仮想雨域(雲雀)




闇が訪れている。遮るもののない窓からは、それがよく分かった。蛍光灯が煌々と照らす白い壁の中の、所々 ぽっかりと浮かぶ真っ黒な四角。それはまるで、くらく寂しい奈落への入口のように思えた。

ひとりの足音が、しじまを揺らして響いた。立ち止まり、ドアを引く。それまでの軽やかな小鳥の羽音が、耳に触れるほどの 力強い猛鳥の羽ばたきと化したように大きくなった。

その夜、町には大粒の滴が飛来していた。迷わず湿潤の世界に踏み出す彼に、滴の啄みを防ぐ術は無い。見る見る内に、彼の肌 髪 纏う物すべての色が 濡れて深みを増していった。顎や髪の先からは 雨の如くにぽたぽたと水が滴ったが、彼には他人事。

どこを見るでもない鋭い目つきが、虚ろに足を どこかへと導いていた。それはさながら、青い鳥を探してあてなき径に彷徨う幼い兄妹のようで。


やがて雲雀の二本の脚は、とある家の前に 立ち止まることとなる。気付くと指はチャイムを鳴らしていて、暗い家の中からはその音が聞こえてきた。虚しいチャイムの音に、雲雀は何故自分がここへ来たのかと自問自答する。空の鳥かごを持ってきたところで、ここに青い鳥はいないのに。

たっぷりと水を含んだ髪を掻き上げて、自嘲的に 重い学ランを翻す。無為に求めた希望は今、ここには無いのだと 自らに覚え直させる為に。


「……恭弥?」


名前を呼ばれた雲雀は、はたと顔を上げた。鉛色のもつ 憂鬱や重々しさを割くような、光をそこに見た。

やわらかな月光の髪を揺らし、彼女は駆けた。その片手には 透明な青い鳥を一羽、留まらせて。


「こんな時間にどうしたの?あーあー、びしょびしょ!」

「みちる……」


初めて話す言葉のように たどたどしく、心から求めたひとの名を呼ぶ。唇の震えに気付かないまま、歪なさえずりを 何度となく繰り返した。


「ないんだ、みちる……僕の傘がないんだ、どこにも……」

「だいじょうぶ、もう探さなくていいんだよ。ごめんね。私はここにいるから……」


息つく暇もないほど喋り続けた雲雀は、優しい温もりの中 目を閉じる。彼は 埋もれた記憶のどこかで、母の胸を 覚えているだろうか。耳のすぐ側から聞こえる心音に、雲雀は深く聞き入った。

盲目のひとのように、雲雀は彼女の胸元に顔を埋め 何かを探る。


「ほら、聞こえるでしょう?」


見つけたのは、孤独の雨から守ってくれる傘。

みちるは寂寞に怯える猫を拾い上げそうするように、彼をそっと抱きしめ、震えが収まるまで 頭を撫で続けた。


「だからね、恭弥。もう泣かなくていいよ」


アスファルトはからりと乾いている。然し乍ら、彼女はこう言った。


「ああ、あなたの髪 こんなに濡れてしまって………」








仮想雨域
僕の濡れ羽色、それに絡んで映える君の白い指



あきゅろす。
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