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クロッカス


『もう少し、このままでおらせてくれんか』



甘えるような声


耳たぶをくすぐる感覚


腰に回された力強い腕




どうしてだろう



離れた今も尚、感じる




愛しい人の温もり−



目を閉じれば自然と浮かぶあの光景に
心臓がうるさいくらい脈を打つ



落ち着け、おさまれ


そう暗示すればする程
想いは風船みたいに膨らんでいく


破裂するのが怖くて耳を塞ぐのに
行く末が気になって目を逸らせない



『名前』



あの時、一体何を言おうとしたんだろう


愛しそうに、もどかしそうに絡まった視線が
私に何かを訴えかけていた


だけど、何も読み取ることは出来なかった


だから知りたい
どんな想いで口にした言葉なのか


不可解な言動の意味を
絡まった視線の意味を




お願い、教えて……




「何を教えてほしいの?」
「……へ?」



突然聞こえた声にハッとする。眼前には私を眺めて優しく笑う幸村先輩の姿。


それから手に握られたお弁当箱と箸。
そうだ。今はお昼休みなんだと理解する。


いつも通り先輩とご飯を食べる為に中庭に移動した。そしてそこからの記憶がない。


と言うことは。


食べかけのお弁当を見て長いこと自分の世界に浸っていたことに気付き、額には冷や汗が浮かぶ。


しかも無意識の内に声に出してたなんて……!
恥ずかしすぎるよ


「俺が話しかけても空返事でボーッとしてたけど、何か悩みごとでもあるの?」


相談に乗るよ?と言わんばかりの表情で見つめてくる先輩に慌てて答える。



「あ、いえっ!何でもないんです!気にしないでください!それよりも、せっかく話しかけて貰ったのにボーッとしててすみませんっ」


一先ず謝らなきゃ!
誠心誠意、頭を下げる。

少しだけ間が空いて。
優しい笑い声が零れた。


「フフ、別に謝ることないよ。悩みがないなら俺としても安心だしね」


その言葉にホッと胸を撫で下ろす。


「それに可愛い顔を堪能できたし」


「え?」
「ううん、こっちの話」


小さくて聞こえなかったけど
今、先輩何か言ったよね?


そんな私の思考を遮る様に先輩はそうだ、と呟いた。



「今日の放課後、俺の教室に来てくれないかな」



不思議そうに首を傾げる私に美化委員の仕事でちょっと相談したいことがあってね、と先輩は言葉を付け足した。


相談ってなんだろう?


浮かんだ疑問を口にすることなく、わかりましたと私は頷いた。




そして放課後。言われた通り先輩の教室まで来たものの私の足は扉の前で止まっていた。


…どうしよう


何分そうしていたかはわからない。
だけどなかなか一歩が踏み出せなくて。


私は頭を悩ませていた。


少しだけ開いた扉の隙間。
もう一度、中の様子を伺う。


……うん、やっぱりまだいるよね


窓際の席で読書をしている男の人を発見し、小さく肩を落とす。


他には−


見える範囲で目を凝らすけど、幸村先輩らしき姿はなかった。と言うよりはその人しか居ないようで。


放課後になって大分時間が経ってたから
教室には誰もいないと思ってたんだけど……


私と同じで誰かを待ってるのかな?


もしそうだとしたら少しどこかで時間を潰して
改めて来た方がいいよね


……よし!


ようやく決心がついて大きく頷く。そして踵を返した瞬間、教室から落ち着いた声が聞こえてきた。


「精市なら今、席を外している」
「え?」


かつかつと床を歩く音が大きくなる。


そしてゆっくりと教室の扉が開いて、さっきまで読書をしていた人物が目の前に現れた。


この人は……


声の主は私を見るなり薄く笑った。


「2年C組名字名前さん、だね?」
「は、はい……。でも、」
「何故私の名前を?と君は言う」
「!」


言葉の続きを先に言われ驚きを隠せないでいると、その人はよりいっそう目を細めた。


「精市が君のことをよく話してくれるのでな」
「幸村先輩が……」


どんなことを話したんだろう?
考えるとちょっと恥ずかしくなった。


「直に戻るそうだ。待っていてくれと言付けを頼まれている」


中に入るように促され、私は緊張した足取りで教室の床を踏む。


「紹介が遅れたな。俺は柳蓮二、テニス部に所属している」
「知ってます。幸村先輩と仲良しなんですよね」
「成る程。同様に俺のことも話しているのだな」


私のために椅子を引いてくれた柳先輩にお礼を言い腰を下ろすと先輩は壁に背中を預け読書を再開した。


読書に戻っちゃったけど…
私、邪魔じゃないかな?


シンとする空間に居づらさを感じつつ、ふと自分の目の前にある机を見つめる。


促されるまま座っちゃったけど
柳先輩は違うクラスだったよね?
と言うことは、この席は幸村先輩の?


