテンシュタイン」
澄みきったリヒテンシュタインの一声に、ハンナはナイフを収めた。
スイスは分からないように安堵の息をつく。さすがの彼も、実の姉に銃を向けることはできないようだった。
「いけない、つい寂しさの余り怒ってしまったよ」
「姉上……我が輩が言えたことではないが、そういうことは素直に言ってもらいたい」
恐らく近所では最も物騒なこの姉弟。しかし、きちんと思い合ってはいるようである。
ハンナは心を落ち着かせたところで、持参した鞄を持ち上げた。
「そうだスイス、今日は土産があるぞ」
そう言って鞄から取り出されたのは、普段店でスイスが敢えて見過ごしたり、伸ばした手を引っ込めたりするような品の数々。
「今夜は共に食事をしようと思ってな」
チーズをはじめ普段の食材と変わり映えはしないが、格で言えば軽く一つや二つ上の物だ。
「多めに持ってきてある。リヒテンシュタインも遠慮しないようにな」
「ありがとうございます」
それと、と言いながら鞄からは次々と物が出てくる。
(可愛い妹にスイスの昔話を聞かせてやろう、と姉様が言って鞄からアルバムや絵が出してきたときの、あの兄様の慌てようは忘れられそうにありません)
「…姉上は我が輩に怨みでもあるのか?」
「そんなもの……強いて言うならお前が甘え知らずであることだ」
「たまには甘やかせさせてくれ、スイス」
ハンナの白い手がスイスの金の髪を撫でる。犬の頭をそうするように手を動かしていた。
そして、涙を拭うような優しい手つきで頬を撫でる。スイスの顔が、わずかに赤く染まる。
「あ、姉上…」
「なんだ?」
「我が輩は今や兄でもあるのだ。妹、リヒテンの前で弟扱いは止めてほしいのである」
「スイス………」
言ってやった。
スイスがそう思った途端、ハンナの眉が垂れ下がる。
如何にも彼が悪者であるかのような状況に、スイスは固まってしまう。
「そうか、お前はもう…… リヒテンシュタイン?」
「ハンナ姉様、私を忘れないで下さいましね」
リヒテンシュタインの華奢な腕が、ハンナに抱き付く。はっとして目を合わせた姉に、にこりと微笑んだ。
「私もあなたの妹ではありませんか」
ハンナの目に涙が浮かぶ。
今まで棒立ちしていたスイスがぎょっとして近寄ると、しなやかな腕が彼を捕らえた。
「いい子だな、」
「…我が輩の妹であるからな」
「そして我が輩は、自慢の姉に育てられた、姉上の弟である」
「――――スイス!!」
姉バカ日誌、弟バカ日誌
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