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―…翌朝。
鳴り響いたチャイムの音に 美柴は玄関に降りた。
おそらく中条だ。優希を連れて、カメラを買いに電気屋にでも行くのだろう。

昨夜は自己嫌悪でろくに眠れなかった。
自分は行かないと伝えようと思いながら 重くドアを開けた。

「よぉ。朝っぱらからヒデェー面だな」
「…………………」

皮肉に応える言葉も、迎え入れる言葉も、出なかった。
まず真っ先に中条の足元に視線が落ちる。次いで 顔を上げると 中条は何事もなかったように ニヤリと笑っている。

「……中条さん…」
「優希はまだ寝てんのか?貢いでもらったガキが良いご身分だな?」
早く起こせ と催促する。そんな横暴な言い方さえ気にならなかった。

真新しい青い自転車が、そこにあるのだ。
カゴの中には 小さい子供用のヘルメットが収まっていた。
中条の足元にあるからか とても小さく感じる。

ガチャリ。
振り返ると、パジャマ姿の優希が目と口を大きく開いて 自転車を見つめていた。
ぱぁと笑顔になり、一目散に駆けて 自転車のハンドルに触れる。
中条がその目の前に ヘルメットとサポーターを吊るして見せた。
差し出されたそれを受け取り 中条を見上げ 満面の笑顔で何か伝えようとし……しかし ハッと息を飲むと 一変しておずおずとした表情で美柴に視線を向けた。

「………………」
優希が見せた笑顔に、もう、何も言えなかった。
軽い溜息を吐きつつも、自然と表情が緩み 笑ってしまう。
まったく、こんなに悩んできた自分がバカみたいだ。

(……鴇、自転車…いいの?)
和らいだ美柴の表情を、優希が 上目遣いで伺う。

(………二つ、約束をしろ)
屈んだ美柴は優希と視線を合わせ、手話と口頭の両方を使って 告げる。

「絶対に道路に出るな」
「…おいそれじゃ意味ねぇーだろ」
「きちんと歩道を走れ」
「…あぁ そうゆう事か」
「うるさい」
口を挟む中条を キリリと睨んで黙らせ、二つ目の誓いを突きつける。

「それと、乗れる様になるまで、絶対に泣き言は言わない。」

強く優希を見て そう言った。いいな と念を押すと、しっかり美柴を見つめ返し 大きく頷く。
その様子に くしゃりと頭を撫ぜ、着替えて来いと背中を押した。
優希は パタパタと大急ぎで部屋に飛び込んでいった。

ふぅと息を吐いて 立ち上がると、中条と目が合った。
なんだか ニヤニヤとした笑みでこちらを見ている。

「……何だ」
「やれば出来るじゃねぇーか、お母さん」
わざとらしい呼び方に腹が立ったが、言い返す言葉はもう用意が出来ていた。

「しっかり練習させろ お父さん」
「………は?まさか俺が教えんのか?」
当たり前だろ と冷ややかな視線で答えた。
中条は めんどくせぇとぼやき 煙草に火をつける。

「優希の前で吸ったらもう家に上げない」
「……ったく、いちいちめんどくせぇー母ちゃんだなぁ。下の公園に居るからな 連れて来い」

咥え煙草で ひょいと軽々と自転車を片腕に持ち上げると、エレベーターへと向かう。

「まって!!」

久しぶりに聞いた。
舌足らずで 少し聞き取りにくい、少年の弾んだ声。
美柴がその声に驚いて振り返る時には もう優希が脇をすり抜けて玄関を飛び出していた。
その兎のような姿を視線で追うと、優希は中条に体当たりする。
バランスを崩して 転びそうになった中条が ゴツンとその頭に拳を落とした。

「おま、危ねぇーだろーが!」
しかしその拳骨は痛くなかったのだろう、優希は気にせず 羨望に近い眼差しで中条を見上げている。
そのキラキラとした子供の視線に 半ば負けた形の中条の横で、優希が振り返った。

(乗れるようになったら、鴇も乗せてあげるね!)
(……………………。)

………それはどうだろう…。
自信満々の笑顔で見せ付けられたサインに どう返していいのか分からず、苦笑いを返すしかなかった。

「先行ってっからな、コーヒーぐらい持って来いよ」
ひらひら。中条は前を見たまま軽く手を振り、やる気無さそうな声で 美柴にそう言った。
なんとなく照れくさいのかもしれない。あれじゃぁ まるで本当に”お父さん”だ。

階下へと見えなくなった中条と優希の姿を想い、ふと自分の中にあった重みが消えていることに気がついた。

……これでいいのかも知れない。

『鴇、子供ってのは 大人みんなで育てていくものなんだよ』

いつか言われた 店長の言葉が、今、とても胸に沁みる。



■吐いて楽になって もっと幸せ (星座の夜 清春)

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