黄緑色の瞳V




「さて、今日も覚悟を決めて……やりますか」


まったく、人一倍なのは戦闘力の高さだけにしてほしいものだ。
私は絶望的な状況のエントランスを見、そして庭と厨房の有り様を想像し、腕捲りをした。


「あれ、ジラさん。今日はちょっと早いですだ!でも仕事はもう大方終わっただよ?」

「そうですか、すみません。そしたら私はお散歩でもします」

「それは良い考えですだね。今日は温かくていい天気ですだ」


機嫌良さげに声を掛けてきたのは、私と同じメイドのメイリンだった。年は種族的な意味で遥かに私の方が上だが、メイドとしては彼女の方が先輩である。

私の仕事は彼女とはまるで違う。私の主な仕事は、メイリン・フィニアン・バルドの3人の作業跡のリカバリーである。だから、私が動き出すのは皆より少し後になる。

セバスチャンと同じクオリティとはならないが、セバスチャンが坊ちゃんと共にタウンハウスへ行っている今、この屋敷は私が保っていると言っても過言ではない。




「はあ、やっと終わった……」


ようやく仕事を終えて、へたへたと庭の木陰に座り込んだ。まだ掛け慣れない、黒いレンズの入った眼鏡を外し瞬きを繰り返す。目の色を隠すための特別な眼鏡だが、外すと眩しくてたまらない。

ぼんやり遠くを見つめていると、突然すぐ隣に気配を感じた。私の種族が「害獣」と呼び忌み嫌う者の気配だ。私は彼の靴を見て、名前を呼んだ。


「セバスチャン。どうかしましたか?たった一人で帰って来たりして」

「ジラ、仕事です」

「え」

「今すぐその服を脱いで付いてきなさい」

「え」

「……嗚呼、言葉が足りなかったようですね」


あまりにいかがわしい匂いがして黙り込むと、セバスチャンはひとつ咳払いし、スーツに着替えろと付け足した。

そのスーツとは、最近まで身に着けていた嘗ての仕事着であり、唯一の私物でもあった。理由も説明されないまま、私は急いで着替えた。


「…………ジラ」

「やっぱり、この眼鏡じゃ駄目ですか」

「ええ。それではないものを掛けてください」

「一体何だと言うのですか、セバスチャン?」

「あなたにはこれから一緒にタウンハウスへ来てもらいます」


セバスチャンはやはり詳しくは言ってくれない。ただ整った微笑を浮かべながら、彼は私の眼鏡を外し、一般的な眼鏡を掛けさせた。


「さあ、行きましょう」

「はい」


タイトなスカート。私がヒトでないことを物語る瞳。眼鏡。この姿はまるで、死に神に戻ったようだった。
共に仕事をして来たデスサイズも、私の視界を鮮明にしてくれる眼鏡も、ここにはないけれど。


タウンハウスには何が待っているのだろう。






「死に神殿!!」






タウンハウスへ着くなり、いきなり誰かに熱いタックル……いや、ハグをお見舞いされた私。まったく用意が出来ていなかったため、少しよろけてしまう。


「"死に神"、殿………?」


私が死に神だと知っていて、尚且つ今も生きている人間と言えば、極限られたものだ。
直前の言葉をなぞり、私は耳に残る声と重ねる。……なるほど、セバスチャンがこの姿でと言った意味がよく分かった。




「ソーマ、アグニ……紹介しよう、当家のメイド ジラ・バーンズだ」


(ここからは確認できないが、恐らく)呆れ顔で坊ちゃんが私を紹介した。坊ちゃんの傍らには、セバスチャンが黙し控えている。


「お久しぶりです、ソーマ王子」


私の記憶に強く残る、浅黒い肌をした男性達。忘れはしない、煌びやかな服装で少し幼い方はソーマ王子。広い宮廷で独りきりだった彼に声を掛けたのは私だった。

そして未だ私を抱き締めている、背の高い方は――――


「……アル、

「ジラ、そいつはアグニと名を変えた。アグニと呼べ」


私の中の彼は「アルシャド」だったからそう呼んだのだが、どうやら今はソーマ王子の言うように「ソーマ王子の執事の『アグニ』」となったらしい。


「失礼しました。お久しぶりです、アグニさん」

「死に神――いえ、ジラ殿。またお会いできるとは夢にも思いませんでした!」


アグニさんは私を解放すると、両手で私の手を包みながらニッコリ笑った。


「アグニさん、たった数ヶ月で変わりすぎですよ」

「ええ、私はソーマ様のお力で生まれ変わりましたから!」


アルシャドからアグニへ。
司祭の息子から、王子の執事へ。
彼はとても変わった。

名前や役目だけでなく、髪の長さや表情や雰囲気もそうだ。嘗ての彼――アルシャドであれば、このように笑うことも手を握ってくることも、飛びついてくることなんてまず有り得なかった。


