白金と林檎(-10)




俺がまだ幼いときだった。

大人達が世話を焼いてくれるのが当たり前の環境で育った俺は、近所に住む同世代の友達の話が羨ましかった。

「なあいいだろ、父さん!」

いつもより渋味の増した顔のロマーリオに睨まれながらうんうん唸ってばかりで、親父はなかなか返事をくれない。


「俺だって買い物くらい一人で出来るよ!」
「そうだよなあ、うん……」

「…ボス。」


ようやく親父が笑ってくれたと思えば、邪魔が入る。ロマーリオがわざとらしく咳払いをして親父の気を引いたのだ。
そして、二人は低く声を潜めて内緒話を始めた。何故かロマーリオが親父を諫めているように見えたが、親父は何ともない顔をしていて、逆にへらりと笑っていた。


「よし、ディーノ。」


急に内緒話が終わり、名前を呼ばれてびくりと肩が跳ねた。
親父が横目でちらりと目配せをすると、不機嫌そうなロマーリオが俺の手に紙幣を握らせた。


「小腹が空いたから、パンを3つ買ってきてくれ。」

「バルバラおばさんのパン屋さん?」
「そうだ、行けるな。」

「うん!」


袋の持ち手が千切れそうなほどの勢いで飛び出した俺を、笑顔の親父とそうでないロマーリオが見送った。
あくびをするようにゆっくりと閉まる扉の内側を、俺は知らない。


「ボス、あんた何考えてんだ!」


「そうかりかりするな、ディーノももう赤ん坊ではないんだ。」

「俺が言いたいのはそこじゃねえ、分かってんだろ?」


俺が初めてのおつかいに出かけたちょうどその頃、キャバッローネを狙う組織が街に蔓延っているという情報があった。
そんな中を標的の息子である俺がのこのこやってきて奴らが何もしないわけが無く、ロマーリオの態度は当然のものだった。

逆に、平気で俺を街に放した親父の方が、異常なのだ。


「分かってるさ。だから、手を打った。」


「ふざけないでくれ。
ひたき?あんな幼い嬢ちゃんなんだぞ。俺は信用できないね。」

「じゃあディーノのあとをつければいい。この銃を持ってな。」





親父が他ならぬ我が子の危機に僅かにも動じない理由をロマーリオはしっかりと知っていたが、納得出来ていたわけではなく態度は変わらなかった。


「お前は一弾たりとも使うことなく、その銃を返しに来る。」


煙が天井に向かって揺らめきながら立ち上っている。ロマーリオは拗ねた子供のように銃を受け取り、吸っていたタバコの火を潰した。
襟を正して、あとを追って屋敷の扉の外へと去っていった。







買い物袋の中で、パンを包んだ紙がガサガサ鳴っている。

ロマーリオのいらつきの理由も 自分の身の危険も知らずに、俺は呑気にも、袋を前や後ろに揺らしながら家路についていた。


きっと3つのパンの一つは親父の分で、もう一つは俺にくれて、残りのあと一つはロマーリオが食べる分。そう思って、3つ目にはロマーリオの好きなパンを選んだ。

おつかいを終えた充実感に顔をにやつかせながら、バルバラおばさんがくれたリンゴをかじった。



「キャバッローネファミリーの跡継ぎだな!」



突然怒鳴り声ともとれる男の大声が背中を蹴った。

振り返ったときにはもう遅くて、男はすぐ後ろにまで迫っていた。男の気迫にやられてしまい脚はぴくりとも動かない。俺は硬く目を閉じ、身構えることしかできなかった。





パァン!―――――…






リンゴが落ちる音も残らず掻き消して、銃声が一閃轟いた。

遅れて何か大きいものの倒れる音がする。恐る恐る目を開くと、鼻がぶつかるほど近くに誰かの背中があった。
頭一つ高い背。後方につんつんと跳ねた短い白金の髪が眩しい。


(だれだ?)


そいつは俯いて顔も見せないまま俺の肩を掴んで、自分と俺との立ち位置をくるりと入れ替えた。
何が何なのかまるで分からないまま、動かされるままに動いた。



「―――君、怪我は無いかい」



プラチナブロンドは、とても丁寧で落ち着いた口調をしていた。


「はい、だいじょうぶです」
「……そう。」


淡々とした物言いからは俺を無傷で助けた自信が見える。ただ、安否を問うことで 俺を宥めようとしているらしかった。


「それは良かった」


そういうとプラチナブロンドは口元だけで笑った。

じっくりと見つめても、そいつが男か女かは分からなかった。涼やかな目も声も冷静な口振りも、極めて中性的だったからだ。


「…怯えてるの?」


立ちつくしたまま一歩も動こうとしない俺に、プラチナブロンドは俺の頬に手を当てながら問いかけた。


おそらく視界の外ではさっきの男が死に横たわっているだろう。
目の前の奴が立ち位置を替えたお陰で実物は見ていないが、まったく怖くありませんと答えればそれは嘘になる。


