記憶




「はっ、はぁっ……やりました、か?、」

「ああ。もう安心していい」


肩で息を切らす後輩が、無理をして駆け寄る。

霊術院の実習で虚を倒しに行った彼が行方不明になり、数人で捜索にあたっていたところ、偶然出会った俺は迷わず代わりに虚を倒したのだった。

あの虚は何の手違いか、彼にはまだ少しだけ早い強さを持っていた。それでも、重傷は負ってはいるが持ちこたえたのは対したものだ。


「あの……浮竹先輩、」


傷口を抑え力無く言葉を紡ぎながら、自らの背後に何かを隠している。彼の袴に捕まる小さな手と、泥と血とで汚れた浅葱色の着物が僅かに見える。


「一颯おにいさん、この人は?」

「こら、指をさすんじゃない。……この人は『浮竹先輩』だ。浮竹先輩がお前や俺を助けてくれたんだぞ」


(……なるほど、この子を庇っていたからか。)
俺は急に納得する。


「知ってるよ、あの人が怪物倒すとこ見てたから」

「分かったらお礼を言うんだ」

「でも恋音を助けてくれたのはおにいさんだもん」


確かにあの虚は彼には少し過ぎた強さだったが、こいつの実力を考えれば倒せなくはなかった。が、誰かを守りながらとなれば話は別だ。


「まったく……すみません浮竹先輩」

「はは、良いんだよ。随分懐かれているな!」


綺麗な真紅の髪。猫のような大きな目。自分を表すのに先ほど用いていた「恋音」というのが、この子の名前なのだろう。

俺はにっこり笑って、恋音の顔を覗き込んだ。すると彼女は素早く一颯の背後に隠れ、彼の袴をぎゅっと握った。そしてそっと俺の様子を窺う。


「こら恋音、だから何でお前はそう失礼なことばかり!」

「だって、はずかしい………」


袴にむぎゅうと顔を押し付ける恋音。(耳が赤い。どうやら極度の人見知りらしい。)

