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運命の人
 
 ある日の放課後。
 今日は使われる予定のない生徒会室に一人、銀河久遠の姿があった。
 部屋の蛍光灯は点けず、窓から入ってくる夕日の光に頼って、彼女は本を読んでいた。
 夕焼けの明かりは暖かく優しげだが、それでいて憂いを感じるものもあって。静かな生徒会室はどこか寂しいような雰囲気に包まれていた。ページを捲る音が、やけに大きく聞こえる気がする。
 そんな時、部屋の扉が開かれる音が響いた。
 誰が来たのだろうと、久遠がそちらへ顔を向けるよりも早く、来訪者は彼女に声をかける。

「久遠か。何をしているんだ?」
「あら奈々穂さん。あなたの方こそ、こんな時間にどうされましたの?」
「学園内の見回りの途中だ。休憩がてら、誰かいないかと思ってこっちに来てみたんだ」

 部屋に入った奈々穂は久遠の隣の席に座り、彼女の様子を伺った。

「読書か?」

 手元に伏せられた本を見て奈々穂がそう尋ねる。
 久遠は「ええ」と答えると、手にしている本のページをパラパラと捲った。
   
「何を読んでいるんだ?」
「別に大したものじゃありませんわ。どこにでもある恋愛小説です」

 久遠はその本を奈々穂へ差し出す。受け取った彼女はざっと中身に目を通し、裏表紙に書かれたあらすじを読んでいるようだった。
 奈々穂は久遠に本を返すと、席を立って窓の前へと向かった。
 再び訪れた静かな空気。
 久遠は読書を再開しようかと思い、先程まで読んでいたページを開いて視線を下ろそうとしたその時。

「なあ、久遠」

 思いがけない言葉が奈々穂から発せられた。

「今、恋仲にある人とかいないのか?」
「――な、何を仰っているんですか? いきなり……」
「ちょっと気になって。ほら、恋愛小説なんて読んでるから、少しはそんな浮いた話があるんじゃないかって」
「それはあまりにも短絡的じゃありませんこと?」

 「それもそうか」と笑う奈々穂。
 久遠にとって『恋愛小説』とは暇を潰す手段の一つにすぎない。それを読むことに特別な理由も意味はないのだ。

“恋愛は打算と自己満足のせめぎ合い”

 そう思う彼女にとって小説のような恋愛話は遠く離れた世界のものであり、自分には何の影響も与えないものだった。

「しかし、もったいない気がするな」
「何がです?」
「お前が……銀河久遠という女が、恋愛に無関心だってこと」

 まただ。また奈々穂は久遠の想像を超える言葉を口にした。

「同じ女の私から見ても久遠は美人だ。悔しいけど認める。だから、もう少しそっちの方に寛容になってもいいんじゃないかって」
「そんなお世辞を言っても、何も出ませんわよ?」
「お世辞なものか。私が男だったら、きっとお前に心惹かれている」
「――!」

 言葉が出てこなかった。それどころか、息をすることさえもこの瞬間は忘れてしまっていただろう。
 真っ直ぐと自分を見つめる奈々穂の視線に、久遠の内の何かが射られた。
 心臓が早鐘を打つ。頬は熱を帯び、喉がカラカラに乾いていく――

「久遠?」
「えっ、あっ、はい! なんでしょう?」
「どうかしたか? 急にぼーっとして」
「い、いいえ! 何でもありません、何でも。それより、見回りのほうはよろしいんですの? まだ見ていない場所が残っているんじゃありません?」
「っと、そうだった。それじゃ、そろそろ見回りに戻るとしようかな。邪魔したな、久遠」

 「戸締りは頼む」と言って、奈々穂は生徒会室を出て行った。足音は徐々に遠くなり、やがて聞こえなくなった。
 大きく息を吐く久遠。鼓動はまだ速いままだった。





 恋愛小説。それは甘く切ない御伽噺。
 正直に言えば、そういったものに興味が無いわけではなかった。
 周りからはクールで知的な人物と称され、浮ついた話とは無縁の存在のように思われているが、彼女も年頃の女の子。「恋愛は打算と自己満足のせめぎ合い」などと公言しながらも、好きな人とは手を繋ぎたいし、デートもしたい。一緒の時間を過ごして、抱きしめてもらって、キスしてほしい。
 しかし肝心要、そうしたいと思える人が彼女の前に現れなかった。
 自分に想いを告げてくれる人や、しつこく言い寄ってくる輩は今までに沢山いた。だがそれら全ての人が、久遠には“違う”と思えて仕方なかった。 
 それは容姿や身分などが気に入らないという事では決してなく。
 何か決定的な決め手。陳腐な言葉を使えば、運命というものを彼女は求めていたのかもしれない。一目見るだけで、見つめられるだけで心が奪われてしまうような、そんな人を。

「そろそろ帰りましょうか……」

 目蓋を閉じれば、そこに浮かぶのは――

 運命の人は、案外身近なところにいるものだと、後の銀河久遠は語っている。



 


あきゅろす。
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