君が好きだから無敵
3
ドサリ、犬が固い床にクラリスを放り出した。
「あ・・・・あ・・・・」
クラリスはその場で丸くなってガタガタと震えることしかできなかった。
乱れる呼吸の間から小さく声が漏れる。
「スリザリン生か・・・・。まだ幼いのに随分鋭いことだ。なぜあの犬が私だとわかった?」
「・・・・え・・・・?」
掠れたような聞き取りづらい声に、一体誰に話しかけられたのかと、クラリスは恐る恐る顔を上げる。
そうしてクラリスはまた違った恐怖で息をのんだ。
「っその顔・・・・!シリウス・・・・ブラック・・・・!?」
逃走中の凶悪犯の姿に思わず後ずさるクラリス。
ボロボロの室内。
その出口を塞ぐように立つ殺人鬼。
心臓が重苦しく感じ、
クラリスは思わず胸を抑えた。
今にも失神しそうなほど青ざめるクラリスの反応に、シリウスは違和感を覚えて眉を寄せた。
「・・・・まさか君、私の正体に気づいていたわけではなかったのか・・・・?」
頷いているのか震えているのか。
判別がつかないような挙動でクラリスは首を縦に振った。
シリウスはその返答を正しく受け止め、自分の早とちりにはあ、と顔を覆った。
「ただの犬にああも怯えるとは思わなかった・・・・参ったな・・・・」
そんな自分の一挙一動にもビクつくクラリスを哀れに思い、シリウスはできる限り優しい声音で聞いた。
「そう怖がる必要はない。・・・・君の名前は?」
「・・・・クラリス。クラリス・エルブレル・・・・」
クラリスはシリウスを警戒しながらも素直にそう答えた。
シリウスは弱々しく笑顔を作った。
「そうか・・・・。クラリス、まずは落ち着いてくれ。私は君が私の話をちゃんと聞いてくれるなら悪い様にはしない」
宥めるように言うシリウスに、クラリスは少し考えたのちにこくりとうなずいた。
それを見て、シリウスは疲れたようにその場に腰を下ろした。
「君も楽にしなさい」
シリウスに促され、クラリスは大人しくその場に座りなおした。
怯えている割には従順なクラリスに安堵し、シリウスは力が抜けたように笑みをこぼした。
「少し長い話になる。それに、君には信じられないかもしれない。世間に広まっている話と随分違うからね・・・・。けれど、今から私が話すことは全て真実だ・・・・」
シリウスはポツリポツリと自分の境遇を話し始めた。
ハリーの親とは親友であったこと。
裏切り者に濡れ衣を被せられ投獄されたこと。
そのせいで大勢の人間が殺されてしまったこと。
アズカバンの中で、何年何年も1人で耐えてきたこと。
シリウスの話はあまりに壮絶だった。
信憑性もなかったが、クラリスはその話を真剣に聞いていた。
聞き終えたあと、しばらく言葉を失っていたクラリスであったが、やがておずおずと口を開いた。
「その話が本当だとしたら・・・・。
シリウス・ブラック・・・・。あなたはハリーを殺そうとはしてない・・・・?」
クラリスの問いに、シリウスは力強く頷いた。
「ああもちろんだ!