「しかし、アグニの恩人がシエルの女中となっていたとはなぁ」

「偶然とは言え、さすがに僕も驚いた。一時インドにいたことがあるとは聞いていたが」


「ジラ殿……あの時は、本当にっありがとうございました……!」

「ア、アグニさん?泣かないでくださいアグニさんっ」

「俺からも礼を言う。お前の働きかけが無ければ俺たちの今は無かった。ありがとう、ジラ。」


すっかり丸く、涙もろくなったアグニさんと、以前は感じられなかった、大人びた雰囲気が見てとれるソーマ様。
二人の変化に、たった数ヶ月のことながら、私は時間の経過を感じずにはおれなかった。


「このふたりはお前に会いたかったそうだぞ、ジラ。この似顔絵でお前の名前だけでも探ってくれと頼まれていた」

「……これは無謀ですよ、ソーマ様……」

「そうか?よく似ているじゃないか、なあアグニ。」

「ええ。」


坊ちゃんからソーマ様が描いた私の似顔絵を受け取り、まじまじと見てみる。アグニさんはソーマ様の味方をしたが、私はどうにも賛同しかねる。
やはりこれで私を探そうなんて無謀以外の何物でもない。もし私が坊ちゃんのメイドをしていなければ、会えないままだっただろう。


「そろそろ夕食の時間ですね。確か……ジラにアグニさんのカリーを食べさせるんでしたよね。」

「ああ。ジラ、アグニのカリーは世界一うまいんだぞ!」

「カリーですか?」

「お、お嫌いでしたか?」

「いえ、だいすきですよ。」


そう返事をすると、アグニさんが安堵したように頬を緩め、ソーマ様がニパッと笑った。
早速調理をするため、セバスチャンとアグニさんが厨房へと消えていった。


「じゃあ出来るまでの間"てれび"を観よう、ジラ!」

「はいソーマ様。
あ、今だと坊ちゃんのお好きな番組の時間ですよね。坊ちゃんも一緒にいかがですか?」

「観る。頼むからお前ら騒ぐなよ、今回は気になる話なんだ。」


私と(今だけは)ノリの良い坊ちゃんの手を引いて、ソーマ様は足早に歩く。ああ、ソーマ様のこういう無邪気なところはそのままなのか。
気付けば、私はクスクスと声を漏らして笑っていた。不思議そうな顔で振り返るソーマ様には、訳は内緒だ。さすが坊ちゃんは感づいているようで、口角を上げて笑い返してきた。


「ジラ、お前は今日からタウンハウスに住め。この国に詳しいお前が一緒にいた方があの二人も暮らしやすいだろう。
あと英国の常識も色々叩き込んでやれ。マナーハウスならセバスチャン一人で大丈夫だから安心していいぞ。」

「え、ちょ、坊ちゃん?そんなスラスラ言わないでくださいよ!まるで決定事項みたいじゃないですか!」

「決定事項だ。」

「ん。どうしたシエル、ジラ?てれび観ないのか?」


皆でアグニさんの至高のカリーを頬張りながら、坊ちゃんはさっきの話をした。
今日から私もタウンハウスにいると聞くと、ソーマ様とアグニさんの二人はパッと明るい顔をした。

ソーマ様なんかは、口の中にものを含んだまま「本当か?!」と坊ちゃんに確かめ、アグニさんもおろおろと、坊ちゃんや私の表情を窺っていた。






「帰るぞ、セバスチャン」


坊ちゃんはすると言ったら本当にするお方だったのを、今思い出した。


「イエス・マイロード」


たまには様子を報告しに来いだとか、困ったことがあったら頼れとか……心配はされているようなのだが、やはり私を置いていくのは変わらないらしい。
坊ちゃんはセバスチャンと共に馬車に乗り込むと、ふつうに帰ってしまった。


「えーと……」


別に王子やアグニさんと住むのが嫌なわけではない。二人の英国暮らしのサポートをするのも構わない。
ただ不安なのは、一瞬の出会いと一つの恩があるだけで私と彼等にさほど深い付き合いが無いということだった。


「改めまして、ジラ・バーンズです。これからよろしくお願いします。」

「よろしく頼むぞ、ジラ!」

「お世話になります、ジラ殿。」


しかしそんなのは些細なことだった。彼等は私が加わったことを心から喜んでくれているような、温かい笑顔をしていた。


「ああ、アグニさん。私のことは"殿"じゃなくていいですよ。」

「それでは……ジラさん、とお呼びしても?」

「おーい、ジラー!」


不思議な縁もあったものだ。一時関わっただけの異国の二人と再会し、まさか一緒に住むことにまでなるなんて。


「お前シエルと同じくらいゲームがうまいんだってな?」

「ええ……まあ、いつもいい勝負はさせてもらっていますけれど。」

「コツを教えろ。一度くらいシエルに勝ちたいんだ」

「はい、私でよろしければいくらでも」




あのとき、アルシャドを生かしてよかった。

太陽のように元気なソーマ様の笑顔や、月のように穏やかなアグニさんの笑顔に触れて、初めてそう思った。











(ずっと後悔していたのです。個人の感情で人を生かしたことを。)



あきゅろす。
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