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ヴァニラ
 

「ただいま」
 いつもは鍵を開けた時点で玄関まで小走りに駆け寄ってくる足音が、今日はしんと静まり返っている。途端にどきりと心臓が跳ねた。
 まさか、と慌ててリビングダイニングのドアを開ける。
 暗い部屋には暖房器の動いている微かな音。ドアのすぐ横にあるスイッチを探して、壁をなぞった。
 ぱっ、と明るくなった部屋のほぼ中央に陣取る炬燵。その炬燵布団の一辺が少し盛り上がっているのが見える。詰めていた息をほうっと吐いた。
 がっちり巻いていたマフラーを解き、炬燵のそばに膝をついて座る。すっかり安心している穏やかな寝顔を見ながら、思わず微笑んでしまう。
 今朝出掛ける前に三つ編みに結んだ髪が少しほどけて、ふっくらしたあどけないバラ色の頬にかかっている。いつもしっかり抱きしめている黒猫のぬいぐるみが、半ば枕がわりになって小さな頭の下に引かれていた。
「――」
 そっと名前を呼ぶと、ゆっくりと瞼が開く。う、と可愛らしくうなって目元を握りこぶしでこするのが一層微笑ましい。
「ただいま」
 黒く潤んだ目でぱちぱちと何度かまばたいて、不意にもそもそと炬燵から這い出てくると、ぎゅう、と力一杯抱き付いてくる。
「ん、ん?どうしたの…」
 あまりにも柔らかく暖かい、どことなく甘いバニラの匂いがする体。ぐりぐりと押し付けられる頭を撫でると、やっと少し離れて
「おかえりなさい」
 と、桜の花びらに似た色の唇が笑む。
 柔らかな頬を両手で包んで
「ただいま」
 二度目のただいまを言うと、その手が冷たいと言って、笑いながら肩をすくめた。




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