「う゛おおおい!!!」
俺と彼女の穏やかな時間は、突如終わりを告げた。
The third
三人目
「ス、スクアーロ!」
「いつまで待たせんだぁ!!」
人力で出すにはおよそあり得ないほどのけたたましい声が、俺とひたきの間を裂いたのだ。
「……まったく、気が短いんだから」
突然現れた第三者に驚き、人物が人物なだけに固まる俺。対して彼女はスクアーロがいたことを知っていたようで、全く動じていなかった。
「まあスーちゃんにしては待てた方か」
彼女は呆れたようにため息を吐いて、スクアーロを見る。
「スーちゃんって呼ぶんじゃねぇ!!」
「はいはい。」
スクアーロと話す彼女はまた違う雰囲気があった。饒舌だけど少し冷めていて、いかにも慣れている感じだ。
そして、彼女があまり笑わない。俺といるときは、少なくとも一回は笑っていたのに。
「……もういい、行くぞぉ」
無意識だがじっと二人のやり取りを見ていた俺。不意に俺を見たスクアーロは僅かに眉を顰めた。そして彼女の手を掴み、声も聞かないまま歩き出す。
しかし彼女は動かない。
「何なんだぁ!」
「まだやることがあるの」
彼女は手は振り切らないが頑として動かない。スクアーロは眉間のしわを深くしながらも立ち止まり、彼女を解放した。
再び自由となった彼女は、振り返って俺の元へと駆け寄ってくる。そして、ちゅっと心地良い音が耳をくすぐった。
「ディーノくん、またね」
一瞬何が起きたのか分からず放心した。
おまけに、スクアーロのじとっとした視線に何か刺々しいものが混じっているのが怖くて、頷くくらいしかできなかった。そんな俺に彼女はまた微笑んでくれた。
彼女はスクアーロのところへ戻って手を掴み、去ろうとする。が、今度はスクアーロが動かなかった。スクアーロは彼女を連れて、ずんずんと近付いてくる。
「………おい、てめぇ」
「な、何?」
あまりにスクアーロが威圧的で怖くて、笑顔を作ろうとしてもたちまちひきつってしまう。だがそんなことは気にもせず、スクアーロは俺を真っ正面から睨みつけた。
「命が惜しけりゃ、こいつに近付くんじゃねえ」
「いいな」、そう呟いたスクアーロの声は、耳を澄まさなければならないほど小さく低く潜められたものだった。
「こいつの名前も知らねえくせに馴れ馴れしいんだよぉ……」
俺は返す言葉が無くて、う、と苦し紛れの声を出した。確かにスクアーロの言うとおり、俺は彼女の名前を知らない。
俺に彼女の噂を吹き込んだ友人は、彼女の名前まで教えてくれなかった。ひょっとしたら、友人も……誰も知らないのかもしれない。
「ちょっと他と態度が違うからって、調子にのってんじゃねえぞぉ。うぜえんだよ」
「………ごめん」
これ以上彼女に近付けば、殺される。そう思わざるを得ない空気が、スクアーロの言葉の端々から感じられた。嫉妬の二文字が、じわりと脳裏に浮かぶ。
「アルバ」
それまで黙って見守っていた彼女が口を開いた。聞こえてきた言葉は、女の子の名前。
「アル、―――?」
「シルヴィア」
「は?」 もしかして、と思い繰り返そうとしたら、遮ってまた違う名前。訳が分からず変な声が出た。
マリア。キアーラ。イゾルデ。リリー。フランチェスカ。ラウラ。ジュリエッタ。………彼女は一度も噛まずに、様々な名前を次々と並び立てていく。
「全部、私の名前。」
彼女は仕事の度に、自分に名前を付けるのだという。本当の名前は何というのだろうか。いや。
どれもが本物で、どれもが、嘘なのだ。
「朽葉ひたき」
「それは?」
「……一番最初の名前」
どこか照れくさそうな彼女の顔。「ひたき?」ちょっと、口にしてみる。
すると彼女はくすくすと笑い出し、その向こうではスクアーロがピクリと眉を動かした。(やべ、)
「ふふ……くすぐったいな」
スクアーロがどんな顔をしているかも知らず、彼女は柔らかくはにかんで笑っていた。その頬の赤みに、胸が暖まるような感じがする。
「ちょっと、何、スペルビ?」
「……用は済んだだろ」
少し前までは彼女の名前は疎か、どんな人なのか、笑うのかさえも分からなかったのに、俺は彼女――ひたきが気になっていた。
「痛いってば、引っ張らないで」
「うるせえ。行くっつったら行くんだよ!こいつ殺して任務失敗にしてやろうか、あ゛ぁ?!」
これという瞬間は無かったように思う。
仕事とはいえ、俺を守ってくれた彼女。怖いときもあるけど、笑ったり照れてはにかんだりする。内面的なことも、無意識ではあったようだが話してくれた。
「たとえスペルビでも、私の仕事の邪魔は許さない。殺すよ」
「言うじゃねえかひたき……久しぶりにやるかぁ?決闘」
彼女といた時間は大分短いけれど、その一つ一つが積み重なって、この感情が出来上がったように思うのだ。
「あー今度ね今度。ところで寮に帰りたかったんでしょ、スペルビ。行こ」
騒々しく去っていく二人の背中を見送って、俺は一人空を仰いだ。
ひたきはまるで別世界のひと。でも、飽くまでも"まるで"であって、彼女は本当はとても近い存在なのだ。
「てめっ、押すな!転けんだろーが!」
「だいじょーぶだいじょーぶ」
俺にはとても、手が届きそうに無いけれど。
(真っ白な私の心のノートには古ぼけた二つの名前と、真新しい名前が一つ。)
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