Call for you




静かな部屋、無機質な音に呼ばれて携帯電話を手に取る。
発光するディスプレイには、この時間は見ることのできないはずの彼女の名前が表示されていた。

「ひたき?」

長時間の使用ですっかり熱くなった仕事用のノートパソコンを閉じ、通話ボタンを押す。
向こうからは、空気の流れる音とひたきの声しか聞こえない。

「どうした、今任務中だろ」
「えーっと…」

すいませんと小さな声がして、自分の口調に気付いた。軽く諫めるような調子だったのは、多分しばらく誰とも話さず黙々とデスクワークをして溜まったストレスのせいだ。
好きな人の声を聞いて腹が立つなんて、滅多にあるもんじゃない。


「ディーノの声が、聞きたくて」


「え、」

「あっごめんね、急に変なこと言って。何でもないの」


少し待って返ってきた言葉は、こっちが照れてしまうような甘みを帯びていた。

彼女自身はきっと今の言葉にそんな意識はしていなかったんだろうが、俺は思わず声を裏返してしまった。

「あ、いや…別にいいんだけどよ」

どきどきしながら、しどろもどろに答えた(今の俺を見たらロマーリオは何のためらいもなく吹き出して笑うだろう)。
針の落ちる音さえ伝わってきそうな向こうから返事の代わりに送られてきたのは、安堵のため息だった。


「あのね、ディーノ」
「――なんだ?」

「名前を呼んで。私の、名前。」


吐息のあとの赤みを含んだ願い事。短い沈黙の中で、とてつもなく頭を働かせた。


「ひたきっ!」


とてつもなく考えた結果、君の名を擁した台詞は括弧の中にこそ意味のある、ほぼ普段通りの呼び方。


「怪我なんかしてくれるなよ」
「はい、ボス」

「あー…少々血なまぐさくても?」


銃をいじる音。ひゅっと息を吸う音の後に、眠くてぐずる子どものような命乞いが聞こえる。


「お前が無事ならどうでもいい。」


そっと目を閉じ、一瞬耳から携帯電話を離す。それでもひとつの命を奪うその叫び声は、耳から拳二つ分の距離でもよく聞こえるほど相応に大きなものだった。

ふとまた考える。
今思えば、ひたきの願いはどれも謎ばかりだった。

俺に甘さは捨てろというのにそのままでいろだとか、引き出しに一杯のビー玉が欲しいだとか、いきなり名前を呼んで欲しいだとか。


「じゃあ報告書書いてからまた。」

「おう、待ってるわ」


思えば俺は何一つ分からないまま、彼女の願いを叶えてきた。もうひたきが部下になって8年も経つのだから、そろそろ一つくらいはわかってやりたいと思ったが、やっぱり今日のお願いも、分からなかった。

幼なじみのスクアーロなら分かってやれるのかなと頭の端で考え出してしまった俺は、またパソコンを開いて仕事を再開する。



「あ、バスルーム空けといてね」

こういうのなら分かるんだけどな。



凪いだ海のような とろりとした紺碧の空に、薄い雲が二枚流れ込んできた。





括弧の中のメッセージ
(名前くらいいくらでも呼んでやるから、早く俺の手が届く範囲に帰ってきてくれよ)




あきゅろす。
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