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小説
第二十五話
結局、昨夜は流されるまま幾度も蛇神に寵愛された。
一度も膣内に触れられる事は無く、ただ何度も後口だけを弄られた。

それでも、身体を繋げた事に変わりは無い。
ほんの一瞬の間でも、二人は一つに絡まり合う事が出来た。

夜が明け、二度目の眠りから覚め、朝日の下で見る蛇神は美しかった。
だが、その分、恥ずかしくもあった。

昨晩、ついに一線を越えたのだ。
途中で目が覚め、彼が笛を吹いている様を見ている時は、羞恥心など感じなかった。
彼が余りにも壮麗だったので、とんと感覚がずれていたせいだ。

しかし、太陽の光を浴びれば、常の冷静さも戻って来る。
こんなにも整った顔立ちをした青年に、ついに身体を開いてしまった事に対する含羞も出て来る。

そのせいで、今朝は未だ蛇神と会話らしい会話をしていなかった。
彼はいつも通り「お腹が好いていないかい?」「何か食べたい物は?」などと気さくに話しかけてくれるのだが、節子の方は首を縦横に振るくらいで、上手く言葉のキャッチボールが出来ない。

何とか朝食を食べに行く事に決まってからも、節子は中途半端に残るぎこちなさを感じていた。
だが、その蟠りも、部屋を出る障子を開けた途端に霧散した。

部屋から廊下に出てすぐの所に、待ち構えていたようにその場に座る舞妓を見付けたからだ。
節子は、大層驚いた。

「お早うございます」

節子の姿を確認した舞妓が、行儀よく頭を下げた。
節子のすぐ後から続いて出て来た蛇神も、舞妓の娘を見て片眉を持ち上げた。

「ああ、そなたか」

「朝からご苦労な事だ」と続けた蛇神に、舞妓はしずしずともう一度頭を下げた。

「有り難うございます、蛇神様。
恐れながら、今日の舞の稽古の打ち合わせをしに参りました」

蛇神と舞妓は、芸の指導の約束をしていた。
節子はその二人の言い交わしに嫉妬し、勢いに任せて身体を重ねてしまった。
尤も、蛇神は舞妓の事が無くても行為に到るつもりだったのかもしれないが、その件が節子の心身に炎を灯したのは紛れも無い事実だ。

蛇神は、袂に隠していた扇子を出した。

「悪いが、それは無しだ」

扇を振り、峻拒する。
まるで舞妓の娘を追い払うような素振りだ。

「え?」

言われた言葉が理解出来なかったのか、舞妓は頓狂な声を上げた。
節子も驚いて蛇神を見た。

「他の者にでも頼んでくれ。
私はそなたの舞の面倒は見れない」
「どうしてですか」
「理由は無い。
私の気が変わっただけだ」

それ以上、舞妓に喋らせる隙を与えず、蛇神は歩を進めた。
節子は慌ててその背中に付いていったが、舞妓の方は呆然としてその場から動こうとしなかった。

舞妓は、随分と期待を孕んだ目をしていた。
蛇神に教えて貰う事を楽しみにしていたのだろう。
だからこそ、朝から廊下で待ち伏せていたのだ。

節子の中で、昨夜嫌というほど抱いた嫉妬が、仄かな同情へと変わった。
彼女が可哀想にさえ思えた。

蛇神は、何も気にせずひたすら廊下を歩いている。
その裾を、節子はちょいと引っ張ってみた。

「あの、蛇神様」

扇を口元に当てた蛇神が振り返る。

「セツ、どうしたんだい」
「さっきの人なんですけど」

もごもごと言い淀みながら、未だ動こうとしない舞妓の方に視線を遣った。

「舞の稽古くらいだったら、私、気にしませんし、それに」

少しくらいなら、稽古を付けてあげてもいいのではないだろうか。
昨晩、自ら嫉妬の情を吐露したくせに、今度は舞妓の娘に情けを抱いてしまう。

冷静になって初めて分かったのだが、舞の稽古の一つや二つ、そこまで懸念する事でも無かったのだ。
稽古の間、節子が二人に付き添う事も出来る。
そんなに躍起になって妬く事でも無いのだ。
勿論、そう思えるのも、昨夜の事が何らかの自信に繋がっているせいもあるかもしれない。

舞妓がとろとろと腰を上げ、諦めたように何処かに向かうのが見えた。
しかし、蛇神はその女の方に視線を移そうとしなかった。
余程興味が無いのだろうか。
余りにも冷たい態度だ。

