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理由
 

 一度はその肌に触れた手を、ぱっと打ち払われた。ベッドの軋みが止まったせいで、お互いの荒い呼吸が浮き上がる。
 僕の上に乗り上げていた彼が
「……ごめん」
 何故かそうぽつりと謝って、何か誤魔化すように動きを再開した。




「どう思うぅぅ?」
 かいつまんで話して最後にそう言うと、相談相手に選んだ相手は、思い切り面倒そうな顔をした。
「知りません。てかなんで俺に言うの?」
「つめたい!何かしたかなぁ…何かってなに…?」
「独り言ならひとりでしなさ、っ」
「だめだめ!行っちゃだめ!どう思う?」
「だから!…どうもこうも…」
 なんだかんだ言いつつ、腕組みして難しい顔をして考えてくれている。いいやつだなあ。
「……触られたくない理由がある。としか…」
「例えば?」
「手が冷たい」
「…体質改善的な…?」
「養命酒飲んだらどうです」
「ええー…」
 廊下の隅で頭を寄せ合ってひそひそやっていると
「…なにしてるんだ?」
 後ろから訝しげに声をかけられて、僕らは揃って飛び上がった。
 振り向いて声の主を見た瞬間、
「というわけで、養命酒!」
 ね!と、半ば謎の台詞を残してあっという間に相談相手は姿を消し、取り残された僕は彼の無言の重圧に耐えられるわけもなく、ええと、とうつむいた。
「養命酒?」
 彼が小さく笑う。うつむきがちに視線を上げると、彼と目が合った。
 優しいような、少し意地悪なような目で彼は僕の言葉を促す。
 清水の舞台から飛び下りる──と言ったら大袈裟だろうか。僕は咳払いを一つして
「手が冷たいから触らせてもらえないのかなって」
 できるだけひそめた声で言った。
 彼は僅かに目を見開き、珍しく少し言いよどんで口元に手を当てる。
 少し離れた部屋から何人かの笑い声。
 その声にはっと振り向いた彼が、僕のパーカーの裾を少し引っ張り
「…帰りに俺んち寄って」
 一瞬、キスされるのかと思うような距離で囁いた。