何て考えていたら。


「精市との関係は順調か?」
「へ!?」


不意打ちとも言える質問に私は素っ頓狂な声をあげた。


「俺のデータでは精市は君に好意を寄せていると出ているが…合っているだろうか?」

「あの、その……」


しどろもどろになる私を見て柳先輩は少しだけ口角を上げた。


「すまない、少し悪戯が過ぎたな」
「う……はい」


いきなり際どい質問をぶつけて来た柳先輩の真意が読めなくて、少しだけ身構えてしまう。


ここは一先ず、空気を変えよう


「あの、幸村先輩はいつも、私のどんなことを柳先輩にお話しするんですか?」


さっきから気になっていた疑問を投げ掛ける。


「君と過ごして感じたことをいつも楽しそうに話してくれるな。その時の精市はとても良い顔している」
「え?」
「余程、君のことを大切に想っているのだろう」


そう、なんだ…
その言葉に頬が少し熱くなった。


「君は精市のことをどう思っている?」


さっきと同じ単直な質問。けれど明らかに違う雰囲気から、真剣に問ってきているのだと感じとった私は返答に戸惑ってしまう。


もちろん、先輩のことは好きだ
優しくて頼りになる


けれど、きっと違う
柳先輩が訊きたいのはもっと、深い部分


ここは、何て答えるのが正解なのだろう


なかなか答えが出せず言葉を詰まらせる私を見て柳先輩は優しく微笑んだ。



「深く考える必要はない。率直な想いを聴かせてくれないか」


率直な想い―



「……幸村先輩のことは好き、です」


だけど―…


「恋愛対象としてはまだ判断し難いと言ったところか」
「!」


的確に言い当てられて私は再び言葉を詰まらせた。


「ああ、すまない。別に君を困らせるつもりはなかったんだが…」
「いえ、ちょっと驚いただけです」


ストレートに来る分、返答に困るけれど
こうして気を遣ってくれるのは素直に嬉しい


申し訳なさそうに謝る柳先輩にそっと微笑む。


「成程、精市が言っていたのはこれか。確かに頷ける」
「え?」
「いや、こちらの話だ。気にしないでくれ」
「?」


そう呟いた先輩はどこか嬉しそうに微笑んでいた。
私、何か変なことしたかな?


先輩と話すと新しい発見があって楽しいけど
謎に感じる部分もあるから難しい


だけど、わかる気がする
幸村先輩が柳先輩を慕う理由


「君に伝えておきたいことがある。きっと気づいていないだろうからな」

「伝えておきたいこと、ですか?」


ああ、と頷いて先輩は私の瞳を見つめる。
……見つめているのだと思う。


「今の精市にとって君の存在は大きな支えになっている」
「そ、そんな大袈裟です」


また意地悪されてるのかなと思い先輩の表情を窺う。


……表情から読み取ることは出来なかったけれど、漂う雰囲気から冗談で言っているのではないと理解した。



「ありがとう」
「え?」


唐突のお礼に気の抜けた返事をしてしまう。


「精市に笑顔を取り戻してくれたこと、ずっと礼を言いたかった」


笑顔を、取り戻す?


「私が……ですか?」


信じられない言葉を耳にして。
気づけば口が勝手に動いていた。


「ああ。君と出会ってから以前の様によく笑うようになった」
「以前の、ように…?」

柳先輩の言葉が引っ掛かる。


「一時期、精市は心から笑うことが出来なくなっていた。それどころか人を遠ざける様な冷たい瞳をしていたんだ」


あんなにも温かく笑える人が
人を遠ざけるような瞳を…?


