私立月見里学園高等部 国宝級の笑顔 俺には双子の弟がいる。 名前は新名(ニイナ)。 赤ん坊の頃に離れ離れになって以来会ったことのない俺の片割れ。 □ 俺は昔から他人に対して感情を表すことが苦手で、しかし上っ面だけのいい子を演じるのは得意な可愛げのない子供だった。 唯一感情を見せるのが父親と祖父母だけ。 有益など考えず、純粋に愛情を向けてくれる彼らの前だけでは本当にただの”伊近(イチカ)”という子供に戻れたのだ。 それも全ては月見里(ヤマナシ)という大財閥の跡取り息子に生まれてしまったが所以だろう。 小さい頃から大人の汚い世界を目の当たりにしてしまったせいで、俺に近付いてくる奴ら皆が俺自身ではなく、”月見里”という名前しかみていないと、他人が信じれなくなってしまっていた。 そんな俺に転機が訪れたのは小学校高学年のときだった。 「伊近、今まで黙っててゴメンな。実はお前には双子の弟がいるんだよ」 それは父さんのこの言葉。 驚かなかったといえば嘘になるだろう、今まで自分は一人っ子だと思っていたのだから。 実を言うと母親には父さんに内緒でこっそり会ったりしていたのだが、その彼女からも弟の存在は全く聞かされていなかった。 しかしだからと言って、何ていうことはない。 「ふうん」 そうとだけ返した俺に、父親が苦笑しながら差し出したのは1枚の写真。 そこに写っていたのは俺に似た、仏頂面の少年だった。 写真だというのに、ニコリともせず、こちらにその真っ黒で意志の強そうな目を向けている。 穢れを知らないその瞳は、俺の心の奥にある闇に似ているような気がした。 少しくらい笑えばいいのに。 そう思ったのは一瞬。 すぐにああ、彼も自分と同じように笑えないのだろうかと、自然とそう感じていた。 あまりにもそれを長く見つめていたらしい。 そんな俺に何を思ったのか、父親に”あげるよ”と言われて渡された数枚の写真に写っていた彼は、どれも無表情の仏頂面。 「・・・名前」 「ん?」 「名前、何ていうの?」 そんな風に自分と同じだと思ったからかもしれない。 気付けば、そんなことを聞いていた。 「ああ。・・・新名。新名っていうんだ」 そう答える父親の顔は、なんだか嬉しそうな気がした。 □ あれから数年後、中学生になった今でも定期的に送られてくる新名の相変わらずの仏頂面の写真を、俺は飽きもせずにアルバムに集めている。 そして俺と同じように成長していく彼に、いつしか俺は会いたいとさえ思うようになっていた。 しかし相変わらず俺の周りの環境は変化のないものだった。 大人はおべっかばかりで、しかもそれは学校生活も同じこと。 各界の子息ばかり集められた学園は、親の権力こそが全ての世界だった。 そんな中で本当の友達など出来るはずもなく、俺は夜な夜な寮を抜け出しては、親の権力なんて関係のない、そんな夜の世界に身を沈めていた。 そんなある日のこと。 あれは忘れもしない月の綺麗な夜で、久し振りに一人で夜道を散歩していた時だった。 ふと、大通りの方から何やら喧騒が聞こえてきて、思わず足を止める。 「喧嘩か?」 夜の世界に身を投じたときから、喧嘩なんて日常茶飯事だった。 血を見れば拳が疼く、とまではいかないが、喧嘩と聞けば黙ってられない。 混じれるようなら混じってやろうと、少し浮かれた気分で大通りへと向かえば、そこにはあきらかに一般人に絡む不良達。 あーあ。 つまんねぇの。 いくら喧嘩が好きだからと言って、弱いもの虐めは俺の好みじゃない。 むしろ嫌いなもののひとつで、知らずそこへ向かう足取りは速くなる。 俺はキャップを深く被りなおすと、その胸のそこから湧き上がってくる不快感に口を歪めた。 無抵抗の少年に不良達が下卑た笑いを浮かべながら拳を振り下ろしたときだった。 寸でのところでそれを掴むと、唖然としているソイツの腹に一発お見舞いする。 それを皮切りに少年を囲んでいた奴らは俺に矛先を変えると、次から次へと殴りかかってきた。 が、どいつもこいつも大したことがない。 集団でしか何も出来ない彼らに辟易しながら、最後の一人に渾身の蹴りを打ち込んでやった。 情けない声を出しながら、捨て台詞もそこそこにその場を逃げ出した奴らの背中に中指を突き立てる。 全く、せっかくの綺麗な月が台無しだと、俺以上に不運な少年の方を振り返えって、俺ははっと息を呑んだ。 そこにいたのは紛れもなく、俺の片割れ。新名だったのだ。 あまりの偶然に俺は声も出せずに、新名を見つめることしか出来ない。 そんな俺の視線に気付いたのか、新名は虚を見つめていた目を俺に向けると、はっとしたように顔を上げた。 「あの・・・ありがとうございました」 そしてすぐに頭を下げる新名に、俺は慌てて口元に笑みを浮かべる。 もちろん、それは作り物ではない本物の笑顔。 「ここら辺はあーいう奴多いから、これからは通らない方がいい。それに俺みたいな危ない奴もいるし」 茶化しながらそういえば、一瞬きょとんとした後、釣られる様に小さく笑った新名に、今度は俺が呆ける番だった。 こんなにも綺麗に笑えるじゃないか。 「確かに。あんなに強いなんて危ない奴かもな・・・。ん?」 俺の冗談に乗るようにそう返した後、新名は俺の様子に気付いたのかすぐに顔を無表情に戻すと、訝しげに俺を見つめてきた。 俺の勝手な思い込みだったのだろうか。 彼も、自分と同じだと思ったのに。 そんなに綺麗に笑えるなんて。 「・・・いや。綺麗に笑うんだなぁって思って」 「え!?」 俺がそう思いたかっただけかもしれない。 片割れである新名も俺と同じく、感情が欠如しているのだと。 半ば諦めたようにそう呟けば、新名はほとんど表情を変えないまま、どうにか声色で驚いたということが分かかる程度で驚いて見せた。 「・・・俺、笑えてたのか?」 そして、次に発せられた言葉に、俺は驚きを隠せなかった。 搾り出すようなその声に、俺は目を瞬かせる。 あんなに人を惹きつけるような顔で笑って見せたというのに、”笑えてたのか?”だって? それじゃあまるで・・・。 「俺、一生笑えない人間だと思ってたんだけどな」 そう、ポツリと告げられた言葉に、俺は自分の感じたことが真実だったことに驚き、同時にこの新名という存在が掛け替えのないものだということを実感した。 それに少し前の自分を思い出してみろ。 俺だって新名を見て、初めて心からの笑顔を見せることが出来たんじゃないか。 そうか、俺達は一緒にいて初めて一人前なんじゃないか。 俺は新名がいないと、満足に笑うことも出来ない。 それは新名も同じで、今日俺に出会わなければ笑うことはなかっただろう。 それに気付いた俺は、未だに信じられないという顔をした新名に、これ以上ないほどの笑みを浮かべたのだった。 もう、絶対に離したりはしないと。 fin [*前へ][次へ#] [戻る] |