香(アグニ)

 



「ジラさん、ジラさん。」



あなたがあまりに儚い背中を見せるものだから、放っておいた方がいいと思いながらも、つい、そっと肩を叩いてしまった。


「あ…アグニさん。」
「眠れないのですか。」


あなたは決して弱音を吐かない。いくらとびきりの笑顔を見せても、慰めさせてくれないことは分かっていた。


「何かお辛いことでも?」


それでもどうしても声を掛けずにはいられなくて、気付けば質問攻めにしていた。


「いえ、特に何も。」

「ただ…星が綺麗だったものですから。」
「―――ああ。」


ほんとうに、今夜は星が綺麗だった。なんだか切なくなるほどに。


「今にも零れてきそうで…」


空に諸手を翳してあなたは微笑んだ。


「そう、ですね。」
「……………」


あなたの笑顔はとても美しくて、とても愛おしかった。


「ジラさん?」
「………………」


私が笑うのもあなたが笑うのも、同じ笑顔なのに。どうしてこんなにも胸が締め付けられるのだろう。苦しくなるのだろう。


「………………」


誰も知らない場所で、きっとあなたはこの星の数ほど、涙を流してきたことだろう。一瞬そんな想像をして、腕を広げた。


「体、冷えてしまいましたね。」


間もなくあなたはやってきた。開いた腕の幅は図らずもあなた一人分。初めて抱きしめたあなたは思っていたよりも小さかった。


「アグニさん。」
「何ですか?」

「あなたはとても…優しい匂いがしますね。」


腕の中であなたはもう一度笑った。私を見上げるその目には私が初めて見る透明な星屑がひとつぶ。
眼鏡を取って掬うと、それは温かみを残したまま指に馴染んで無くなった。


「きっとそれは」


あなたの涙と笑顔に誘われて、蝶が花にとまるように瞼の上に唇を落とした。


「私があなたを…愛しているから」


きらきらと瞬く黄緑色の瞳に見つめられながら、私もあなたのように笑ってみせる。


「――っ、ですよ!」


飾り気のない身の丈分の気持ちを込めた、世界にも神にも真似できない、あなただけの笑顔に近付けるように。


「甘いですね、アグニさんは。」
「え?」

「それなら私だって、あなたに負けません。」


あなたはそう言って、頬を芙蓉の花のように赤らめた。その様子に私は頬を緩ませながら、あなたの髪を一房手に取りそっと鼻を寄せる。


「本当だ、いい匂いがします。」
「ふふふ」


いつからだったろうか、ずっと憧れていた。鼻腔のみならず、胸の奥までをくすぐるような、あなたの匂いに。


「私もアグニさんのこと、大好きですから。」
「―――っ、ジラさん!!」


首から肩へのラインの中に顔を埋め、骨が軋むほど、力の限り強く強く抱きしめた。甘い香りがふわっと宙に舞い上がる。


「く、苦しいですアグニさんっ」
「ああ…ジラさん、大好きですジラさん、ジラさん!」


気持ちが通じたのが嬉しくて、ついつい抱いたまま振り回してしまった。
魂が抜けたようにぐったりした彼女に気付いたのは、何周した頃だっただろうか。







(涙の訳は、すっかりはぐらかされてしまったけれど)



あきゅろす。
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