ハリーはジェームズの息子だし、私は名付け親だ。今は亡きジェームズに代わり、誓ってハリーを守り抜く・・・・!」
クラリスにはその言葉に偽りがあるとは思えなかった。
シリウスの話から感じたのは親友達への愛と、親友を奪った者達への強い怒りであった。
ただの作り話なら、こんなに強い感情を抱けるはずがない。
まだ12歳で純粋に育ってきたクラリスは、すっかりシリウスの話を信じていた。
そして彼の今までの不憫な境遇を心底哀れに思った。
「とても大変だったんだね、シリウス・・・・。
なんだか・・・・かける言葉もないよ・・・・」
複雑な表情を浮かべてそう告げるクラリスの顔に、もう恐怖の色はなかった。
シリウスはそんなクラリスに目を丸くした。
「信じて・・・・くれるのか・・・・?」
「もちろん。あなたの気持ち、痛いほど伝わってきたよ。
なんだかとんでもなさすぎて、少し頭が痛いけど・・・・」
「そうか・・・・よかった・・・・」
ホッと息をつくと、シリウスは疲れたように項垂れた。
シリウスもクラリスと似たようなものだった。
永きアズカバン生活を抜け出し、極限状態で活動している彼 に、予期せぬハプニングで出会った少年を疑うことはできなかった。
少年が大人に少し告げ口をすれば、シリウスの全ては終わる。
シリウスにはもう少年を、クラリスを味方につける他に道はなかったのだ。
「ねえシリウス。僕、あなたに協力するよ。
きっとごはんとか服とかなら、こっそり用意できると思う」
シリウスはその言葉にパッと顔をあげた。
任せて、と息巻くクラリスを見るなり目頭を抑えて呻いた。
「ああ・・・・」
「え・・・・?ど、どうしたの、シリウス?どこか痛む?苦しいの?」
シリウスの様子に、クラリスはあわてて尋ねた。
シリウスは顔を背けながら、手をあげてクラリスを制した。
「違う・・・・涙が勝手に出てくる・・・・。
ああ、クラリス。君が私の話を信じ、あまつさえ助けようとしてくれたことが、どうやらよっぽど嬉しかったようだ」
その涙はシリウスの悲愴感を一層際立たせた。
「そんな・・・・」
「アズカバンにいる時間、本当に気が狂いそうだった。死んだほうがマシだと何度思ったか。
ここにたどり着き、君という味方を得て、少し傷が癒えた心地がする。
ありがとう、クラリス」
弱々しく笑うシリウス。
見た目こそ酷くやつれボロボロだが、醸し出す雰囲気は幼く繊細だった。
クラリスは労るようにシリウスの背を撫でた。
「やめてよシリウス。僕、まだなにもしてないのに・・・・」
「いいや、私にはそれで十分なんだ」
そういうと、シリウスはクラリスに向き直り、両手で包むようにクラリスの手をとった。
「クラリス、協力しようとしてくれるのは嬉しいが、それはいらない。
私の計画が失敗するのは困るが、君が窮地に陥るのも同じくらい困る。
今日のことは忘れなさい。
私は私でうまくやるから、頼むからボロを出してくれるなよ」
優しい声音でそう告げるシリウス。
しかし、それはクラリスを足手まといであるときっぱり告げていて、クラリスは納得のいかない顔で言い返した。
「大丈夫だよシリウス、僕、うまくやるから」
「ほら、その呼び方からしてまずいな。私のことはパッドフットと」
すかさず茶々をいれるシリウスにクラリスは頷いて修正した。
「OK、パッドフット。僕、あなたの邪魔になるようなことはしないから。だから少しはあてにしてよ」
真剣な眼差しでシリウスに訴えるクラリス。
しかしシリウスは返事を返さなかった。
「・・・・駄目なの・・・・?」
目を反らし沈黙を守るシリウス。
クラリスはシリウスの返答を汲み取り、もどかしい顔をしたが、それ以上は食い下がらなかった。
おとなしくその場を去るべくスッと立ち上がり、静かにシリウスに告げた。
「シ…パッドフットのこと、絶対に秘密にするよ。だけどハリーには伝えるからね?」
「クラリス、それはまずい」
「大丈夫だよ。ハリーはきっとわかってくれる。だから、パッドフットは誰にも見つからないで待っててね」
止めようとするシリウスを押しきりそう言うと、クラリスはシリウスのもとを離れた。
再び犬になってクラリスを連れ戻すわけにもいかず、シリウスはそれを黙って見送った。
クラリスは早くハリーに会ってこの事を伝えなければと息巻いていた。
シリウスが敵でないことがわかれば、ハリーの憂いも少しは晴れるに違いない。