 彼の部屋に入るのは久し振りだった。
「ただいま」
 先に部屋に入った彼がそう言ったので、僕は三和土で脱いだ靴を揃えながら
「おかえりなさい」
 と答える。
 すると、彼がぱっと振り向き、靴を揃えるためにしゃがんでいた僕につかつかと向かってきて、何が起こったのかよくわからない内に玄関脇の壁を背にして、僕は彼を膝の上に乗せていた。
「あの、…えっ?」
「──おかえり」
 甘い声で──すぐわかる。欲情しかけている声で彼が言い、僕の頬に両手を滑らせて、そっとキスする。状況を把握した途端に心臓が跳ねた。
 うわああ、と内心ひどく動揺しながら(だって、玄関先でって、そんな)、かろうじてただいまと返したところへ、また、キス。
 ふ、と一息ついて、目があって、キス。
 呑み込まれる。
 段々開いていく彼の唇を追いかけて、ちろりと舐める。すぐにお返しのように下唇を唇で挟まれて、どんどんわけがわからなくなってくる。
 ああ、だめだ、理由、を──
 この部屋にやってきた当初の目的をかろうじて思い出した時には、彼も僕もすっかり息が上がって、このままコトに及んでしまいそうになっていた。
「あ、あの、」
「ん」
 僕の頬から首、胸、腹、と服の上から確かめるように撫でた彼の手が、床に置かれたまま、彼に触れてもいいのかだめなのか迷って所在無くしていた僕の手に絡む。その間にも繰り返すキス。
 彼の唇や手の平だけでもこんなに触れていて気持ちがいいのに、全部触れたらどうなるんだろう。
 彼の手から辿るように手首と腕に触れる。それから、僕の膝の上にまたがるようにしている彼の膝を包むように手を這わせた。
 びく、と彼が震える。僕ははっとして手を離した。
「あ……」
 彼も、はっとしたようだった。とろりと細められていた瞼がぱちりと開く。
 忙しない呼気を押し込めるように唇が閉じられた。
「さ…わられたく、ない、ですか、僕に」
 あ、泣きそう。と思いながら僕は言った。彼の答えは怖くて待てない。
「でも僕は、さわりたいです。全部。ぜんぶに」
 どっ、どっ、と心臓が脈打つ音が耳元でしている。全力疾走したあとみたいだ。
 少し涙目になって、彼の顔も見れなくて、うつむいた僕の手を彼の手がきゅう、と握った。
「──…だっておっぱい大きい子が好きだろ?」
 静寂。
「──はい?」
 いま、え、いま、なんて?
「興味本位で本棚の奥を漁ったのは悪かったと思ってる」
 いやに神妙な彼を僕はただぽかんとして見つめていた。
「本棚の奥…」
「だから、ほら、平らだし、特に柔らかくもないし…」
 本日二度目の状況把握。
「だっ、う、ちょっ…」
「触っても楽しくないだろうと思って」
「ちょっと待ってください!本棚の奥って、あれは!あれは、…とにかく!」
「俺も男だし気持ちはようくわかるから」
「だから、もう!わかってませんよ!それはそれ、これはこれ!」
「……どういうこと」
 彼の、本気でわかってない表情に、溜まっていた涙がとうとう零れた。
「平らでも柔らかくなくてもいいんです!触りたいんです!」
 さっきとは違う意味で息が上がる。
 握り合っていた手に思いきり力が入っていて、はっとして緩めると、彼の手がぎゅう、と追ってきた。
「…本当?」
 珍しく──本当に珍しく、自信なさげな声が呟いたので
「本当です」
 僕は彼の手を握り返して、そっとキスをする。
 その唇にふうっと笑みが浮かんで、彼の手が僕の手を床から持ち上げた。そのまま自分の腿の上に僕の手を導いて
「──…さわって。ぜんぶ」
 そんな、目眩がするような事を、彼は囁いた。









 ボタンを外して肌蹴たシャツをするするとかき分けるように、腰から滑らせた手を更に上に登らせる。僕をまたいで膝立ちになっている彼が目を閉じたまま無意識に腰を揺らめかせた。
「冷たくないです…?」
 引き締まった胴の肌の感触と熱にくらくらしながら訊くと、首を振って、きもちいい、と彼はたまらない声で答える。
 そう。
 たまらない。
 どうしてか彼はいつもより感じやすくなっているようで、ただ触っているだけなのにもう前がきつそうに腰を揺らしている。
 胴から上がって、──胸。
 そっと手の平で撫でると、ふ、と息を詰めて唇を噛む。僕は引き寄せられるように唇を重ねて、少し汗ばんでいる熱い肌を夢中で撫でた。
 舌に当たる歯の感触。
 小さく零れる喘ぎ声。
 震えている熱い身体。
 ああ、もっと、もっとさわりたい。この人を感じたい──
 僕は急に、ほんの少しの距離も耐え切れなくなって、膝を立てて彼の身体をぐっと引き寄せる。
 目の前の首筋に噛み付くと、
「っ、あ…、う」
 僕の腕の中で彼は切なげな声を上げて全身を震わせた。












 しかしまあ好きなようにしてくれて。
 と、いやに満ち足りた表情で眠っている彼を、俺は枕に肘をついて眺める。
 少し前まで自分を蹂躙していた大きな手のことを思い出すと肌がざわついたが、それはそれ。
 目を覚ましたらあの本棚の奥の諸々の事を聞き出そう。
 それまでは精々いい夢でも見たらいい──
 ふふ、と笑った俺に、彼の腕が絡みついてきた。








2012/6/17





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あきゅろす。
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