「いいんだよ、セツ。
私が決めた事だ」
「でも」
「私が稽古を付けたくないと思ったから断った。
ただ、それだけだ。
そなたが気に病むような事では無い」

蛇神は節子だけを見て、目を細めて笑んだ。
彼の笑顔は、いつだって節子に優しい。
眼差しも、言葉も、触れる手も、何もかもが優しい。

それとは反して、先程の舞妓に対する物言いは本当に酷薄だった。
どうしてここまで手の平を返せるのだろう。
非道な言葉で断った訳では無いが、そこには優しさや気遣いなど微塵も存在していなかった。

何やら複雑な気分になって、節子は「でも」と再度紡いだ。
すると、その節子の言を上塗りするように、すぐ傍で大きな声が聞こえた。

「おお、オロチ。
朝餉でも食べに行くのか!」

そう大声で話し掛けてきたのは、猿田大神だった。
大きな身体で豪快に笑いながら、優男の蛇神の肩を抱いている。

しかし、蛇神はまた「オロチ」と呼ばれた事に不快を露にした。

「いい加減、私の名前を覚えて貰いたい」
「そう固い事を言うでない。
のう、オロチの巫とやら」

にこにこしたまま、今度は節子に言葉を振って来た。
節子はどう返していいものか分からず、ただ曖昧に返した。

だが、節子はこの猿田大神という神が好きだった。
蛇神はやや迷惑そうにしているが、それも気の置けない仲故の態なのだろう。

猿田大神はとても人懐っこい。
猿のような面も、非常に愛らしい。
身の丈は他者を威圧するほど縦に伸びているが、彼の人柄がその身体を厳しく映させない。
恐らく、誰にでも愛される神なのだろう。

大柄な猿田大神に肩を組まれたまま、蛇神はまた廊下を歩き始めた。
どうやら猿田大神も朝食を頂きに行くつもりだったらしい。

勿論、出雲は各自宛てられた部屋で食事する事も出来るそうだ。
各々の部屋まで運んで来てくれるのだろう。
だが、神は宴会好きで、よく群れるという。
誰かと共に談笑し、酒を交わし、時に喧嘩をしたり、また仲良くなったりする。
人間と同じだ。

しかも、庭で食事を摂る事も出来るようなのだ。
節子は、是非その庭で食事したいと思った。
だから、部屋から出て朝食を頂く事にした。

この出雲には、春夏秋冬全ての季節を表した庭があると蛇神から聞いた。
節子が初めて見たのは、春の庭だった。
昨夜泊まったのは、秋の庭の見える部屋だった。

それならば、残る夏と冬も見たいものだ。
神の憩う御殿なのだ、そのどれもがさぞ素晴らしい事だろう。
想像するだけで、胸が高鳴る。

蛇神と猿田大神は、互いに何かを話しながら先に進んでいた。
置いていかれないよう節子も後に続こうとしたが、その折、すぐ背後に誰かの気配を感じた。

「良き巫ですね」

鈴虫がリンリンと鳴くように美しい声がした。
背に立つ気配の主が喋ったのだ。

節子は驚いて振り返った。
見れば、その気配の人物は、この出雲に来たばかりの際に見た美しい女性だった。

紅葉色の長い髪に、銀杏の簪を挿している。
深い色をした瞳も流麗だ。

「竜田姫様」

節子はその女性の名を呼んだ。
蛇神に教えて貰っていたので、彼女の事は知っていた。
竜田姫という秋を司る神だ。
出雲御殿の入り口で、富士山の神である浅間大神と話し込んでいた女性でもある。

名を呼ばれた竜田姫は、やんわりと破顔した。
さすが秋の女神だと言われているだけあって、非常に麗しい容貌をしている。
昨夜泊まった部屋から見えた秋の庭に立てば、さぞかし絵になる事だろう。

竜田姫は、小さな子をあやすように、節子の頭を撫でてきた。

「蛇神の巫とやら。
昨夜、貴女はまた随分と懇ろに可愛がられていたようですね」

柔らかい笑みを崩す事なく、さらりと彼女は言った。
「懇ろに可愛がられていた」とは、昨夜の蛇神との情事の事を指しているのだろうか。
彼女はその交媾を知っているのだろうか。

昨晩、節子はあらゆる場所で、あらゆる体位で蛇神に抱かれた。
庭のすぐ傍、縁側で激しく鳴かされもした。
その場を誰かに見られていたとしても、おかしくない。
濡れ事最中、節子は目隠しをしていたから分からないが、もしかしたらすぐ傍まで誰かが近寄って来ていた可能性もある。