それに、明日にはクリスマス休暇で多くの生徒が学校を離れる。
ハリーもその内の一人かもしれない。
なら今日の内に会わなければとクラリスは校舎中をあちこち探し回った。
普段は避けているハグリッドの小屋にまで足を伸ばしたが、残念ながらすべて空振りであった。
クリスマス、ハリーが学校に残ってくれることに賭けよう。
クラリスが大人しく寮への帰路に着こうとしたそのときであった。
「クラリス!!」
「ドラコ・・・・?」
息を切らして駆けてくるド
ドラコにクラリスは不思議そうに目を向けた。
きょとりとするクラリスにドラコはくわっと目を向いた。
「お前!そんな薄着で一人でふらふら出歩いて・・・・!第一なんでそこから帰ってくるんだ!?」
「人を探していただけだよ」
激昂して尋ねてくるドラコにクラリスも少し緊張しながら返す。
ピリピリとした空気が肌を刺し、クラリスはじわりと嫌な汗が滲んでくるのを感じた。
「探してたっていうのは、まさかとは思うけどポッターか?」
うまく誤魔化せる気がせず、クラリスは黙ったまま答えなかった。
ドラコはその沈黙を肯定と受け取ったようだ。
ドラコは再び鋭い視線をクラリスに浴びせた。
なんだかいたたまれなくて、クラリスはドラコから視線をはずした。
ドラコはそのまま黙ってクラリスを睨み付けていたが、やがてクラリスの腕を掴み無理やりどこかに引きずっていった。
「い、痛いよドラコ・・・・!なに?どこに行くの?」
「医務室だ」
痛みに喘ぎながら訊ねるクラリスにムッスリとドラコが答える。
痛いのが嫌なら自分で歩け、とドラコはポイとクラリスの腕を解放した。
「別に僕、何ともないよ」
「それはマダム・ポンフリーが判断する」
最後まで渋っていたクラリスだが、ドラコの手によってとうとうマダム・ポンフリーの前につきだされた。
結果、クラリスは38.8℃と微熱じゃすまない体温だった。
自覚症状についてあれこれ尋ねられてから、クラリスはそういえば薄着であったし頭痛があることに思い当たったのだった。
「ドラコ、よくわかったね・・・・」
クラリスはベッドの中で不思議そうにドラコを見上げた。
ドラコはベッドの脇に座り、横になるクラリスを静かに見つめていた。
「わかるさ、僕には。
クラリスのことなら、きっと誰よりよくわかる」
「うん、そうかも」
現にこの状況があるのだから説得力は高い。
クラリスは小さく笑った。
ドラコがスルリとクラリスの頬を撫でた。
少し冷たく感じるドラコの手が心地よく、クラリスはそっと目を閉じた。
今までのわだかまりが全て消えていくような心地がした。
「ねえ、ドラコ」
「なんだ」
ドラコを見つめながら、クラリスは自分の今の気持ちを素直に話した。
「ごめんね・・・・。僕、意地張ってたかも。
風邪じゃなかったら、やっぱりドラコと一緒にクリスマス過ごしたかったな」
「それもわかってる」
ドラコはぶっきらぼうにそう返した。
クラリスの頬に手を当てたまま、なにか言いたげな目で、じっとクラリスを見つめる。
「ドラコ・・・・?」
不思議そうにドラコを見上げるクラリス。
ゆっくりと、アイスブルーの瞳が近づいて来て、クラリスは驚いて目を閉じた。
頬に柔らかい感触が当たる。
ああそうか。これはおやすみのキスだ。
「・・・・どうしたんだ?」
顔を赤くしてこちらを見るクラリスに、ドラコが静かに尋ねる。
「な・・・・なんでもない・・・・!」
クラリスは情けない顔でそう返すと、バッと布団を頭まで引っ張り上げた。
自分でも、なぜこんなにも動揺しているのかわからなかった。
身体がほてり、心臓が早鐘を打っている。
急に風邪が悪化したのだと、クラリスはぎゅっと目を閉じた。
全部、風邪のせいだ。
キスなんて、何度だってしているのだから。
そう思いつつも、クラリスはすぐそばにドラコの気配を感じ、少し緊張していた。
静かで、暖かくて、穏やかなのに、ドキドキする。
どうしてなのか、クラリスには不思議だった。
けれど、それもすぐにどうでもよくなった。
こうしてドラコがそばについていてくれるなら、なんでもいいやと思ったからだ。
クラリスはそんな答えを見つけると、安心したかのようにスッと眠りに落ちた。
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