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どこかでそっと交わる世界


ー…それは 病院からの帰り道での出来事だった。

駐車場まであと少し。
歩道橋を歩いている時、横に並んでいた優希が急に駆け出した。
ガシャンと音がたつほどの強い力で 突き当たる踊り場の柵に身を乗り出す。
何事かと慌てて 落ちてしまいそうな小さい身体を引き止めた。

優希は ひどく切迫した表情で、遠くを見ていた。
その視線を追うが、自分に見えるのは 街の風景だけだ。
あらゆる所に伸びる道路と走り抜ける車。
カフェやショッピングモールの洒落た屋根。
所々にあるオフィスビル。
至っていつも通りの街。

(…………。)
しかし 優希には そうは見えないらしい。
見開いた目は 一点を注視して、手はぎゅうと強く服の裾を握りしめている。
しばらくして、こちらを見上げた。
弱々しく腕を上げて 見ていた方向を指差す。
(………?)
そちらを見たが やはり何も異常は見当たらない。
何だ と軽く首を傾げ 優希に答えを促す。

(あそこで、人が、落ちたよ)

その手話に、心臓が 締め付けられるような衝撃を覚えた。
咄嗟に指差した場所を見て、優希を見返す。
今にも泣き出しそうな目には、反して強い意思が込められていた。

(助けに、行かなきゃ)


ーーーーーーー…………


優希から 落ちた人を見た というビルを聞き出し、その場所へ向かった。
そう遠くはない。近づくにつれ 優希がピタリと傍にくっついてきた。
じぃと その目は前方に見えてきた薄暗い路地の入り口を見ている。

(……此処か…?)
コクン と深く頷く反応に、妙な緊迫感が襲ってくる。

ビルとビルの間。
人が一人やっと通れるような隙間だ。
換気扇やエアコンのファンが剥き出しになっていて、地面にはゴミや瓦礫が散乱している。
突き当たりはまた違う建物が塞いでいる。どうやら抜け道はないようだ。
これでは、誰も入っていかないだろう。
前の通りは人の往来がある小綺麗な歩道にも関わらず、その路地だけは どんよりと暗い。

(…………………。)
こんな所、気味が悪いことには違いない。
路地の入り口、真正面で立ち止まり 優希と顔を見合わせた。
優希も やはり少し警戒し、躊躇っている様子だった。忙しなく 辺りを見回している。

(……どうする…?)
(………………行く。)
ゴクリ と息を飲み、優希が決断した。
狭い路地に まずは美柴が入り、その腰にしがみつくように優希が続く。
一歩、また一歩と慎重に進む。進むにつれ 空気が重苦しくなっていく。何か、何かがおかしい。
振り仰ぐと とても細い空が見えた。少し日が暮れて どんどんと視界は暗くなっていくように思う。

思い違いであればいい。
そう思いながら 視線を戻すと、思わず足が止まった。
続く優希もビクリと凍りついたのが感じられた。

放置された換気扇の向こうに…靴が見えた。
サラリーマンが履いているような黒い靴だ。
爪先が空に向いている。つまり靴の主は立っている状態ではない。倒れているのだ。

その換気扇の向こうに、誰かが、倒れている。

(……………………。)
(……………………。)

途端、優希がぜいぜいと激しく息を乱して、美柴の腰に顔を埋めた。
美柴は しがみつく優希を支えて、やっとの思いで出口まで後ずさる。

優希には、見せられない。
おそらく、あの倒れている身体は 生きてはいない…。

(男の人。ワイシャツに、青いネクタイしてる。これみたいな色)
優希の手話に 驚く。ここから見えるのは靴だけだ。全貌は確認できない。
しかし優希は これ、と自分の持っているバッグを指差す。群青色の肩掛けバッグだ。
何も言えずにいると 優希のサインは更に進んだ。

(さっき落ちたんじゃないんだよ。もう、ずっと前。ずっとね、……ここに…居るんだよ……)
みるみる泣き顔になっていく。恐怖なのか、悲観なのか、多分それ全部だ。

(指輪してるよ。多分ね、左手のここに指輪してる。それでね…)
さらに何か続けようとした優希の指先を 手の平で握り締めて遮った。
どうしてこの子供にそんな事が分かるのか、分からない。
でも その能力は確実に優希に辛く哀しい思いをさせている。
そこに覗いている靴先を睨んだ。

「………………。」
優希が見たものを、自分も確認する。第一、これが事実なら 通報する必要がある。
……もし優希の言うとおりなら、彼を探している家族が…きっと居る…。

優希には ここにいろ とサインを向けて、もう一度 その靴にゆっくりと近づく。
換気扇越しに 徐々に見えてきたのは、確かに 男性の遺体だった。

顔まで確認し 一度はその半腐乱体に思わず目を背けた。
瞼の裏で、いつか夢に見た半身の映像が横切った。
ぐっと拳を握り堪えて 深い息を胸の奥から吐き出す。

多少落ち着いて、再度その姿を見た。
白のワイシャツ。群青色のネクタイ。
放置され爪が剥がれてしまった指先。
その左手の薬指に、銀色のくすんだ指輪…。
ことごとく、優希の言った通りだった。