一颯は深くため息を吐き、俺に向き直った。


「それで浮竹先輩、ご相談があるのです」

「ん?なんだい」


普段おちゃらけてばかりの彼が、いきなり至極真面目な顔をした。

日々の剣術修行でたくさんの肉刺ができた手の平で恋音の頭をひとつ撫でたかと思えば、彼女の背を押し俺の方へ寄せた。


「この子を浮竹先輩に引き取っていただきたいのです」


「この子は身寄りがありません。一人で生活する力も、虚から身を守る術や力もありません。俺が養ってやりたいのは山々ですが、俺の家は貧しくて……」


表情は非常に苦々しく、一颯は切実に独白を吐く。真剣な彼の気持ちを感じて、恋音は一颯の顔を見上げた。


「だから、お願いします。恋音を――」

「わかった。家族には俺から頼んでおくから」


心配そうに一颯を見詰める恋音の肩に手を置きそう言うと、一颯は心から安堵したように表情が緩んだ。そして、いつものように笑う。

一颯の笑顔を見て、そっと恋音が振り返った。初めて彼女がまともに俺の顔を見る。


「これからよろしくな、恋音」


返事はなかった。

まるで俺の中身を見透かすように、俺を試しているかのように、ただひたすら無言で俺を見つめていた。




その後恋音を連れながら一颯を病院に送り届け、霊術院に報告をした。

別れ際、一颯にはいつでも恋音に会いに来てくれと言っておいた。彼はベッドの上、言葉も発せられないほどの疲労の中にっこりと笑っていた。



「どうしようなあ、恋音―――」



帰り道、両親にどのような説明をしようか考えていた。どんなに下手な説明をしようと、きっと許してもらえるだろう。この子はいいこだから。


俺の背に揺られて恋音は眠っていた。どうやら俺にも気を許してくれたらしい。子供らしい体温が心地よくて、ついつい顔が緩んでしまう。


「――ありがと、浮竹せんぱい」


そこにもう一撃。

寝言だった。

一瞬起きていたのかとも思ったのだが、寝息が聞こえたり手足に力が入っていなかったりと、寝言だと言える条件が揃っていた。


「はは……親の説得の前に、この子にはちゃんと俺の名前を教えなくちゃいけないなあ」









あれから長いときが経った。


家族にも受け入れられ、たくさんの愛を受けて育った恋音。

やがて、一颯や俺に憧れたと言って霊術院に入った彼女は、6年のカリキュラムをそれより短く終えあっという間に卒業してしまった。

そして彼女は天才と称され、多大な期待の中護廷一三隊に入隊した。初めは一番隊に配属になり、様々な隊で仕事を経験し、上位席官の座を射止めるまでとなった。

資質があるのは知っていたが、死神になると言い出したときは驚いた。当時の俺の中の恋音はまだ、一颯の袴に隠れているあの小さな姿のままだったからだ。隊長と一隊士として、死神同士としてのあの子に、違和感が絶えなかった。




「んっ…… あれ、浮竹隊長?」


目をこすりながら不思議そうに俺を見詰める恋音に、「おはよう」と声を掛ける。すると何故か、既に赤い顔を更に赤くして、寝ている間に僅かに乱れた襟元を正し髪を結び直し出した。

俺は一連の動作を無言で見守っていた。
恋音の真紅の髪は腰に至るまでの長さにまで伸び、体のあちこちも大分様変わりしたものだが、まっすぐ前を見据える眼差しやすぐに赤くなるところは変わらない。


「浮竹隊長、どうしてここに?」


お仕事は、体調は、と矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。寝起きとは思えない頭の回転の速さだ。


「どれも気にするな。
ここにいるのは松本副隊長が教えてくれたからだよ」


とりあえず寝かせ、額に載せてあったタオルを水に浸して絞りまた載せてやる。恋音の家を訪れてからずっと面倒を看ているが、一向に熱が下がらない。


「あ……」

「懐かしいなあ。いつもは俺が看病される方だが、何度かこうして俺がお前の看病をしたよな」

「そうですね……」


俺に風邪が移るのではと心配する恋音の頭を撫でる。突然のことに、彼女は驚いてきゅっと目を瞑った。

なんだか不意に、愛おしく思う。



「恋音、綺麗になったな」



思わず口をついた言葉に、恋音はガバッと勢い起き上がり、猫のようにまん丸と目を見開いた。


「な………何言ってるんですか!」


恋音は額に載っていたタオルを広げて顔を隠し、「嘘は四月一日だけにしてください」と訴えてきた。熱の所為なのか何なのか、覆いきれない耳が赤い。


「嘘じゃないぞ、本当ににそう思うんだ」

「もう……心臓に悪いです、浮竹隊長のそういうとこ」

「すまん」


そう言うと、ようやく恋音はタオルを外し顔を見せてくれた。

ほんのり赤い顔。それに、潤んでとろんとした目と荒い息は熱の所為だ。
ではそれらを色っぽく感じさせるのも、熱の所為だろうか?


「恋音」

「はい」


笑顔を繕う。


「誕生日、おめでとう!」


今日は恋音の誕生日だ。

と言っても本当の誕生日は本人も知らないから、恋音と出会い託されたのと同じこの日を誕生日としているだけなのだが。


「ありがとうございます、先輩」


恋音は冗談っぽく言い、俺は「だから"先輩"は名前じゃないって」と返す。
こうしたやり取りで笑い合うのは恋音が大きくなってからのこと。


「私、これからもきっと……ずっと十四郎さんがだいすきです」


ひとしきり笑い、懐かしい思い出話をした後に、一息吐いて恋音はそう言った。とても真面目な顔だ。熱に浮かされて言った言葉ではないことが分かる。


「俺もだよ」


俺と恋音の言葉の意味が合致するとは必ずしも言えない。でも、互いに好いているのは、事実だ。


俺は暖かい恋音の手をとり、優しく握った。




「さあ、もう一眠りしなさい。俺はずっとお前の側にいるから」













恋次は生き別れの弟。
白哉とは霊術院で出会います。





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