薊郭
それ自体が一つの生き物であるかのように渦を巻き高く結い上げられた明るい色の髪を、険しい顔をした少女がばさりと切り落とした。
凶刃を免れた長い髪が幾束もその背に落ちて、辺りを取り囲む炎の色に赤く染まる。
濃いメイクの目尻を、もう化粧の存在自体を忘れたのかぐいと無造作にこする手の甲が、白い肌に黒く墨を引いた。
細く、しかし猛々しい眉がきっと吊り上がり、両手の刀をすっと構える。相対する相手を映す、厚い睫毛と濃いアイラインに縁取られた両眼には、この戦いの場において奇妙なほど理性的な光が宿っていた。
「…いいね。とてもいい」
ちらちらと周囲を舐める炎に似た揺らぐ声がその様子にうっとりと呟く。中途半端に伸ばしたショートカットの黒髪に、妖しい緑とオレンジの光を煌めかせる瞳。濃紺のシャツに緩く締めた白いナロータイ。癖なのか、喉元に指を這わせて微笑む。
「美しくて、強くて、簡単に壊れない──とてもいい」
膝にかかる丈のスカートがふわりと揺れ、二人の間を熱気で乾いた風が通って行った。
ごとん、と、二人の靴の踵が同時に音を立てる。片方が笑み、片方がいよいよ険しい顔をする。
「強く、美しい、足利義輝──お前を殺すのはしのびない」
「うそばっかり」
グロスがすっかり剥げてしまった、乾いた唇が歪んで笑った。
ごとん、と、また、同時の足音。
「殺したがりの松永久秀。お前は美しくて強いものを愛するけど、どうせ最後には壊してしまうくせに」
「──…物識りだねえ」
久秀の薄笑いの顔を、義輝は忌々しげに睨み付ける。もう、互いに構えた切っ先が触れ合いそうになっていた。
「けれどね、壊すんじゃないんだ」
最後の一歩を踏み込んだのは久秀だった。
「壊れてしまうんだよ」
最初の一太刀を、義輝は悠々と二振りの刀で受け止める。さっと離れた久秀がまたすぐに、上下左右、自在にその分厚い刃を打ち込んだ。
それすら次々と受け止め、鮮やかに流す義輝に久秀は嬉しそうに笑う。
きぃん、と高い音を立てて久秀の刀を跳ね上げた義輝が、一瞬無防備になったその懐へ踏み込んだ。鈍銀の刃が久秀の白い喉元へ──
「つかまえた」
喉を逸れ、肩口に埋まった義輝の刀を気にする様子もなく、久秀は緑とオレンジが揺らめく金眼を猫のように細めた。その手は義輝の両手首をがっちりと掴んで微動だにしない。
驚愕に見開かれた義輝の瞳を覗き込むように顔を近付けた久秀は、笑んだまま
「ああ、悲しい、悲しい。こんなに美しくて、強いお前が、」
囁く声をその薄い唇から零す。
「壊れてしまうなんて」
掴まれた両手でかろうじて握っていた刀が、がしゃりと音を立てて床に落ちた。
最初は、ちり、と一瞬ひりつくような痛みだった。久秀の手にきつく掴まれた手首から、それはざわざわと広がり、義輝の腕を這い上がる。
「…っ、あ、ああああっ」
灼ける、と思った瞬間には悲鳴が上がっていた。
久秀の掌の下で義輝の腕が焼け焦げるように黒く変色していく。
金、緑、オレンジ、と、間近でその悲鳴を聞く久秀の目が一瞬ごとに色を変えて瞬き、ますます笑みが深くなる。
とうとう指先が、ぼろ、と黒く崩れ落ち、義輝の指に嵌められていた華奢な指輪が場違いにも涼やかな音を立てて床を転がった。がくりと膝をついた義輝の腕を久秀の手がじわじわと肩へ上り、ついには声にならない声で悲鳴を上げ続ける喉に優しく絡みつく。
黒々とした長い睫毛に縁取られた目が大きく見開かれて、唇がわなわなと震えている。久秀の指先が義輝のつるりとした頬を優しく包み込んだ。
「美しいもの。強いもの。…お前は壊れてしまうのだね」
久秀が囁き、やがて、ざらりと変質した義輝の顔が粗い砂のようになって崩れ落ちる。
頬に触れていたままの形をした久秀の手の中に、すうっと細長い電光掲示板のようなメッセージウィンドウが現れ、その勝利を告げた。
「…知ってるよ」
ぱちん、と手を合わせると、その中へウィンドウが折り畳まれて消える。
黒い砂はもう義輝の姿を留めていない。
久秀は傍らに転がる義輝の刀を一本拾い上げ、周囲を取り囲む炎をかき分けるようにその場を後にした。
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