己はどうしてその事まで気が回らなかったのだろう。
あのあられもない姿を誰かに見られていただなんて、恥晒しもいいところだ。

言われた言葉を理解した節子は、一気に頬を染め上げた。

「それは、その」

上手い言訳など出る筈が無い。
顔に全身の血が集まって仕様がない。

へどもどと口を動かしていると、節子から手を離した竜田姫がくすくす声を上げた。
そして、その手を自身の髪に遣り、耳に掛けた。

ちらりと覗くうなじは婉然としている。
たとえ昨夜初めての経験を済ませたといえ、未だ幼さの残る節子とは大違いだ。

「仲良き事は、良き事です。
ですが、あんなにも高らかに鳴かれていては、少々離れた寝屋でも聞こえて来るというもの。
蛇神とやらは随分貴女に執心していると見えますが、神の性欲にまともに付き合っていては、人間の貴女では身がもちません。
程々にして、時には断ってやりなさい。
それくらいしても、罰など当たりませんよ」

意地悪うや冷やかしなどではなく、ただ純粋に節子と蛇神の仲の良さを褒め、ちょっとした忠告をしてくれているらしい。
恥ずかしいのか嬉しいのか分からなくなって、節子は軽く俯いた。

竜田姫のすぐ後ろには、いつから居たのだろうか、浅間大神まで居た。
逞しい肩に、豪快に生やした髭、眼光のある目を持っている。
いかにも猛々しい山の神といった姿形だ。

「しかし、竜田姫。
蛇神は贄や巫を取らないと言っていたのではなかったか?」

浅間大神は、喋らない節子の代わりに口を開いた。
それに竜田姫が返す。

「そうですね。
人間の勝手で捧げられた贄など興味無いと言っていました」
「何の心境の変化だ?」
「さあ、わたくしには分かり兼ねますが」

彼ら二人は、蛇神が巫を取った事に疑問を抱いているようだった。

だが、それは節子の方こそ聞きたいくらいだ。
結局、節子は巫という役割の仔細を知らないままだ。
だからこそ、何故彼が自分を巫に選んだのかも分からない。

しかし、つい先程、竜田姫は節子の事を「良き巫だ」と言った。
節子はもうすでに巫になっているという事なのだろうか。
その辺りがよく分からない。
知らぬ間に「巫」というものになってしまったのか、或いはこれからなっていくのか。

神のルールはどうも分かりにくい。
蛇神がきちんと説明してくれないから、余計に困惑してしまう。

浅間大神は、「そもそも」と会話を続けた。

「今はとんと減ったが、昔は頻繁に贄が捧げられたものだ。
それ故、泣く泣く親や想い人、友から引き離された者も多かったな」

それに、竜田姫が「ええ、そうですね」と継ぐ。

「贄を丁重に扱う神ばかりでもありませんでしたしね。
良き神も居れば、堕ちた神も居る。
辛い思いをして命絶えた者も少なくないでしょう」

殊勝な顔をして話し合う二人に、節子は益々口を挟めなくなった。
だが、彼らが話す内容には大いに興味があった。

現代では無くなってしまったものの、古来には当たり前のように行われていた儀式の一つ。
それが生贄だ。
一度は節子も、蛇神に無残に殺されてしまうのかと思い、恐怖したものだ。
今でこそ蛇神を慕っているものの、あの恐ろしさは覚えている。

節子は、家族に別れを言う前に、心積もりも出来ないまま蛇神の元へと連れて来られた。
だから、神に何をされるか分からない恐怖は理解出来ても、大事な者達との別れの辛さまでは分からない。
命を落とすかもしれないという恐怖は身を持って体験したが、悲しみは未だだ。

たとえば、「明日、お前は生贄になる」と他者に宣言されてしまったならば、どう思うのだろう。
選択肢の余地もなく、一方的にそう告げられてしまったならば。

大事な者達と離れる辛さは、さぞ身を切る思いなのだろう。
どうして自分だけがこんなにも悲しい想いをしなければならないのかと、他者を恨むかもしれない。

元来、生贄は何かを乞う引き換えに行われるものだ。
雨乞いだったり、農業の豊作だったり、様々だ。
中には、ただ個人的な願いを叶える為に犠牲になった者も居るかもしれない。

だが、自分とは関係の無い他人の命を護る為、村の為、どうして己だけが外れくじを引かなければならないのだろう。
家族の為なら分かる。
恋人の為なら分かる。
しかし、その他の者の為にまで命を差し出さなければならないのは、やや不条理ではないだろうか。

生贄の制度は、人の命を軽く見すぎている。
人の思いを無碍にし過ぎている。

「わたくし達神が言うのも何ですが、人間は私利私欲の為に他人の命を何とも思わない浅はかな者が多いでしょう?」

竜田姫が悲しげな顔をした。
節子も控えめに頷く。

「その性(さが)が、無駄な贄を増やす原因になったのでしょうね」

遠い昔を懐かしむように、或いは忌避するように、竜田姫は視線を横に流した。
浅間大神も何も言わなかった。

生贄を差し出すのは人間で、それを受け取るのは神だ。
だが、神の中にも竜田姫や浅間大神のように、人間の軽率な行動に疑問を抱く者も居たのかもしれない。
蛇神のように断固として生贄を受け入れなかった者も、他にも居るだろう。