振り返ると、優希は立ち尽くしてぐすぐすと鼻をすすり泣いていた。
歩み寄り、しゃがんで そっと抱き寄せると、声をあげて肩に必死に抱きついてくる。
その体を抱えて、路地を抜け出した。
本当はすぐに通報するべきだろう。けれど、今すぐにはそんな事は出来なかった。
震える優希を抱きしめていた。
その小さな頭の向こうでは 夕日が沈んでいく。

こんな哀しい夕日は、もう見たくない…。
力を込めて 優希の頭を抱き、止まない泣き声が居たたまれずに 強く強く目を閉じた。

どうかこれ以上、傷つけないで欲しい。

そう、願った。





その後、遺体は 救急車に乗せられて運ばれていった。
どうやら指名手配を受けていた人間だったらしい。やってきた刑事に 何故発見に至ったのか説明を求められた。
本当のことなど言うわけがない。子供がふざけて入ったら見つけてしまったと言った。

「…そいつぁ…」
刑事はボリボリと頭を掻きながら顔をしかめ、美柴のコートに隠れる優希を見下ろした。
「びっくりしただろ。悪かったなぁ 坊主。」
しかし優希は じっと路地のほうを見つめている。ただ見てる、といった風ではない。
そんな優希の様子を不思議そうに見る刑事に対し何の説明もせず、踵を返した。

「あ。一応そちらさんの連絡先だけ控えさせてもらいてぇーんだが」
「……関わりたくありません」
「いや、でもこうゆうのは一応ちゃんとしとかねーとなんないんでね」
「………………。」
仕方なく、差し出された書類にペンを走らせる。
その間も 優希は美柴のコートを握り締めたまま 食い入るように路地を見ていた。

「ー…お子さんの名前は?」
ふいに尋ねられ、美柴はつい手を止めて顔を上げた。
刑事は、いまだに疑うような目で優希を見下ろしている。良い気分ではない。

「……ゆうきです」
「小学校低学年、ってとこか。ずいぶん若い時の子だろ?大変だなぁアンタも」
「………………」
答える義務はない。目でそう言った。
刑事は まだ少し優希を気にかけている様子だったが、美柴が書類を返すと どうもと礼を言って 美柴達を解放した。

「後藤刑事!」
若い刑事に呼ばれて 去っていく刑事を 内心ほっと見送る。
優希は……やはり路地に釘付けだ。美柴も同じように見てみる。
目隠し用の青いシートが捲られ、数人の警官や検死官が出入りしている。

(……どうして、死んじゃったのかな…)
しばらくして 路地を見たまま 優希は小さな手でそう言った。
何も応えられなかった。ただ黙って 優希の手をとり、その場を後にした。
でも 優希は優しい。何度か路地を振り返った後 心配そうにこちらを見上げた。

(……ねぇ鴇。あの人、もう家に帰れるよね?)

…正直、それは分からない。
どんな事情があったのか、どんな想いだったのか、知る術はないのだから…。
そう思いながらも 優希が抱いてる希望を潰してしまわぬように 頷いた。

(そうだよね。良かった…)
眉を下げて 哀しげだった優希の表情は、ふわりと和らいで 笑った。

もうこれ以上、踏み込んではいけない。
これ以上踏み出したら、優希が傷ついてしまう。
どこかで そんな警告の声が聞こえた気がした。


ーーーー………


現場を去っていく 第一発見者の親子。
…確かに容姿は似た部分もあるが、しかし親子というには あまりしっくりこない。
後藤は神妙な面持ちで 親子の背を見ていた。
厭に気になったのだ。あの子供の、まるで警戒している猫のような視線の投げ方が…。

……ありゃ まるで…

過ぎった空想を打ち消すように、後藤は頭をぶんぶんと振った。
車に戻ろうとした時、見計らったように携帯電話が鳴る。

「誰だ」
「何度も言いますが電話の対応がなってません」
「うるせぇ!こっちは忙しいんだよ!」
「そうですか。じゃあ今回の件は勝手に頑張って下さい」
相手はそれだけ言って回線を切った。あいつは本当に…。
苛々とリダイアルをかける。その視界の隅で あの親子が角を曲がる様子を捉えた。

さっきまで 路地を切迫した視線で見据えていた子供が、優しい笑顔をしているのが見えた。
見てるこっちまで フワフワになりそうな、愛らしい笑顔だ。

…まったく。あれを どっかのひねくれ者に似てるなんて、なんで思ったんだか。

「何の用です?」
電話の向こうから聞こえた流暢な声に、眉が引き攣った。

「あぁ あぁ、悪かったよ!さっさと話せ八雲!!」
「さようなら。」
と、またも切られる回線。

………あぁくそッ!!

「石井!!行くぞ!!」
「え?どちらへですか?」
「いいから車出せ!!」
「は、はい!!」
慌てて駆けてくる石井は、威勢良い返事をし……転んだ。


■心霊探偵 八雲、突発共演。


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