サンドリヨンのような、さようなら(S)




仕事が一段落したので淹れたコーヒーを、カップの半分ほど飲んだときだった。


玄関のチャイムが鳴り響く。

スウェーデンは何故だかどうしようもなく胸がざわついた。全く落ち着く兆しが無く、急いで玄関へ向かった。



「……ハンナ……!?」



突然の客人は、雪のつぶてを含んだ冷たい風吹き荒ぶ闇の中、薄い部屋着のまま、しかも防寒具は何ひとつ身につけずに佇んでいた。



「スヴェーリエ………ッ!!!」



ばか、どうしてそんな格好で! スウェーデンはよっぽどそう叫ぼうかと思ったが、できなかった。

自身の体を叩きつけるように抱き付き、涙を浮かべるハンナ。その瞳は不気味に震え、瞳孔は死人のように開いていた。



「とりあえず家ん中入れ、凍え死んじまう。」



無言で頷いた彼女を連れリビングへ。

ぱちぱちと炭の爆ぜる暖炉の前に連れて行き、晩の残りのスープをあたためて飲ませた。


焼いたように手や顔が真っ赤になっていることにも気付けないほど、先のハンナは興奮していた。



「………なじょした、ハンナ」



彼女が落ち着いてきたのを見て、スウェーデンは静かに口を開いた。

スウェーデンほどの理性が無ければ、これほど黙っていることはできなかっただろう。なにせ彼女が姿を現すというのはごく最近において椿事なのだ。



「逃げてきたの」


「ノルんとこからか、」

「…………!!」



ノルウェーの名を口にした瞬間、ハンナの肩が跳ね体が小刻みに震えだした。もう凍えた体は温まったはずなのに―――…



「悪い」



彼女がこんなに怯えきった姿を見るのは、これが初めてだった。

スウェーデンはハンナを抱きしめ、震えを治めようと頭を撫でたり、背中を優しく叩いたりさすったりした。



「……ま、その。なんだ。しばらくぶりだない、ハンナ。元気してたか」

「うん」



スウェーデンから独立したものの消滅しかけ、ノルウェーとの結婚で立ち直ったハンナ。初めは笑顔も素顔も見せないノルウェーに心折れるも、二人は和解。

ハンナが不自然に姿を消したのはその後だった。



「ちゃんと飯食ってたか」

「うん」



閉鎖的なところもあるが、基本的にハンナは人なつこく社交的であり、特定の国との貿易や交流が活発だった。

それが突然全ての接触を絶ち、更に心許した北欧の仲間にさえ姿を見せなくなって……早数十年が経とうとしていた。



「詳しくは、話せねえか」


「……ごめん」

「そか」



彼女の身に何があったのか―――。
ノルウェーが関わっていることは分かったが、スウェーデンはこれ以上何も訊くまいと決めた。



「スープまだ飲むけ」

「ありがとう、もらう」



もちろん気にならないというわけではない。彼女は長い時を共に過ごした半ば我が身の片割れような存在だったから、スウェーデンとしてもこのような状況は見過ごせない。



「私、やっぱりこの家が好きだな」

「そか」

「昔に戻りたい」



しかし、スウェーデンはいつでもハンナが帰る場所でありたいと考えていた。

そんな自分が、彼女のためにならないとしても、自ら彼女の傷を抉るような真似はしてはならないと。



「帰りたかったら、帰ってくればええ。おめの部屋は綺麗にしてある」



スウェーデンは優しい表情で語りかける。ハンナは一旦スープを飲む手を止め、こくりと頷いた。

ハンナとこうして二人ゆっくり過ごすのは久しぶりで、スウェーデンは彼女の食事を見守りながらそっと回想していた。



「あ………」



12時の鐘が鳴る。

安心しきってウトウトと微睡んでいたハンナが、ハッと目を覚まし立ち上がった。



「………帰るんけ、ハンナ」

「……うん。きっとノルウェー、独りで寂しがっているから」



彼女の台詞は、ここに来た時と同じ人物が言ったとはとても思えないものだった。

ノルウェーに怯えて逃げ出してきた彼女が、今、ノルウェーを心配して自ら帰ろうとしている。正気かと、スウェーデンは眉間にしわを寄せて疑った。



「私ね、このままこうしていたら、またスヴェーリエの家に置いてもらえるかなって思ったの」



ハンナの瑠璃の目を覗き込んだ。

スウェーデンの頭にも、密かにもう一度ハンナと暮らせたらという思いがよぎっていた。



「そしたら、ふと家に独りでいるノルウェーが浮かんだ」



ノルウェーの手を払いのけ、ハンナは家を逃げるように飛び出してきた。

パニック状態だったとは言え、ハンナの胸は罪悪感による後悔でいっぱいだったのだ。



「私、帰らなきゃ。スヴェーリエの家にいれば幸せになれるのかもしれないけど、もう私はノルウェーを独りにはできないの」



スウェーデンはハンナの瞳から視線を外した。彼女の言うことは心から思っていること。つまり、決定事項だ。

スウェーデンのおさがりのコートを着て、ハンナは彼の家を出て行く。あの日と同じように。



「じゃあ私、行くね。色々ありがとう」



ハンナは車で送ると言うスウェーデンの申し出を断り、独りで歩いて帰ると譲らない。



「礼には及ばね」

「ううん、私スヴェーリエがいなきゃ死んでた。だから、ありがとう」

「おう」



今や、自分に彼女を引き留めることができる力はない。スウェーデンは心の中で頷いた。



「さよなら、スヴェーリエ」

「またなぃ、ハンナ」










だから、この手を離すんだ。




あきゅろす。
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