生贄という制度は難しい。
忌むべきものなのか、認めるべきものなのか判断しにくい。

今より随分昔には、便利な機器が無かった。
文明が無かった。
食糧不足や水不足は、皆を脅かす絶対的な恐怖だった。
それを脱する為に、生贄は必要だった。
当時はそれも仕方が無かったのだ。

だからといって、生贄にされた者達の無念が晴れる訳では無い。
昨日まで一緒に食料を分け与え、助け合った者達が、「我々の為に死んでくれ」と言う。
今まで共に暮らして来た村人達が、急に敵に回る。

生贄に選ばれた者は、身動きが取れないように縄で縛られ、生きたまま水の中、火の中に入れられる。
崖から落とされる。
身体中に穴を開けられ、一滴残らず血を抜かれる。
臓器を抉られる。
見知らぬ沢山の男達に犯される。

そんな裏切りがあってもいいのだろうか。

生贄は、人の命を人の判断で狩る。
時に、神による指示もあったのかもしれない。

この生贄の制度は、神にとってどうプラスになるのだろうか。
そもそも、何故生贄を受け入れるのだろうか。
やはり、生贄を貰って得になる事があるからだろうか。
それとも、余興の一つ、ただのしがない捧げ物の一つでしかないのだろうか。

もしそうなのだとしたら、生贄と巫の差は何なのだろうか。
蛇神の巫として迎え入れられた己は、何になるのだろうか。

節子の中で、沢山の疑問符が溢れ出る。

「あの、一つ聞いてもいいですか?」

黙っていられなくなって、節子はおずおずと言葉を発した。
竜田姫と浅間大神は、「何だ?」と目だけで続きを促してくれた。

「生贄と巫の違いって何ですか?
その二つは一緒なんですか?」

節子の問いに、二人は揃って目を丸くさせた。

「何だ、そんな事も知らないのか」
「蛇神に教えて貰っていないのですか?」

同時にぶつけられた科白に、節子も頷く。
浅間大神が、眉を顰めて笑った。

「随分と無知な巫だ。
まあいい、教えてやろう。
いいか、巫には贄から巫になった者と、最初から巫だった者が居る」
「貴女は後者のようですね」
「そうだな。
そして、贄は他者から無理矢理選ばれた者を言う。
それと引き換えに、村の復興や雨乞いなどを願う者が多かった。
時に豪族などの私欲に捧げられる事もあったが」
「極端に言えば、贄は他者の為の犠牲者、という事です」
「ああ、そうだ。
そこから神に寵愛され、巫の地位までのし上がる者、逆に一切優遇されず、無残な末路を迎える者も居る」

浅間大神と竜田姫の説明を聞く限りでは、生贄の行く末は両極端なようだ。
神に丁重に扱われるか、或いは哀しい最期を迎えるか、どちらかなのだろう。

優しい神の元に行けば、生贄とされた後も優遇される。
巫になる事も出来る。
だが、そうでない神の元に行けば、報われる事なく、最悪、無駄に命を落としてしまう。

彼らの口振りから、巫と生贄には何より待遇の差が大きいように思えた。
では、巫とはただ神に愛されるだけの存在を指して言うのだろうか。

「最初から巫になれと言われた私はどうなるんでしょうか」

節子は首を傾けた。
竜田姫がそれに応えるべく紅を和らげる。

「そうですね」

節子が今までずっと求めていた答えを、竜田姫が唇に乗せる。

「恐らく貴女の立場は、彼の」

竜田姫は、節子の疑問を晴らす為に続ける。

だが、その言葉はそこで途切れてしまった。
それ以上何も聞こえなくなってしまった。

ぐるりと節子の視界が変わった。
倒れた訳ではないようだった。
ただ、竜田姫と浅間大神を映していた筈の眼の中が、一瞬にして蛇神だけになった。
それも、限りなく近く、視点を上手く合わせる事が出来ない程の大きさだ。

何をされたのか理解した時には、全てが終わっていた。
節子は、竜田姫の話を聞く最中、突然現れた蛇神に横から顎を捉えられ、口付けられたのだ。

「失礼。
私の大事な巫を、皆で取り囲んで占有していたようなので」

蛇神が悪びれる風もなく、口先だけで詫びた。
節子は、他者の面前で口付けられた事が恥ずかしくて、一言も発せなかった。

「何ともまあ、嫉妬心の強い男神ですこと」

一瞬呆気に取られていた竜田姫が、愉快そうに言った。
浅間大神も豪快に声を張り上げて笑った。

やや離れた所には、一人残された猿田大神が居た。
その彼もまた、にやにやして此方を見ているようだった。





TO BE CONTINUED.

2009.03.27

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