「あ、少しだけ…」

「それはあの男が襲ってきたことが?それとも、男が死んだこと?」

「え?」



「…ああ。
君が本当に恐ろしいのは、簡単に人を殺してしまうぼくかい?」



どこか寂しげな"ぼく"の目に俺は釘付けになった。

俺が釘付けになっていると気付いた"ぼく"は、視線を振り払うように俺の手を引いて周辺のある建物に向かって歩いた。



「ねえ、そこにいる人 出てきなよ。」



「…バレてたか。」
「気付かないとでも思ったの?」


"ぼく"がそう言うと、建物の陰からロマーリオが出てきた。ロマーリオは若干気まずそうに眉を顰めている。


「おたくの依頼はきっちり果たした。この子は返すよ。」


突然のことが続いて呆然としていると"ぼく"がとんと俺の背中を押した。
パンの入った袋を掴んだままよろめいて数歩踏み出す。急に押されたことに対して、俺は一瞬"ぼく"の方を振り返った。


「ロマーリオ!」

「何でついて来てんだよ!」
「坊ちゃんがヘマしねーか心配でな。」


俺が駆け寄る必要もなく、ロマーリオが迎えに来た。よく無事だったな、と大きな手が頭をわしわしと撫でる。


俺とロマーリオの笑顔から遠く離れたところで、"ぼく"はひとりぽつりと佇んでいた。





「さよなら」





小さな"ぼく"の声を聞いたのは、俺だけだった。


"ぼく"は ロマーリオが俺を護る人間であると認めると、すっかり興味が失せてしまったように ふいと背を向けた。


(あっ、行っちゃう…)


"ぼく"は男の亡骸へと歩み寄り一部分だけ欠けたリンゴを拾う。そして、ワイシャツの裾で汚れた赤い表面を磨いた。

ロマーリオから街の状況を説教がてら説明されるのを聞き流しながら、"ぼく"が 俺のリンゴをかじるようすをぼうっと眺めていた。

ふと、リンゴの中のうす黄色は、"ぼく"の髪の色とよく似ていると思った。


「さあ、屋敷に帰るか。」


ロマーリオが笑顔で俺の肩をぽんぽんと叩いた。家へは少し歩けば着くのに、黒塗りの車が向こうで待っていた。



「…ちょっと待って!」

「ん?」



このままだと、俺は二度と"ぼく"に会えなくなる気がした。


確かに"ぼく"は平気で人を殺したし、怖いと思った。でも"ぼく"のことを何も知らずに別れるのは惜しいとも思った。

怖れなんかよりもっと強く、俺は"ぼく"に惹かれていたから。



「あなたの!名前は?!」



(また会いたい。話がしたい。)それだけを思って 俺は夢中で叫んだ。――あの秋の水のように澄んで冷たい目をした"ぼく"の心にも届くように。


「ぼくの…名前?」


"ぼく"はリンゴを上に投げて掴むとまた口元だけ笑わせた。静かな問い返しに、俺は大げさに首を縦に振って答えた。

名前さえ覚えていれば、いつかまた会えると信じていたからだ。






























「プラチナブロンドの"ぼく"?」


結局俺は"ぼく"の名前を知ることは出来なかった。

というのも、あのときタイミング悪く車のエンジンがかかり、静かな中でちょうどよかった"ぼく"の声が掻き消されたからだった。


「さあ…思い当たらないな。男か?」

「それが分からなかったんだ」
「尚更分からないじゃねえか馬鹿。」


後ろ手で手を振りながら去っていった"ぼく"の後ろ姿だけはしっかり目に焼き付いていて、幼さの割には今でもよく覚えている。

だが、今悔やんでもエンジン音に裂かれた声は聞こえてこない。


「リボーンさんでも分からねえんだ、いい加減諦めろよ。」


陽気に笑いながら、ロマーリオはりんごをかじる。

皮が剥がれて見えた中のうす黄色を、"ぼく"のつんつんした髪の色と重ねて遠い目で見つめた。


「だってよ、会いてえじゃねえか。」

「会ってどうすんだ。もう何年も前の話だろ?」
「どうって、助けて貰った礼を言うんだよ。」


あのあと親父や仲間にウンザリされるほどしつこく聞いて回ったが、結局顔の広い親父もリボーンも"ぼく"のことは何一つとして知らなかった。

今も謎の人物として"ぼく"は俺の胸の中に息づいている。










白金と林檎
(この話をするといつも、ひたきは至極おかしそうに震えた。)




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