『はじまり、はじまり』
「リリィさんの髪って、意外と長かったんですね」
リリィの髪を梳きながら、リコがそんな事を言った。
「そうでもないと思うが、気がつかなかったか?」
「はい。普段は制服の襟で隠れちゃってますから」
二人でベッドに腰掛け、一回、また一回と、リコはリリィの髪を梳いていく。
照明を小さくした静かな室内には、櫛を通す微かな音と、嬉しそうな調子のリコの鼻歌が聞こえる。
「楽しそうだな」
「はい、とっても! でも、ちょっと悔しいっていう思いもあります」
「悔しい?」
「こうやって櫛を通す度に、リリィさんの髪のしなやかさとか艶やかさがひしひしと伝わってきて……。首筋も凄く綺麗だし」
その言葉がきっかけとなったのか、リコの触る所に意識がいくようになってしまう。
少し恥ずかしいという気持ちと、髪を梳いてもらう心地よさが混ざり合って。
「んっ――」
首筋にちょんとリコの指が触れた拍子に、それまで我慢していたものが顔を出してしまった。
しまった、と思ったがもう遅い。
振り向いた先に見えたリコの笑顔は、いつにも増して明るくなっていた。
「気持ち良いですか?」
素直にうん、とは言えず。
赤く染まった顔を見られないように、リリィはリコを少々強引に背中を向けさせ、その手に持っていた櫛を取り上げた。
「交代だ。今度は私が、お前の髪を梳いてやる」
リボンを解き、下ろされたリコの髪に、リリィは櫛を通した。
□
「そう言えば、桜庭少尉」
「なんですか?」
「今日の朝は、寝坊したんじゃないか?」
「え!? ど、どうしてそう思うんですか?」
リコの目の前で、リリィは解いたリボンをヒラヒラと揺り動かす。
「き、気づいちゃってました……?」
勤務中、リコは妙にそわそわした様子だった。
さらに、モニターのディスプレイ、アクアリウムのガラス、果てには紋章機の装甲等、自分の顔が映る物の前で、頻りに何かを気にしている。
(――そういえば、いつもよりも髪の束のバランスが)
彼女が何を気にかけていたのかは、程無くして分かった。
「よく見なければ分からないくらいだったから、気づいた人もほとんどいないだろう」
「よかった〜。でもリリィさんには分かっちゃってたんですね」
「気にしている仕草が、よく目に付いたからな」
「……なんか、嬉しいです」
「ん?」
「だってそれって、私のこと、見ていてくれたって、ことですよね……?」
背中からでは、リコの表情を伺うことは出来なかった。
ただ、薄暗い明かりの中、ちらりと見えた横顔に、トクンとリリィの胸は鳴った。
「リリィさん……」
ベッドのスプリングがギシっと軋み、リコがリリィの方へ身体を返す。
大きな瞳が真っ直ぐにリリィを見つめる。その表情は、熱を帯びているようだった。
「リリィさん。私、リリィさんが……」
「桜庭、少尉……」
「リリィさんのことが――」
その言葉の続きは、突然鳴り響いた警報にかき消されてしまった。
「第二種警戒態勢か」
「格納庫で待機しなくちゃいけませんね……」
まどろみの中から、急に現実に引き戻されたような感覚は、あまり心地良いものではなかった。
気持ちを切り替えるように息を吐くと、リリィは立ち上がって制服を羽織った。リコもいそいそとリボンを結んでいる。
「……行くか」
「はい。でも、ちょっと待って下さい」
そう言って、リコはリリィへ歩み寄り、そして彼女の頬へ――。
「さ、桜庭――」
「さっきの言葉の続きです。さあ、行きましょう!」
頬に残る、柔らかな感触。
手で触れると、そこは熱く熱く、熱を帯びていった。
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