ありえない


以前の私なら確実にそう口にしたと思う。
でも、今は違う。

あの日、あの時向けられた幸村先輩の冷たい瞳――



「丁度、退院後のことだ。何処か影があるように見えたのでな。少々心配だったが、今ではその必要も無くなったよ」


柳先輩は心配なくなったと言ったけれど
きっとそれは違う。

幸村先輩は今も何かに囚われてる。

柳先輩が口にした"影"という単語。
脳内をぐるぐると巡る。

時折見せる先輩の悲しい瞳。
あの時見せた先輩の冷たい瞳。

柳先輩の言葉と重なって心が嫌にざわつく。


「幸村先輩の身に、一体何があったんですか……?」


ずっと気になっていたこと。
柳先輩ならなにか知っているのかもしれない。

知りたい好奇心と訊いてはいけない背徳感が私の中で激しくぶつかり合う。


「それは俺の口からは言えない」


少し間が空いて、柳先輩はいつもの淡々とした口調で答えた。でも、ほんの少しだけ。一瞬だけ声が震えていたように思う。


柳先輩は知っている
だけど、幸村先輩を想って伏せてるんだ

それを無理に訊こうとするのは良いことじゃない


「話してくれて、ありがとうございました」
「……いや、こちらこそ耳を傾けてくれたことに感謝している。多く語れないのが申し訳ないが−」


穏やかにほほ笑む先輩の表情は、どこかホッとしていた。私の追求を身構えていた結果なんだと思う。


それにしても退院後の幸村先輩の様子。
ただ事じゃない

最近では見せなくなった冷たい瞳。
でもそれは隠してるだけで。

今も根強く、幸村先輩の心を支配している。
あの時見せた瞳がそれを物語っていた。


入院中に何かあったのだろうか?
心に影を落とす程、大きな出来事−


…やっぱり、考えても浮かばない
柳先輩の口からも語れない


だとすれば、真相にたどり着くには――
本人に直接訊くしかない、のかな…

でも、きっと訊いても答えてはくれない
何よりまたあの瞳を向けられるのが――


怖い



「ひとつだけ、君に頼みたいことがある」
「……何でしょうか?」


「これからも精市の傍に居てやってくれ。どんなことがあっても離れずに支えてやって欲しい」

「それってどういう……」


言葉の途中で教室のドアが開く音がして振り返る。


「お待たせ……と、すまない。お邪魔だったかな?」



教室内に漂う雰囲気を察したのか、幸村先輩が申し訳なさそうに頭をかいた。


「いや、彼女と少し世間話をしていただけだ」
「そう?でもなんだか空気が重たいよ?」
「今後の我が国の在り方について少々、な」


…普通の中学生がつく嘘とはレベルが違う


「また難しそうな話題を持ち出したね。名前ちゃん大変だったろう? 」


苦笑いを浮かべる先輩に嘘だと悟られないように、なるべく自然に応える。


「い、いえ、柳先輩の意見が聞けて勉強になりました」
「君の意見も中々興味深かった」
「あ、ありがとうございます…」


何なんだろう、このやり取りは
内心で呟きつつも柳先輩に合わせる。


「役目は果たした。俺はこれで失礼するよ」
「うん、ありがとうね」
「礼には及ばない。また何かあれば言ってくれ」


こちらを振り返り薄く微笑んだ柳先輩は教室を後にした。


結局、柳先輩の意図は汲み取れなかった。
それどころか沢山の謎を残して、先輩は去って行った。

聞きたい事、知りたい事。山ほどある。
でも柳先輩は教えてくれなかった。


…柳先輩は一体、私に何を望んでいるのだろう


「何だか名残惜しそうだけど、柳と何かあった?」
「い、いえ!何も……、」


ま、まずい!
凄く怪しまれてる!!


「ふーん。じゃあ何か変なこと言われたとか?」
「変なこと――」

と言うより気になることを
いっぱい聞かされたけど…

さすがに心の準備も出来てない状態で
さっきのことを先輩に訊けないし…

ここは雰囲気を変えるためにも――


「私のこと、柳先輩になんてお話ししたんですか?」
「っ!!」


いつもは見れない先輩の焦った顔に自然と頬が緩む。

私に知られたらまずいこと話したのかな?


「余計なこと喋るなってあれ程 釘を刺しておいたのに」
「ふふ、私にとっては余計なことじゃないですよ?」
「そんな可愛い顔しても教えないよ」


ふいっと顔をそらす先輩を見て、頬が緩む。

雰囲気を変えるために持ち出した話だったけど、思いがけない収穫だったかも


少しだけ頬を染めた先輩はとても可愛いくて。
危うく口にしてしまいそうなる衝動を抑えた。


可愛い、なんて言ったら
きっと怒られちゃうから


私は言葉を飲み込んだ。


その代わり先輩の横顔を満足するまで眺め続けたんだ。








――――――――――――――――





「何が目的じゃ」


教室を出て階段に差し掛かった頃、背後から聞こえた声に柳は足を止める。


「と、いうのは?」


振り返ることなくそう答えると仁王は少しだけ苛立ちを込めた声で告げる。


「お前さんが名前と接触した理由を吐けと言うとるんじゃ」


「ならば、まずは聴かせてもらおうか」


「お前がとった不可解な行動の意味を」
「…何のことぜよ」


言葉を詰まらせる仁王に柳は躊躇うことなく言葉を続ける。


「愚問だな。俺が知らないとでも思っているのか?」
「!」
「全て把握済みだ。今回に限らず、な」

核心をついた発言に仁王は小さく溜め息を吐いた。


「…うちの参謀に隠し事は通じんってか。怖いねぇ」


お手上げだと両手を広げ、仁王は口端をあげた。


「きまぐ……」
「気紛れじゃ、とお前は言う」


違うか?と言いたげに笑みを浮かべ、顔だけこちらに向ける柳に仁王は再度小さな溜め息を吐いた。


「お前さん、性格悪いのう」
「気紛れで彼女に近づくお前には言われたくないな」


少しだけ眉間にシワを寄せる仁王に柳は肩をすくめ、言葉を続ける。


「心配はいらない。彼女と接触はしたが、これと言って特別な感情はない」


まっすぐに向けられる仁王の視線を受け止め、柳は淡々と応えた。


「ただ、少し伝えたいことがあったのでな」


そう告げると仁王は怪訝そうな表情を浮かべる。


「わざわざ接触を謀る程の内容なんか」


問い掛けに応えることなく薄く笑うと柳はそれ以上語ることなく、止めていた歩みを進めた。



「一体、何を企んどるんじゃ」



その呟きに答えが返ってくることはなく。
小さくなってゆく柳の背中を仁王はじっと眺め続けた。




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