ともだち
少しぼんやりとしてしまっていたのかもしれない。
曲がり角。不意に身体を襲った衝撃と、そのすぐ後に聞こえた短い悲鳴に、琴葉は誰かと出会い頭にぶつかってしまったのだと分かった。
「すみません、大丈夫ですか?」
相手は尻餅をついてしまっていた。その側には、彼女が持っていたのであろうファイルがいくつも散らばっている。
「ごめんなさい! 考え事しながら歩いてたから……」
「いえ、こちらの方こそ。お怪我はありませんか?」
差し伸べられた琴葉の手を借りて立ち上がると、彼女はパンパンとスカートを払った。
(この人、どこかで……?)
制服から高等部の生徒であるということはすぐに分かった。
セミロングの黒髪に髪留め。
全くの他人ではないと思う琴葉の疑問は、地面に落ちたファイルからはみ出した紙が解決した。
(領収書? そうか、この人――)
見覚えがあって当然だった。
彼女は極上生徒会で唯一とも言える常識人――もとい、会計を担当している執行部役員、市川まゆらであった。
琴葉とまゆらの直接の面識は無い。
まゆらを生徒会の表側の人間とするならば琴葉は裏側。接する機会はまず無く、寧ろ隠密部という部署の性質から禁じられている。
とは言うものの、それは“極上生徒会隠密部員”としてであり、一般の学園生としてならば問題は無い。
しかしそれらを差し引いても、琴葉がこうしてまゆらと言葉を交わすのは初めてだった。
「すごい量のファイルですね」
「ええ。処理しなきゃいけない書類とかが溜まっちゃって溜まっちゃって……」
拾い上げたファイルは全部で五冊。そのどれにもプリント類がぎっしりと詰まっていて、結構な重さがあった。
これでは足元も見えないのではないだろうか。
「もしよろしければ、私がお持ちしましょうか?」
「ありがとう。でも大丈夫。気を使ってもらわなくても、これくらい――」
そう言って全てのファイルを抱えたまゆらだったが、その表情はとても平気には見えなかった。
まゆら自身もそう思ったようで、目が合った琴葉に苦笑いを浮かべる。
「ぶつかってしまったお詫びという事で」
「……うん。それじゃ、お願いしようかな」
「はい。どちらへ運べばいいんですか?」
答えは分かりきっていたが、一生徒を装う為に尋ねた。
□
生徒会棟までの間、二人は色々な事を話した。
お互いの自己紹介に始まり、趣味や嗜好、出身地、学園生活のこと等など。
実際に話をして分かったことは、まゆらはごく普通の女子高校生だということだ。
特殊な経歴を持つ面々が集まった極上生徒会の中で、例えるならば彼女は“日常”を象徴するような、そんな印象を琴葉は受けた。
弾んでいた会話の途中、内容が生徒会について触れた時、まゆらは大きく溜め息を吐いた。
「どうかしましたか?」
「うん、ちょっと思い出しちゃって。……私が生徒会の会計をしてるって、さっき話したでしょ。その仕事が大変で大変で……」
聞けば、生徒会の予算を湯水のごとく使いまくる人がいるそうだ。
まゆらが組んだ予算案を華麗にスルーし、その場のノリとテンションで何でも決めてホイホイと実行していってしまう。その度に新たに予算案を組み直しているが、それも破られてしまうこともしばしば。
何度注意してもその人たちのその癖は直らず、会計としてはほとほと困り果てているらしい。
「……申し訳ありません」
「? どうして矩継さんが謝るの?」
「あっ、いえ、なんとなく……」
まゆらの言う“会計キラー”は言わずもがな、桂聖奈だ。
彼女は琴葉の上司にあたる人物であり、その人となりもよく知っている。
聖奈の無茶ぶりには、トラウマ級の思い出をつくらされた事もある。
「聖奈さ――その人のこと、市川さんは嫌いですか?」
「え? ううん、全然。あ、もしかしてさっきの愚痴、その人を嫌ってるみたいに聞こえちゃった?」
嫌いじゃないよ、と言ってまゆらは否定する。
「確かにその人は、私が苦労して組んだ予算案も計画も平気で無視してドカーンと派手なことをしたり、悪乗りして過度なサプライズをやらかしたりするんだけど、それはみんなを楽しませようとしてやってるの。一度しかない中学生・高校生時代を、いつか大人になって振り返った時に“ああ、楽しかった!”って思えるように。いつだったか、大きいイベントを催した時に、その人がすごく素敵な笑顔をしててね。それを見たときに――」
楽しそうに聖奈のことを話すまゆらの横顔を見て、なんだか微笑ましい気持になる。
まゆらにとって聖奈は、世話の焼ける姉のような存在なのかもしれない。
それは琴葉についても同じで。彼女も聖奈に対し、先輩後輩や上司と部下といった関係に捕らわれぬ感情を持っている。
そうこうしているうちに生徒会棟へ着いた。
その玄関口には、つい今まで会話の種となっていた人の姿が見えた。
「聖奈さん。どうしたんですか? こんなところで」
「見回りついでに、ちょっと生徒会室にも寄ろうかなって。あら、その娘は?」
その娘とはもちろん琴葉のことである。
現状をさっと理解した聖奈は、まゆらに琴葉の正体を悟られぬよう、初対面であるかのように演技をした。
「色々あって、ここまで荷物を持ってもらったんです。どうもありがとう、矩継さん。重かったでしょ?」
琴葉からファイルを受け取ったまゆらは、よたよたとした足取りで生徒会棟へ入っていった。
生徒会室は最上階だが、エレベーターがあるから大丈夫だろう。
□
「珍しい組み合わせね。まゆらちゃんと琴葉ちゃんなんて」
まゆらを見送っていた琴葉に、聖奈が声をかけた。
「そうですね。今日初めて、直接話をしました」
「隠密部員だってことは黙ってた?」
「はい、大丈夫です。それよりも聖奈さん、あまり市川さんに負担を掛けるのは関心しませんよ。市川さんから愚痴を沢山聞きました。思い出作りも結構ですが、節度というものを持ってですね――って、何笑ってるんですか?」
「ん〜? 琴葉ちゃんとまゆらちゃんが、お友達になってくれて嬉しいな〜って」
友達。その言葉に琴葉の胸は少し痛んだ。
仕方がないとはいえ、さっきまでまゆらと一緒にいた自分は、偽りの矩継琴葉だ。素性を隠し、身分を隠し、普通の学園生を演じた矩継琴葉だ。
私は彼女を騙している。それを思うと複雑だった。
「ねえ、琴葉ちゃん?」
「はい?」
「いつか、演技とか誤魔化しとか無しに、お話できる時がくるといいわね」
「……ええ、そうですね」
いつかそんな日が来るだろうか。
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