「正一、このあと暇はあるか?」
そう訊かれたのはつい一・二時間前のこと。
少し恥ずかしそうに声を掛けてきた彼女が僕には珍しく、多少残っている仕事を忘れたことにして話を聞いた。
「ああ。」
「どうしたんだい、エータ?」
仮にも僕は、彼女が心から嫌っている ホワイトスペルの所属だ。恐らく本当はこの白い隊服を目にすることさえ堪らないだろう。
そこを自ら歩み寄って来たのだからきっと 相応の何かがあるはずだ。
(僕だけ白だけど特別扱いされてるのかもと思うと、ちょっと嬉しい)
「わたしと、付き合ってほしいんだ。」
一瞬思考が凍り付いたように停止した。
(それは、まあ…様々な意味で。だね)
エータの台詞はよく言えばシンプル。それでいて、酷くストレートだった。
ここは"どこへ?"ととぼけてやるのが適切なのだろうか。
「入江。」
「聞いてるのか、入江正一?」
ごちゃごちゃと頭の中が片付かず答えを返せないでいると、彼女は僕の顔の前、眼鏡のすれすれのところで手を振って見せた。
「…ごめん、ぼーっとしてたよ。」
「そうか。」
あの問いの後でケロッとしているあたり、どうやらエータは自分の放った難問に気が付いていないらしい。
「話を聞いていなかったのならもう一度言うが」
「いや、ちゃんと聞いていたよ。」
「断る理由もない。
―――どこへ行くんだい?」
迷った末に僕は無難な方の台詞を選び取ることにした。
「…えーと、街に。」
エータは黒地に白と黄色のラインの入った財布を出し、バレンタインのための買い出しに行きたいのだと言った。
「いつもはスパナに頼むのだけど、ちょうど忙しいらしくて。」
案外エータは強引な面があると聞いたことがある。今回は何故そうしないのかと問おうとしたがやめた。
…すっかり忘れていたが、数日前スパナに急ぎの依頼を入れたのは他でもない僕だったのだ。
「…いいのかい僕なんかで。」
「なんかじゃない。正一がいいんだ」
「そ、そうか。」
原因が自分自身であったともあれば、断れるはずがない。あまり力仕事は得意でないが、しっかり手伝おうと思った。
(それにしても、いやらしいくらい誤解を招く言葉だまったく。)
*
「ユニさまに、菓子を作るんだ。」
「へえ。」
「いつも作りすぎるから、それを身内に配っていてね。」
(身内………第3部隊か。)
エータは僕より少ない荷物を持って隣を歩いた。
甘いものは苦手なはずなのに随分と買い込んだ様子を何となく訊ねると、少し頬を緩ませた答えが返ってきた。
「エータが作るの?」
「一応、私も女の子なんでね。」
「ウチでは昔からそうしているんだ。」
皆、とても喜んで食べてくれる。そうエータは少女のように幼く笑った。
僕の心のどこか凝り固まった部分を揉みほぐすかのような…
「今年は入江にも作らなければならないな!」
「あ、ありがとう…」
荷物は最初に思っていたより多くも重くもなかった。
フィクションにありがちな荷物持ちの光景の見すぎか、ただ単にエータがものをよく選んで買うからか。
帰り道の途中で、ふいにエータの足が止まった。
「そういえばまだ、礼をしていなかったな。」
空けた右手で僕の肘の布を引き僕の歩みを止める。後ろへ振り返ると、彼女は可愛らしくクイと首を傾げた。
「物では奴――白蘭に、バレるな…」
「いいよお礼なんて。僕が好きでしたことだし。」
「…いいや、仕事をほったらかせてしまって申し訳ないんだ」
強いて言うなら「ありがとう」と言ってもらえるだけで十分なのに、エータは結構な律儀者らしく何やら考え込んでいる。
「それなら、笑ってくれないか。」
「…何?」
「理由かい。聞くほどのものでもないよ」
ありがとうの言葉以外と限られてしまうのなら、僕は、僕に向けられる彼女の笑顔が見てみたかった。
それが何故かは、僕自身にも分からないんだけれど…
訝しげに何故と訊いてくる彼女にそれを話す。
「………変な望みだな、入江正一!」
彼女は笑った。
そして軽やかな風が一瞬吹いたと思うと、左の頬に柔らかい感触が停まり、過ぎていった。
僕は勢いよく振り返る。
エータはものすごい勢いで走り去っていく。靴音のテンポが、当たり前にいつもより数段早かった。
(…有難う、正一)
耳をかじるような近さでこっそり耳たぶを打った吐息が、いくら拭おうとしても拭えず体が熱くなるばかりだった。
…どうしよう、本当に顔が熱い。
(…正チャン、僕のエータちゃん連れて何してたのさ!)
(え、は?!)
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