微睡んだ夜の帷をすり抜ける。
裂いた闇の向こうから、規則正しい息遣いが聞こえてきた。
部屋には冷たい風の匂いと、思い人の甘い匂いが満ちている。日本は強ばった頬にその空気を含み、息吹に紛れて吐く。
月明かりでようやく見えるばかりのその人は、安らかに寝息を立てて眠っている。とはいえ今夜は冷える。窓を閉じて、身震いを一つした。
足袋の裏と畳の目とが擦れて音を立てぬよう、そっと布団の傍まで足を運ぶ。
そして日本は掛け布団の隅を掴んで潜り込み、横向きに丸まった体に覆い被さる。
ひやりとした手足の感触に、柔らかな体がピクリと小さく跳ねた。
「ハンナ……姉、さん」
日本のしなやかな指が雪のような頬を撫でる。一拍置いて、無防備に向き合った唇が重なり、濡れた。
彼が姉と呼んだ女性の瞼が開くのに時間はいらなかった。
「…菊、さん」
「どうしたのです。
日本男児が涙など見せて」
「姉上が優しすぎるのです、」
ハンナは綻ぶ花のように微笑み、腕を上げて覆い被さっている日本の頭を撫でた。
はるか昔のように、何の疑いもなく許した。日本は、彼女が纏う石鹸の爽やかな香りを忘れたことはなかった。
「さあ、深呼吸を。」
「…何故でしょう、ね」
「なにが?」
日本は昔から、優しく温かい姉が好きだった。
「姉上、お願いがあります」
誰か他の人に攫われるくらいなら、罪を犯してでも、自分がこの人と交わるのだとまで思っていた。
「…どうか私を拒んでください」
「え?
何なの菊さん、分からないわ」
「こういう、ことですよ」
日本は震える手を長い黒髪の後頭部に回し、強引に口付けた。
やはり姉弟というのは雄と雌として決して相容れぬのが、言わずとも誰もが知る暗黙の了解、ルールだった。そういったものを踏みにじることは相当な勇気が要った。
「あなたが拒んでくださったなら
私もこの恋心に…諦めがつくと思うのです」
ぶつかるように押し付けた唇を離すと、彼女は真っ直ぐに、肩を上下して息を切らせた日本を見ていた。
守るべき道徳。高ぶるばかりの感情。
両の大きすぎる存在に挟まれて、彼自身、もう訳が分からないのだ。
拒絶されれば、どうにか抑えられるかもしれないと考えていた。
だから、拒んでほしいと頼んだ。
しかし彼女は何も言わなかった。
脅迫するように唸る耳鳴りに堪えられず布の擦れる音を立てて、もう一度キスをした。
「気は、済みましたか」
それでも、艶やかな唇や白い腕が、日本を否定することはなかった。
「何故です姉上」
「何故私を、拒絶してくださらないのですか…!」
「私には出来ないの」
ハンナは縋るようにして首に両腕をまわした。どこか熱っぽい体が日本の体に触れる。
甘い刹那の後に、日本の深い焦げ茶の目がまん丸と開く。
「ハンナ姉さん、何を…。」
長座するハンナと、彼女の体を覆っていた姿勢から直って正面に座る日本。
はっとして俯いた。唇に手を当て、ハンナは息を乱した。行為の後のたった今、自分のしたことに気付いたかのような表情をしていた。
「……」
「え、?」
「ご免なさい。
菊さん。
ご免なさい…」
「…ご免、なさい……。」
日本の姉はその顔を両手の面で隠し、密やかに涙を流した。
「ご免なさい」一つの言葉を覚えた鳥のように、それをひたすら繰り返し呟きながら、彼女は泣いていた。
「私も、あなたを愛してしまったの」
愛してはいけないあなたよ、今、共に禁を破ろうか
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